Dr.フヒョー診療所

URABE

医師はサービスではなく、技術を提供するプロ



陰で文句を言われやすい職業の一つに「開業医」があげられる。感謝される仕事のはずが、なぜ文句を言われなければならないのか。知人の内科医がこう言う。



「ネットの書き込み、あれはひどいですよ」



今どきは店を利用した際に、SNSや検索エンジンへ評価や感想を投稿するのが主流。アカウントからの身バレを防止するために捨て垢で投稿する人もいれば、本アカで堂々と存在感を示す人もいたりと、さまざまな手段で爪痕を残そうとする。



本人アカウントの場合、発言内容の信憑性は高い。とくにオシャレカフェやオシャレレストランの口コミは参考になる。なぜなら「オシャレ」な店へ入る客はある程度傾向が似ているため、ネットで情報収集する客層とも合致するからだ。


実のところ、味のクオリティや店員の態度より、店の雰囲気やオシャレ度、そして何よりSNS映えについてのリアルな情報がほしいわけで、それ以外の情報はさほど重要ではない。


というわけで「オシャレ」という共通価値観は意外と共有できるのだ。




それに比べて可哀想なのは、個人開業のクリニック。診察の良し悪し、治療やオペのスキルなど度外視で、個人的な感情のみの爪痕を残されることが多い。


「クリニックは綺麗ですが、先生の態度が最悪です」


「ロクに話も聞かず、流れ作業で患者をさばくひどい医者です」


なるほど。これだけを読めば「嫌な医者だな、こんなところへ行くもんか!」となりそうだ。しかし実際に、口コミで「ひどい医者」に指名されたドクターの診察を受けると、その印象は異なることが多い。




「電話の対応が悪い、って書かれたことがあるんです。でもそれ、休診日どころか大晦日ですよ。症状も風邪かな?というくらいで」


思うに電話をしてきた人物は、「かなりの重症だから、すぐにクリニックへ来てください!」という模範解答を期待したのだろう。


だがそれを、無下に扱われた上に診察すらしてくれないのだから、患者としてのプライドが傷つく。そしてその「やり場のない怒り」が未病人を突き動かした結果、ネットへの書き込みという形で復讐を果たしたのだ。




「診察の結果、とくに異常はありませんと答えたら、後でネットに『詳細を伝えてくれなかった』って書かれたこともあります。異常がなかったんで、それ以上伝えることなどないのですが・・・」


健康であることを確認できたわけで、本来ならば喜ぶべきところ。だが患者というものは、どこか少しでも悪いところを見つけてくれた医者こそが名医、と考える。


つまり「異常なし」では手土産が足りないわけで、


「この数値が若干高いですが、これは正常範囲内ですので問題ありません。よって、どこにも異常はありません!」


と言わなければ納得しないし、不親切呼ばわりされるのだ。




――こうして医師は疲弊し、慢性的な医者不足へとつながる。




逆に、高評価の医師の口コミを見ると、


「患者の話をじっくり聞いてくれる、素晴らしい先生です」


「東大医学部出身の信頼できる先生です」


「明るく優しい先生で、会話のキャッチボールができます」 


おいおい、肝心の診察や治療についての評価はないのかよ!とツッコミたくなる。


たしかに医師や看護師は、ある意味「接客業」ともいえる。とくに看護師など、優しい笑顔の「白衣の天使」でなければ確実にクレームにつながる。人の思い込みというのは恐ろしいものだ。




最終的には、


「あの先生、オペは下手だけどいいのよ。よーく話を聞いてくれるし、欲しい薬はなんでも出してくれるから」


というのが高評価の医師の基準となるだろう。もはや病気や怪我に対する知識や経験などどうでもいい。医師は人柄で判断されるのだから。




こんなことなら、ロボットが医師の役割を担うほうが安全かつ高度な医療を提供できるだろう。なぜなら、機械相手に愛想を求める人間はいないからだ。相手が人間だからこそ、ちょっとした仕草や表情に文句をつける。人間だからこそ、人間らしさにこだわるのだ。




高度な知識と技術を提供するプロに「お愛想」は不要。逆に患者、もとい顧客もそのつもりで受診しなければならない。極端な話、自らの命を預ける相手を表面上の態度で決めてはならない。信頼関係は、人柄だけでは構築できないことを肝に銘ずるべきだ。




そういえば、外科医の後輩が言っていた。


「外科的手術では全身麻酔を好みます。我々のやりたいように進められますからね。局所麻酔だと患者さんに意識があるので、余計なところまで気を使わなければならず、オペに集中できないんです」


これは結果的に患者が損をしている。医師のパフォーマンスを最大限に享受したいなら、医師の好きにやらせるべきだ。




そしてこの「患者優位な医療環境」を作り上げたのは、国民皆保険制度の弊害といえる。おしゃべりで暇をつぶすのが医療ではない。医術で病気をなおすことが、本来あるべき医療の姿。


患者である我々が日頃から健康に意識を傾け、必要な時に必要な医療を受けるという習慣をデフォルト化したいものだ。

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