第7話


 第6話


 宇宙開発中期。地球近傍に曳航され資源供出先として穴だらけにされながら「第二の月」という俗称で親しまれこれを正式名称とし、連邦宇宙軍随一の軍事拠点として現在はLー3を周回している。


要塞「ルナツー」。


 先の大戦では連邦軍反攻の実質的な発起点であり、現在は地球圏防衛の拠点、最終線である。「地球本国艦隊」の新たな母港はここにある。

 その戦略重心としての存在は、現有戦力、そして何よりロケーションから或る意味、レーティング次第では南米のそれをも凌駕するやもしれない。

 それ程の要地である以上、人選は慎重を極めた。有能であることは無論、何より、南米への揺ぎ無い忠誠がその評価基軸とされた。

 しかしそれでも現職基地司令官、ジェイムズ・メクレラン中将閣下はなかなかに複雑な人物であった。

 表面上の能吏、南米の茶坊主という彼の外観に嘘は無かったが、その内面にまで踏み込んでの表現では無かった。エリート軍人として栄達のヴィクトリーロードを驀進している様に見える、実際にもそうである彼の心内、軍での成功は目的ではなく実は手段でしかなかったのだった。

 政界への踏み台、足掛かり。

 そう、明かしてしまうと、なんとそんな余りにもありきたりではないか、という処に見えるがそれは真実の一断片でしかなかった。

 実際、彼には生来、抜群の政治センスが与えられていた。

 そして何よりリアリストでもあった。

 現在の連邦政界、議会が、軍の深い関与……公の場で表立って述べられる事は無いが、軍政、という現実の前に、いかなる言葉遊びも空しかった。

 そして皮肉な事には、今、連邦政府が置かれている環境で、こうした施政がかなりベターである事にも、彼は一定の理解を示せてしまうのだった。呪わしくも。

 彼が政治を志して以来、先の状況は全く好転せず、寧ろ日々確実に、しかも急激に悪化しているかに、少なくとも彼はそうした評価を下していた。

 だから、軍なのだ。

 今のこの歪んだ政界で発言権を得るには、軍の背景を得る事が最も効率的であり、かつ確実なのだ。

 今日に至るまで、彼はその志を、上官部下同僚はおろか、近親者にすら明かした事は無い。唯、彼の深奥深くに畳み込まれていた。

 軍人が欲心から目指す政界入りでは無く、自身のキャリアとして軍務に精勤する仮面政治家。

 この時点では。

 その内心を伺い知る訳では無かった。連邦軍の人事部考査を以ってしても其処まで立ち入った評価は不可能であったが、地球と宇宙の端境に位置し、その戦力以上に尚政治的な存在として顕現していた「ルナツー」という拠点を治めるに、彼という人材は正に比類無き適材として任官されていた。

 ではあったのだが。彼には重大な欠格が同時に存在した。

 全く、と表現して差し支えない程に、彼には軍才が無かった。

 質の悪い事には、表上ではその傷が見えにくい事だった。

 古今東西の戦場と戦訓を諳んじ、幾百の兵法書を読みこなして来ている彼に全く隙は無かったが、それは膨大なデータベースを持ちそこから解法を読み解いているだけの単なる事務処理であり、眼前の敵を自らの指揮統率により自軍を用いて撃砕する将器が放つ輝きとは似て否なる、どこまでも優秀な軍務官僚としての才能でありその一線を越えられていなかった。

 自身、胸奥深くでは無自覚の中に、方便として今は身をやつしているがしかし、軍人を賤業として侮蔑し今の時代というもの、政治家が率直にその志を立てられないこの状況を呪詛していたのだから根は深かった。

