第26話 とある春の日

2022年 3月

今年は例年よりも雪が多い様に感じる

雪が降る回数も 雪の量も

スキー場やウィンタスポーツ好きにとっては良いシーズンと言えるが バイク乗りにとってはあまり嬉しい事ではない 寒い日が続き 3月の下旬になっても中々気温が上がって来ない

今年の春はずいぶんのんびり屋の様だ


あけて4月1日

朝 カーテンを開けると窓の外は一面真っ白だった

エイプリルフールだが本当の話だ

街は夜の内に雪化粧が施されていた

4月に入ってからの雪は珍しく 朝日に照らされ輝く雪は綺麗だとは思うが

まだ春は来ないよ と言われた様で落胆する気持ちの方が強かった


春よ早く来い…


私の心の声が聞こえた訳でもないだろうが 雪はその日の内に溶けて無くなり 日に日に気温が上がっていった

どうやらあの雪をバトン替わりに季節は冬から春へと引き継がれた様だ


そして週末

私は冬眠中だったニンジャ1000のカバーを外し 春の陽が降り注ぐ駐車場の一角に連れ出した

オイルとフィルターを交換して 試運転がてら少し走りに行こうという魂胆だ

オイルパン下のスペースを確保する為にリヤだけレーシングスタンドを噛ませる

まだ午前中だが陽射しがポカポカと暖かい 今日は20℃を超えるという予報が出ている

オイル吸着剤入りの箱をバイクの下に広げ 自慢のスナップオンのオフセットレンチをドレンボルトに掛けようとして

「おっと… まずはフィラーから」

そう教えてくれたのが誰かは忘れてしまったが その教えは覚えている

フィラーキャップが緩むことを確認してから ドレンボルトにレンチを掛け力を込める カキッと小気味いい音がして緩んだボルトを外しオイルを抜く

「それほど汚れてはいないな…」

フィラーキャップを更に緩め空気を送り込むとオイルの流量が増す オイルを抜き取りながらフィルターを外しにかかる フィルター用のレンチを使って外す ニンジャ1000は整備性が良くアンダーカウルを外さなくても交換出来るし カウルにオイルが垂れる事もない

オイルフィルターの取り付け面をキレイにして ゴムパッキンにオイルを薄く塗り取り付け パッキンが当たってから4分の3回転ほど手で締め付ければフィルターの交換完了だ

次はドレンボルトと取り付け面をキレイにしてガスケットを新品に交換

すでにオイルの流出はほぼ無くなっている ドレンボルトを取り付けレンチで締め付ける

クッとガスケットが潰れる感触を感じ取り 締め付け完了

締め付けトルクは手が覚えている 手ルクレンチというやつだ

大事なのはトルクレンチを使用する事ではなく 緩まないように締め過ぎないように締め付ける事だ 今日びそんな事を口にすれば 安全性が 責任が と叩かれてしまうだろうか

エンジンオイルはカワサキ×エルフの10W-50

世に高品質な高級オイルは数多くあるが 私にとってはオイル缶にプリントされたカワサキのロゴが何よりの信頼と安心の証だ

大体規定量を入れた所でオイル量を確認 スタンドで上げている事を考慮して少なめにしておく

フィラーキャップは締め付け過ぎない様に注意する

エンジンをかけてオイルをまわす為に 外してあったバッテリー端子をつなぐ

「付ける時はプラスから…」

先輩から初めて聞いた時に なるほどと感心した事を思い出す

キーをONにしてエンジン始動

キュキュキュッ ドウゥゥー

セルの回り方も かかりも問題なさそうだ

30秒程まわしてエンジンを止める

オイルが下がるのを待つ間にタイヤのエアチェックをしておく

スタンドからバイクを降ろしエアゲージをあてると 若干空気圧下がっていたがパンクではないと判断し既定値に調整する

オイルが下がった頃合いで オイル量を確認する為にバイクに跨り 直立させた状態で点検窓をスマホで撮影 不足分を補充して再度確認

ドレンボルトとフィルターからオイル漏れが無い事も確認し 最後にチェーンを点検する

張りは良し 錆びている様子もない

OKだ

工具や廃オイルを片付け バイクに乗る準備をする


整備用のツナギから革パンに履き替え 革ジャンを羽織はお

早く 早く とはやる気持ちを抑え つとめて平静をよそおって 「じゃあちょっと行ってくる」と妻に声をかける幼い自分に少し気恥かしくなるが バイクに乗ることにワクワクしている自分を嬉しくも思う

暖気の為にエンジンを掛けて ヘルメットとグローブをゆっくり丁寧に着けてから バイクを家の前に出し 跨がる

クラッチを握りギアを1速へ

アクセルを絞るようにジワッと開けてクラッチを繋ぐ

ドウゥゥー 低く排気音が響く

そのまま道路に出て 2速…3速

景色が流れ出す

ブレーキの効きを確かめて

4…5…6速 今度はシフトダウン

5…4…3…2…1速 一時停止の標識で止まり 再スタート

「良し 問題無しだ」


ヘルメットのシールドを開けてのんびり走る

空は春らしい薄雲がかかった様な青空

肌には穏やかな春の空気そして気温が上がる気配を感じる

ニンジャの気温表示はすでに18℃ 革ジャン革パンを通しても暖かな陽射しを感じる程だから 午後に向けてまだまだ上がるだろう

この暖かさなら開花予想が遅れていた高遠の桜も一気に咲くかも知れないな

そんな事を考えながら塩尻峠にむかう

塩尻峠は岡谷ICからの上りも全線2車線に整備された 昔の1車線のクネクネ道を懐かしく思わなくもないが 快適な道路になるのは良い事だ

国道20号を走り 岡谷ICと塩尻峠との分岐の信号で止まった

ウィンカーを左に出して信号が変わるのを待ち

信号が青に変わるのと同時に私のスイッチも切り替える

前の車が動き出し 走行車線に入ったのを見て追い越し車線から抜いていく

大きくアクセルを開けて2速…3速

シフトアップのたびに体がシートに押し付けられ バイクは前へ 前へ

青信号を通過して右カーブ 腰を少しイン側にずらしながらブレーキ バンク アクセルを開け後輪に荷重を移しながら更に加速


そう… この感覚だ…


私は今年もまた バイクで走り出す


季節は春 始まりの季節だ















 





 



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