第17話 ある日大仏はイチャイチャを見せつけられて1

「あっ」


 おもむろにミカサちゃんが声を上げる。

 疲れて少々下向きの視線を前に向けると、そこには東大寺南大門が鎮座していた。

 誰もが教科書で一度は目にしたことがあるのではないだろうか。

 それが今、僕たちの眼先にあるのだ。


 奈良公園で少し疲れた様子を見せていたほかの四人もみるみる活気を戻していく。

 まあ、アオイはまだ道中に鹿がいるので気絶したままだが。

 平日なため観光客は比較的少ない。

 それは南大門までの一直線の道が開けるくらいに。

 観光客の迷惑にならないと考えたのだろう。

 背の高いヒナタがアオイを抱えたまま全速力で走り出した。

 それを横目に見たミカとナツメもカメラを片手に走り出す。

 三人の目は輝いており、修学旅行の醍醐味ともいえるほどだった。


「ぼくたちは歩いていきましょうか」


 そうミカサちゃんに語り掛け、横目で少しうなずいたのを確認する。


「ユメ、……」


「? どうしたんですか」


 ミカサちゃんに声を掛けられそちらに顔を向ける。


「その、誰も見てないし……手、繋がないか」


「/ / /……」


 何を言い出すのかと思えば。


「まあ、ミカサ先輩がそういうならいいですけど……」


「じゃあ、」


 ……。


 相変わらず小さい手。

 やわらかく、いつまでもにぎっていられそうだ。

 先輩なはずなのに僕よりも小さい。

 二人の距離が少し近づいたためか、いい匂いがただよってきた。

 女の子だからだろうか、それともミカサちゃんだからだろうか。

 定かではないが、二人きりでいると落ち着く。これだけは変わらない。


「ユメ、私の手、汗かいてべとべとしてないか」


 そう少し不安そうに訊くミカサちゃんはこの世のものとは思えないほどに可愛かった。


「大丈夫ですよ。ミカサ先輩の手は可愛いです」


「な、なんだそれは。返事になってないじゃないか」


 旅行中はみんなの目があるからこういう夫婦らしいことはできないと思っていた。

 そんな矢先の出来事。

 ほっこりしすぎて天に昇るかと思った。

 それにしても。

 僕のお嫁さん可愛すぎるだろう。

 今だって自分のにおいがくさくないかを確認しているほどだ。

 そんなはずはないのに。

 余談だが遺伝子的に相性のいい人からはいい匂いがするらしい。


「それにしてもユメはいい匂いがするな。同じ洗剤使っているはずなのに」


「ミカサ先輩もいい匂いですよ」


 本当になぜだろう。

 同じ洗剤を使っているはずなのにお互いからいいにおいがするのは。

 そんなことを考えているとすぐ近くにまで南大門が迫っており、周囲の鹿も少なくっていた。


「そろそろ手、離しましょうか」


 ナツメたちが見えてきたためそう促す。

 それでも離したくないようで。


「うぅ……」


 少し惜しいような、悔しいような顔をした後、しぶしぶと手を離した。

 とはいえナツメたちがこちらを振り向くまでは、手を離した後もずっと制服のすそをつかんでいたが。

 またそこが可愛い。


「おっ、ユメとミカサ先輩。ここでみんなで記念写真撮りましょうよ」


 そう誘ってきたのはナツメ。

 どうやらアオイも目を覚ましたらしくヒナタの後ろに相変わらずくっついて隠れている。

 少ないとはいえまだ鹿は周囲にいるからな。


「いいぞ」


「僕もいいよ」


 さきほども言った通り観光客は少ない。

 つまり、周りを気にせず写真を撮れるということだ。


「みんな並んでー」


 ナツメがそう促す。

 門の前に全員整列し、カメラに向かってピースを向けた。

 フラッシュが赤く点滅しだし、タイマーをセットしたことがわかる。

 それと同時にナツメがこちらに走ってきた。


「3・2・1……」


 ナツメのカウントダウンが終わった刹那、ぴったりくっついた二人の体の後ろで、僕の手がミカサちゃんに握りしめられる。

 右手でピースをし、くしゃっと笑ったその顔はものすごく……カワイかった。


 石畳の道を歩き、もう目の前の東大寺を少し遠巻きに見る。

 と言ったものの東大寺に行くためには、あと一つ『中門』を抜ける必要がある。

 あと少し。

 少々疲れ気味の足を動かし、6人は一歩ずつ一歩ずつ東大寺に近づいた。

 特に何の変哲もない中門をくぐり、ついに目と鼻の先。

 一同に少し活気がよみがえる。

 中には感嘆のため息を漏らすものもおり、全員の足が少し速くなったことは言うまでもないだろう。

 ミカサちゃんもさっきから僕のとなりでしきりに目を輝かせている。

 そしてついに。


 入口をくぐり、ついにその姿を参詣する。


「はあ~~」


 全員の口から感嘆のため息がもれ、後ろも人がいないため各々ゆっくり写真を撮り始めた。

 この壮大さ、寛大さ。

 1300年もの間人々も見、そして導いてきたのだろう。

 18メートルに及ぶその全高はとてもかないそうになく。

 ただただ見上げるだけの時間が過ぎた。


「ユメ、せっかくだ。なにかおねがいごとでもしていかないか」


 そう提案され、僕は目をつむり手を合わせる。

 その刹那、ミカサちゃんも目をつむるのが横目に見えた。

 何を願うか。

 考えるまでもなくそれはただ一つ。


(ミカサちゃんのことを幸せにできますように)