 だが構わない、と南米は割り切っていた。

 南米の意向を正しく汲み取り、巧みに翻案しそれとなく前線の艦隊屋どもを教え諭す。その要石として有能でありさえすれば職分は全うされる。

 「ルナツー」を軍事拠点として機能させる役回りは、また別の誰かが行えばそれで良い。

 その男は今、自ら前線との定時連絡を行っていた。

 一通りの定型情報の遣り取りの後、回線は秘話モードに切り替わる。

 周囲にそれを咎める者は存在しなかった。

 否。

 南米無き今。男の周辺には急速に不穏な空気が醸成されつつあった。

 男の態度自体には、全く、以前から変わるものは無かった。

 大きく変わったのは彼を取り巻く環境だった。

 今日まで、「ルナツー」を軍事面で支えて来たのは、間違い無くこの男の功績だった。

 だが男は、ナンバーツーとしてすら前に出る事も無く、まるで変換機械の如く、司令の意向を粛々と命令に置き換え、日々基地の士気と練度を高い水準に保ち、機材に目配りを続けて来ていた。

 だがそれはあくまで表面的な模範生として副司令を演じているに過ぎず、彼の真意は別所に在った。

 そもそも、彼が今ここに配属されている事自体が、艦隊派の不慣れな、地道な政治工作の成果、その大きな一つだった。

 彼はそれを深く理解していた。

 表の顔とは別に、基地を掌握すべく、入念で慎重な働き掛けを要員に向け確実に積み重ねていた。

 結果、「ルナツー」は南米、現司令を筆頭とする事務方と彼等、「コンペイトウ」を本拠とする艦隊派により完全に分断されていた。

 そしらぬ顔で、司令に対しそうした現状の確執を嘆いてみせる裏で、その首謀者は実は男自身だった。

 無論、司令はそれに気付いていた。

 だが、口にして質す事は出来なかった。

 危険に過ぎた。

 実際、基地の現有戦力の総てを統括し、掌握しているのはこの男だった。誰もそれを表だって言うものは居らず、指揮命令系統もその男本人の指導により厳正に維持され、司令が粗略に扱われるような事は一切無かった。

 しかし今。南米が壊滅した今。

 基地内の空気は明らかに異変を孕んでいた。

 男自身は今までと全く変わる事無く精勤に励んでいた。

 動いていたのは男の周辺だった。

 やんわりと、しかし確実に、基地内に残る南米組を排斥し、或いは手懐けている。

 その動きは急激だった。

 今までもそうした兆候は存在していたが、一部の、男に感化された者によるたわいない派閥形成、それも弱小の部類だった。

 男が実質的に基地の実権を掌握している事は公然の事実、南米が承認している人事だったのだ。その事自体が何らかの齟齬を産む材料は何も無かった。

 思えばそうした二重構造自体、既に現時点での連邦軍が持つ歪み、その顕著な事例でもあったのであろう。

 少なからず不愉快ではあるが、今の事態はメクレランに取ってまだ許容範囲ではあった。南米の変事に、確かに「ルナツー」も浮き足立っている観はあった。“副司令派”の躍進は、そうした基地に一種の鎮撫をもたらしてもいた。指令の一時的な途絶により部隊の中にも不安や混乱も生じていたが、それらも今は復し収まっていた。

