第8話


 第7話



 艦隊派、といっても、完全に南米と袂を分かつ、敵対的な派閥であった、ということでは無かった。

 南米が、軍政を基にある意味軍人の職分を越えた、連邦市民、人類全体の視座により施策を執り行うを旨としていたのに対し、艦隊派の主張はそれを驕慢と弾劾、軍人はその本分を全うすべきで、全力を尽くし、後の事は後の者に委ねればよいとする、強硬論を専らとしていた。

 調整型を貫く南米の眼からすると、これは余りに短兵急で、青臭い理想論であった。

 多少の火種を抱えようと、否、その不安材料が存在するからこそ全体として安定を見るのであって、艦隊派の主張は現実の構造から敢えて眼を背け自らの主張を声高に唱える似非理想主義者の空論であり、顧みるに値しないと一笑に付して来た。

 しかしながら、前線での局地的な苦戦、公国残党との交戦を余儀なくされている者達のその殆どが艦隊派、このクソッタレな戦争に一度“ケリ”を付けてしまえ。という思想に組していたのだから話は簡単では無かった。

 だが、現場の声を取捨しつつ、慎重に、我が方有利の戦術環境を維持していった結果、艦隊派内部でも緩やかな分裂が進行していった。このぬるま湯の戦争でそこそこ武勲を稼ぎ、足を洗い余生を過ごす者。それで利潤を上げる者。そうした堕落に耐え切れず更に先鋭化する者。ここでも南米は一定の戦果を挙げることに成功していた。

 そして南米の圧力が消失した今。

 最も純粋に精錬された男達が動き始めようとしていた。

 彼もその一人だった。

 その一人、という表現は不適かもしれない。間違い無く、領袖の一人であった。

 最強硬派である、地球原理主義者だった。

 これはしかし同時に、宇宙入植者を“異端”として無条件に排斥する過激派を意味するものでも、またなかった。

 彼も当時政府の宇宙入植方針については佳く識り、理解もしていた。その犠牲者に向ける視線も備えていた。しかしそれはあくまで理屈であり、受け容れられるものでは無かった。最終的なその結論は宇宙空間居住の完全廃絶、火星テラフォーミングをも睨んだ人類社会の変革だった。

 或る意味、これも完全に軍人の職分を越えた発想だったのだが、この矛盾に気付く者は少なかった。戦争の完全なる終熄と人類の新たなる幕開けは彼等の中では不可分に存在していたのだから。

 そうした意味で、それを完遂させる手段としての軍は、その権威と実力を高度に維持する必要があった。その点では彼等は南米と歩調を同じくしていた。

 今も。

「上手の手から水が漏れる。策士、策に溺れる」

 男は軽い吐息を漏らす。

「人間というものは、なかなかどうして学べんものだな、バスクよ」

 ジャミトフ・ハイマン。階級は准将。

 「ルウム」で敗北の矢面に立ち、「ルナツー」で敗残を率いて蟄居し、旧名「ソロモン」、「ア・バオア・クー」で完全に汚名を濯いだ。

 以後、「コンペイトウ」に居を構え、隠然たる勢力を展開して来た。

 准将という階級は不当だった。彼の武勲に照らし、あと二つ、最低でも一つ上が相応しい。

 無論、これは意図的な、否明白な南米の意向であった。

 制御下にない、こうした存在は危険だった。南米的には、後方でもなく前線でもない、半端な中間基地での無任所の閑職、という扱いだったが、それでもこの男の力量を見誤っていたとしか言えない。

 こうして、舌先三寸で遠く「ルナツー」をも支配下に置くこの男を。

 当然、只の口舌の輩でないからこその勢力伸長なのだ。

 彼は、今、連邦軍戦争屋の頂点に君臨していた。その幾多の戦場を踏み生き抜いて来た彼の言葉であり思想であるからこそ、将兵の我が身我が思いとして理解も共感も勝ち得ているのだった。

