第28話 オッサン少女、スラム街へ

 てなわけで。

 翌朝、ノリスの魔の手足の呪縛から逃れるのは、凄く大変だった。

 もう、あとほんの少しでダム決壊、という感じ。


 で、事なきを得て戻って、着替えてノリスを叩き起こして。ホント。飲みすぎなんだよ、毎回。


 それから、朝食後に連れだって、王都の北地区へ。

 護衛ならブールもありなんだけど、女性ならではの点とかあるからねぇ。またほっぺたに紅葉を刻んだら可哀想でしょ?


 ここで分ったこと。

 南と北の間にある、中央区には入れない。城門があるから。

 ホント。ギルド証があろうと、平民は特別な事がない限り、入れないんだそうだ。それこそ、中央区のギルドマスター、ヘッケラーの紹介状くらいないと。


 うん。なんとなく偉そうだったのは、それか。


 それで、東へと迂回して北地区を目指す。

 西にしなかったのは……ナッシュに遭遇したくないからな。メンドクサイ。


 で、ぐるっと東回りに北地区へ。王都の中央区を取り巻く各地区は、放射状に伸びる大通りで区切られているだけで、自由に行き来できた。


「あら? 結構、普通ですね?」


 北地区の街並みは、見慣れた南や今通って来た東と大差なかった。特に寂れた雰囲気でもない。

 ただ、時折、街を行きかう人の顔に、瘴気の霞がかかって見える。

 そんな俺の感想にノリスが。


「さすがにこの辺はね。すぐそばが中央区だし」


 なるほど。この辺は北地区でも比較的裕福なんだ。

 じゃあ、もっと北へ行かないと。


 そうして、北地区の真ん中を北へと貫く大通りに出てみると。

 もう、見てわかる。真っ直ぐ伸びる通りの彼方が、瘴気で霞んでいる。あそこがスラムだ。間違いない。


「……行きましょう」


 正直、行きたくない。なんというか、直接人間から立ち上る瘴気って、怨念とかの負の感情がきつすぎる。

 一歩進むたびに、身体が、心が、重くなっていく。

 それでも、一歩ずつ前へ進む。


 ……なんでまた、こんな嫌な思いをしながら、俺は進むんだろう。チェシャに無理矢理、こっちの世界に拉致され……しかも性転換までされて。


 まぁ、わかってはいる。


 あっちで引きこもりしてた分、俺は他人との繋がりを欲してたんだ。それが、こっちではすんなりと手に入った。

 向けられるまなざしの暖かさ、信頼。

 それらが瘴気に覆われることの辛さ。失うことの怖さ。

 ゴブリンキングと対決した後。アルスが死んだかも、と思った時。テリーが片腕を失った時、彼を包んだ絶望。

 思い起こすだけでも、身体がすくむ。


 気が付いたら、ノリスの手をしっかりとつかんでいた。


* * * *


 やった! エミルちゃんから、デートのお誘い!

 とは言え、行き先がスラム街ってのは、色気が無さすぎるわねぇ。

 納得は出来るけど。


 この子の頭の中は、仲間を、あたしたちを守りたいって気持ちで一杯。それ以外は何も入って行かない。

 でもね、あたしたちもエミルちゃんが大事。


 テリーはこの子を聖女のようにあがめているし。

 アルスはもう、ゾッコンだし。

 ビシャルなんて、初対面とはまるで逆。

 金ランクのナッシュとかいうのも、あれは決して収納魔法だけで言い寄ってるわけないし。

 あたしだって、もうメロメロ。

 兄さんブールはもう一人の妹と見てるっぽいけど、朴念仁なだけだからなぁ。


 そんなみんなの気持ち、わかってるのかしらね。

 でも、とりあえず今は、この手を離さない!


 ムフフ♡


* * * *


「あれ……何をやってるんですか?」


 スラム街は、見た目が確かに薄汚れ、壁などにもヒビが入ったままだった。その上、建物の上に家などを増改築しているようで、今にも崩れそうだ。

 道行く人々も、貧相で不健康そうに見える。路上にうずくまり、横たわる人もいる。

 だがそれ以上に、全体がうっすらと瘴気に霞んでいた。その瘴気の濃いところを探してたどって行くと、それはあった。


 街角にATM魔法具のようなものを載せた台を置き、その後ろに座る者がいた。顔はフードで見えないが、あっちの世界で街角にいる占い師みたいな雰囲気。

 違いは、その傍らに腕っぷしの強そうな男が立っていて、にらみを利かせている点だ。


「あれは売マナ所よ」

「売マナ?」

「あ、ひとり来た。百聞は一見に如かずね」


 瘴気まみれの男が一人、疲れ果てたような格好で現れた。男はATM魔法具風のプレートに手を置き、フードの者から何かを受け取った。

 その一つが路上に零れ落ち、チャリンと鳴った。


 ……硬貨だ! この世界で初めて見たぞ。


 男は慌ててそれを拾うと、よろめく足取りで立ち去った。もう、その姿もはっきりしないほどの、濃い瘴気に包まれて。


「あれをやるようになっちゃ、人生、詰んでるわね」

「……そうなんですか?」


 マナを硬貨に両替しただけじゃないのか?