 実際、この状況で副司令はよくやっている。メクレランとしては副司令との信頼関係さえ保持出来れば、その統率に意趣は無く、むしろ好都合だとさえ考えていた。

 それは、実はメクレランの夢想でしかなかった。

 信頼関係など、仮初めにさえ、初めから全く存在しなかった。

 不可能だった。

「しかし、つまらぬ騒ぎが起きたものですな」

 眼鏡、と呼ぶには派手で大げさ過ぎる、視力矯正具を顔に載せた男が言う。

 バスク・オム。階級は大佐。

 公国が前哨戦としての不正規戦を連邦に挑み始めた時から前線に身を置いて来ていた、生粋の戦争屋だった。

 基地司令に負けず劣らず、彼もまた曲折ある生を抱えて今日に至っていた。

 彼は、敵であるからこそ、公国とその手勢に何とか理解を示そうとしていた。

 その彼の人生が一変したのは、旧名「ア・バオア・クー」攻略作戦への参加だった。

 その最も激しい攻防が戦われた作戦中盤、彼が乗り組んでいたマゼラン級は敵機の近接攻撃を受け、主砲塔群全壊、MSデッキも損壊し戦闘艦として機能を喪失していた。

 残る戦力は乗組員だけだった。

 艦は要塞への降下を敢行し、それは辛うじて成功。

 彼も、小隊規模の臨編陸戦隊を率い、要塞へ降り立ち、その突入を指揮した。

 彼の小隊にはGM1機が火力支援に割り当てられていた。

 そして彼は、遭遇した。

「前方にゼロ・シックス、ワン、ツー。支援願う」

 だが敵機の動きは妙だった。

 何故か背後の陣地に籠もらず、その前に機体を晒している。

 GMはその2機を難なく撃破した。

「小隊、前進」

 陣に向け隊を進めると、理由が判明する。

 そこには、小隊の倍以上の兵数が確認された、のだが。

「待て、攻撃待て」

 敵は完全に戦意を喪失していた。何の抵抗も示さなかった。

 震え、互いに抱き合い、或いは泣いている。

 オム少尉は舌打ちした。

 少年兵。

 少女すら、いる。

 全く戦力にならない彼等を、猟兵装備を配布しこうして外に配置。

 なけなしの弾避けとして使い捨てられたのか。

 しかし同所に配属された、これも戦力として期待出来ない旧型機は不憫に思い。

 身を捨てて護ろうとしたのか。

 どうします。

 隊付き軍曹が眼で促す。

 全員、この場で射殺し、前進を継続する。

 我々は何も見なかった、知らなかった、敵陣の一つを攻略したら、そうだった。

「もちろん、条約を遵守する。艦まで後送してやれ。軍曹、君が指揮を執れ」

 軍曹は黙って頷く。兵の何人かに素早く声を掛け、次第を指示し。

 その時だった。

 何かが小隊を吹き飛ばした。

 故意であったか、暴発だったのか。

 今ではもう判らない。

 至近距離から、対MS、猟兵装備での射撃を受けた。

 その一撃で小隊は壊滅状態に陥った。

 気が付いたとき、捕虜になっていたのは少尉だった。

 余圧区画で、少尉は縛り上げられ、その少年、少女達と向き合っていた。

 危険な兆候だと彼は思った。

 立場が逆転し、今彼等には、歪んだ自信と、次第に高まる、狂的な戦意が見て取れた。

 兄さんは、ソロモンで死んだ。

 静かな声が、一つ、響いた。

 親父はジャブローで。

 声が続く。

 自ら発する言葉に彼等は煽られ、言葉が行動に、そして自然と暴力に発展する。

 罵倒され、こずかれ、殴られ、蹴られ、引き倒された。

 結局、彼等はその狂的な熱狂のまま後続の連邦軍部隊と交戦し、あっさりと全滅した。

 彼は、瀕死の状態で辛うじて友軍に救出された。

 両目は弱視に。

 そして未だ少し、左足を引き摺るのはそのときの後遺症だった。

 そうした外傷以外に、徹底的に改変されてしまったのは内面だった。

 自分の判断に間違いは無かった。

 悔いは無い。

 ただ。スペースノイドという人種が、唾棄すべき人類の穢れなのだ。

 地球の温もりを識らず顧みず、宇宙などで活き暮らす内に凍て付いてしまったのだ。

 敵に情けを掛けた、それが間違いだったのではない。

 あの様な異物を理解し得る、それだけは恥ずべき傲慢だったのだ。

 奴らを、殲滅する。

 それが、人類の犯した過ちを正す、唯一の方途なのだ、と。

 その後も彼は前線に身を置き続け。

 戦後であるにも関わらず、打ち立てた武勲により大佐まで駆け上がったのだ。

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