 どんなにつらい時も楽しい時もどんな感情もミカサちゃんと共有し、もちつもたれつでありたい。

 そんな願いを込め、大仏に向かい強く念じた。


 目を開ける。

 それとほぼ同時にミカサちゃんも目を開けた。


「終わったか?」


「はいっ」


「そうか、ところで何を願ったんだ」


「ミカサ先輩のことを幸せにできますようにって願いました」


 そう言った途端ミカサちゃんの顔が赤く染まる。


「うれしいが、恥ずかしいな……」


「ところでミカサ先輩は何を願ったんですか?」


「私はだな……」


「?」


「まあ、ないしょだ」


 そう言い、少し意地悪そうに僕の前を素通りして順路に進んでいった。

 そんなことを言われると気になる。しかし、ミカサちゃんが言いたくないことをそこまで追求する必要もないだろう。

 まあ、いいか。



「私の願い事は『隣の人の願い事が叶いますように』なんだがユメ。こんなこと言ったらなんだか自分が幸せにしてほしそうでカッコ悪いじゃないか」



「ん? 何か言いましたかミカサ先輩」


「ふふ、何でもない」


 相変わらずのことながら吸い込まれてしまうほどに可愛い。

 ここで一つのことに気づく。

 一緒に来た4人はもう順路の先で見えない。

 観光客はもう西日が差し始めている現在、誰もいない。

 自分たちに注目している第三者の人数、0人。

 チャンスだ。


「ミカサ先輩、キスしませんか」


「……へっ?」


 その少し驚いた顔も可愛い。

 少し戸惑ったような顔も可愛い。

 もう何から何まで可愛い。

 山が崩れ、海が干上がるほどに可愛い。

 ミカサちゃんが周りを見渡し、一歩、こちらへ近づく。

 僕の手が届く範囲まで来たとき。


「いいぞ、ユメ……」


 手を伸ばし、ミカサちゃんを一度抱きしめる。


 頭の後ろに手を持っていき、支える。


 緊張で真っ赤になった耳に髪をかき上げ、ミカサちゃんの目を見つめた。


 見つめて数秒、覚悟が決まったのかミカサちゃんが目をつむった。


 その数秒後僕の唇をミカサちゃんの唇に押し当てた。


「ん……」


 柔らかくて、あたたかくて、いい匂いがして。

 何より頑張って背伸びをしている姿が飛び上がりそうなほど可愛かった。

 入口から風が吹き抜ける。

 ミカサちゃんの肩からカバンがストンと落ち、それでもなお二人は離れなかった。

 風がやんだその刹那。


「っはぁ……、な、長いぞ、ユメ」


「ミカサ先輩が可愛いからですよ」


「/ / /……」


 少し目をそらし、下を向いて恥ずかしそうにする。

 こんな場面誰かに見ていられたらどうするんだ、とも言いたげな顔で。


「まあ、うれしかったぞ。私もこの修学旅行でユメ不足だったからな」


 たった数時間で僕不足だなんて。

 ミカサちゃん、可愛すぎです。


「僕もですよ」


 その後もう一回キスをして、みんなと合流した。

 大仏も、まさか自分の前で夫婦にいちゃつかれるとは、1300年前には思いも寄らなかったことだろう。


ーーーーー


「次は鶴橋~、鶴橋~……」


 あれから近鉄奈良駅まで徒歩で行き、そこから電車に乗って30分の大阪内の鶴橋駅まで来た。

 あそこでかなりの時間を過ごしたのだろう。

 ホテル集合時刻の6時にぎりぎりだ。



 こつん



 肩に温かいものがぶつかる。

 ふと横を見るとミカサちゃんが夕日をあびながらこちらに体重を預け寝ていた。

 鹿公園でたくさん遊んだからな。



 ぽんぽん



 ミカサちゃんの頭を優しくなで、再び窓の外へ視線を移した。

 次々と変わる街模様。

 それでも安定して変わらない都会の街。

 帰宅ラッシュの少し前、ちらほら見える通りには先ほどから少しずつ人が増えつつある。


「明日は大阪でUSJか……」


 少しずつ減速していく窓の外を見ながら、明日の研修へ胸を躍らせた。

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