「あれは、体に毎日溜まるマナを硬貨に変えてるの。つまり、マナを売ってるわけ。手数料をふんだくられてね」


 だから「売マナ」なのか。

 そう言えば、昔は献血するとお金がもらえたとか。売血と呼ばれる行為。それと似たようなものかもしれない。

 確か、貧しさから売血を繰り返して貧血になったり、病気になっても売血して感染病が広まって、かなり前に禁止となったはず。


「何をするにもマナって必要でしょ? なのにそのマナのほとんどを硬貨に変えちゃったら、まともに働けると思う?」


 ああ、そうか。

 さっきの男が去り際によろけてたのは、マナ切れ寸前まで売ったからなのか。


「でも……買い物なら、なんで直接マナで支払わないんですか?」


 すると、ノリスは自分のギルド証を取り出して見せた。


「ここじゃ、買う方だけでなく売る方も、財布すら持ってないのよ」


 なるほど。

 直接、他人のマナを身体に受け入れると、体調を崩すんだった。特にここでは、誰もかれもが瘴気にまみれている。支払いに使う量だけでも、えらい事になりそうだ。


「もっとも、働いてマナを稼げるようなら、こんなこと必要ないんだけど。ここじゃ、碌な仕事もないしねぇ」


 続けるノリスに、俺は思いついたことをぶつけて見た。


「なら、せめて冒険者になるとか――」

「無理無理。登録料がまず、払えないもの」


 そうだった。俺が登録する時、ブールが払ってくれたっけ。

 1ミナ。十日分のマナだ。それだけ貯め込むには、売マナ行為以外で生活費を得ないといけない。


 それに、どんな仕事でもマナは使われる。心を込めて作ったもの、やったことには、そのマナが宿るのだから。

 何より、仕事でも魔法でも、マナを使えばレベルが上がる。レベルさえ上がれば、毎日体が吸収するマナも増える。仕事に込めるマナも増える。つまり、さらに良い仕事が出来るようになる。

 言い換えると、マナを使わないとレベルは上がらない。売マナでは「使った」ことにはならない。


「この街には、お金マナが余りにも足らないんですね」


 なんだろう。既視感デジャブを感じる。

 ああ、そうか。新型感染症で、なじみの居酒屋が閉店になった時の、店主が見せた絶望感。もし、あっちの俺にも瘴気が見えたなら、あの飲み屋街全体が、こんな風に映ったに違いない。


 ……なら、一律給付とか出来ないのかな?


 十万円の給付。とりあえず、貰えるのは嬉しかった。間違いない。

 あ、十万ってちょうど1ミナじゃないか。それで冒険者になれば依頼を受けられる。


 あっちでは、財源がどうのとか言われてたけど、こっちでは――。


「あ、マナ税」


 そうだ。王都に戻るたびに、アルスが教会に納めてた十分の一税。あれを一律給付したら?

 という事をノリスに話したんだが……なんでそんな、残念な子を見る目になる?


「国や教会がそんなことしてくれるわけないでしょ?」


 そうだよな。そうなんだろうけど。何だかモヤモヤする。だったら、何のためにマナを集めているんだ、と。


 こうなったら、じかに確かめないと。

 そう思い、ノリスに「教会へ行きたい」と頼もうとした時だった。


「あの……お姉ちゃんたち、冒険者?」


 幼くか細い声に振り返ると、ボロボロの服を着た小さな女の子がこちらを見上げていた。

 多分、女の子だ。瘴気で顔が見えないけど……。

 つまり、それだけ絶望にさいなまれているわけだ。こんな小さな子が。

 俺はその子の前にしゃがみ込み、目線を合わせて話しかけた。


「ええ、私たちは冒険者よ。私はエミル。あっちのお姉さんはノリス。それで、あなたのお名前は?」


 少しためらってから、女の子は答えた。


「……フィルナ、です」

「フィルナちゃんね。で、私たちに何かお願いがあるんですか?」


 こくりとうなずいた。……ように見えた。

 瘴気で見えないが。


「お母さんが病気なんです。治すには薬草が要るんです。それを取りに行きたいの。護衛をお願いできますか?」


 おう。思った通りのテンプレな依頼だ。

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