「しかし今回の件、不都合も多いこと、ですな」

 単刀直入、バスクの言葉にジャミトフも露骨に顔をしかめてみせる。

「全くだ。……しかし南米の失態の尻拭いとはな」

 ガンダムVSガンダムの映像が世界に与えた衝撃は想像以上のものがあった。

 ガンダム。現代の神話、連邦の守護神。

 軍が長年を掛け宣撫の材料としてきたものが、一夜にして泥人形に変わり崩れ落ちたのだ。

 “ガンダム”が“ガンダム”に負ける。

 それは、“空が落ちる”という、コロニー爆撃以来の精神外傷を、その映像を見た連邦市民に刻み込んだ。

 必死の調査に関わらず、映像の出所、配布元は確定されていない。

 オリジナルはアップロードから1分経たずに削除され、拡散と視聴禁止を呼び掛けているにも関わらずネットではコピーとその感想を語る声が無限に増殖している。

「地上のことは地上に任せればよいが」

 宇宙のことは、でありますか。

 バスクは胸中で呟く。

「我々には別の使命がある。そうだな、バスクよ」

「仰せのままに、閣下」

 バスクは殊勝に頭を垂れる。

「そう、良い風だ。我々にはな」

「南米の圧力が弱まった今。好機ですか」

 ジャミトフは軽く眉を上げ。

「わしの一存ではどうにもならんが。コリニー提督は動かれるようだ」

 そして、バスクから少し視線を逸らし。

「機、ではあるのかもしれんな」

 呟くように告げる。

 宇宙での事情。

 それは取りも直さず、今回の主犯であるDF(デラーズ・フリート)無所属の各公国残党戦力。

 そして、ハマーン・カーン率いる「アクシズ」の三者に外ならない。

 アクシズ。公国時代にダイクーンが建設に着手した小惑星基地である。ソロモンやア・バオア・クーを地球圏に送り出す際の司令基地として機能していたが、1年戦争でのダイクーン敗戦以降はそこに駐留する勢力を指す言葉ともなっている。自ら航宙能力を持ち、今この瞬間も地球圏に向け着実に距離を縮めつつあるその存在を明白に認識していた者は、軍にあっても一部の高官に限られていた。現在は要塞化し、独自の艦隊、MS戦力をも整備保持する最大勢力であった。

 つまり、南米の上得意であったのだ。

 宇宙に緊張を演出し、軍の存在と必要性をプレゼンスし、維持強化存在理由を主張するその対抗勢力こそアクシズに外ならなかった。

 そしてその関係は、今日まで極めて良好なものだった。

 アクシズはとにかく時間が欲しい。

 時間はアクシズを育て、事実を既成化し、その存在を強固なものに変えて行く。

 南米にも否やは無かった。

 アクシズの勢力進捗など所詮、制御下にある。如何に独立の拠点だとて完全に孤立して存在出来る訳ではない。そこには必ずロジが存在する。その緩急を完全に南米は掌握していた。アクシズがつけ上がればこれを締め付け、態度を軟化するならまた緩める。

 これが、“アクシズ100年戦争”の実相だった。


 宇宙の一室とは思え無いほど作り込まれた居住区の執務室。

 摂政の間。

 不必要なくらいに広いスペースの中央、正に玉座の呼称が相応しい豪奢な作りの椅子に掛けた、燃える様な赤毛の少女が、傍らに侍る政務官と楽しげに語らっている。

 人払いか。広い部屋に人影はその二人だけであった。

「面白い、と思うか。ユーリ」

 手にした公電を戯れる様に二、三度揺り動かし、近侍の手に投げ渡す。

 初老の男は手にしたそれを読み下す。

 少女と初老の男。

 まるでどこか名のある家のお嬢様と筆頭執事、の様にも一見、見えるが。

 可憐な外観にそぐわず、決してお嬢様、などではなかった。

 それは二人の会話を聞けば判る。

「これは」

 男の言葉に、彼女は歌うように応えた。

「ジャブローとの取り決めなど無効、なのだそうだよ。我々は連邦の安寧を脅かす不法武装勢力として問答無用で処罰されるそうだ」

 くすくすと、これは少女めいた笑いを浮かべる。

「なあユーリ。私はつい昨日まで、連邦軍は身も名もある確とした軍隊だと思っていたし、そうした態度で今日まで遇して来たのだが。何だろうなこれは。規律も統率もあったものではない。これがあの栄えある連邦軍とは情けない、そうは思わんか。それと、今であれば投降を受け容れるそうだが。私は皆の安全を担保にこの身を捧げるべきだろうか、皆はどう考えるかな」

 お戯れを。という微笑を浮かべ、男は応える。

「最後の一兵まで、御伴申し上げますとも、閣下」

 少女は、少しだけ寂しげに。

「そうだ。我々は今日までそうして生きて来た」

 決然と顔を上げる。

「そして、これからもだ」

 やれやれ、という顔で。

「しかし閣下。正に御慧眼、言葉がありませぬ」

 おや、と幾分、意外そうに。

「そうか。南米が“ああ”なれば当然とは思うが。身内の恥故、奴らも嗤ってばかりは居られまい」

 それにしても、と少し虚空に眼を置き。

「ガトーとやら。これは戦働きが過ぎたか。ああまでされては、連邦とて何らかの始末を付けずにはいられまいに」

 男は探る様に少女を見る。

「脱出についてですか」

 少女は、ハマーンは、僅かに瞑い眼を見せ、告げた。

「支援も限られる。或いは、いや」

 軽く頭を振る。

 言葉遊びは止めておこう。

「極めて難しかろうな、これは」

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