第6話


 5.


 ジャブロー襲撃。


 デラーズ・フリート少佐、アナベル・ガトーの指揮により決行された、後に「ギアナ事件」の名を以て呼ばれる、僅か3機のモビルスーツによる作戦が連邦軍に与えた損害は計り知れなかった。


 軍の声名は泥に塗れ踏み散らされた。決定的に。


 といって、それもこれも未だ彼には意識の埒外だった。


 肩が、軽い。

 久しいことだった。

 若い時分、そう、SOFの一員、ポイントマンとして未来を輝かせていた。

 高高度侵入低高度開傘。初歩の初歩。

 躓いた。

 着地寸前の風に煽られ、左の肩を砕いた。

 フィジカルとしては軽微な現象だったが、治癒後にも何故かそれは幻痛として彼を苦しめた。実戦の一線には、最早滞在出来なかった。

 軍の人事は、彼に新たな職場を与えた。


 情報、という。


 意外に、という評価は不当だが、これはベターマッチだった結果として。目の前のインフォを評価し即座に如かるべく伝達する彼の嘗て職分はここでも十全に機能発揮せしめたのであった。


 情報貴族からすれば彼は山猿だったがしかし、ベストマッチを示した。情報貴族をケ散らし彼は駆け抜けた。実績は何よりのプロペラントだった。

 職能に忠実であるが故に、そして野心と無縁の職能であるが故に。ふと気づくと情報畑のトップに彼は存し、それでもそれ以上でも以下でも無かった。


 そして再び今……。


「お気づきですか」


 将官付専属軍医の声に気を戻した。


「あぁ」


 声ともない声を発する。


 ちらりと視線を走らせる。

 無かった。

 左肩が切除されている。

 そうか。

 寧ろ安堵と共に思う。

 彼は軍医に目を向け問いかけた。

「私の他に……」


 違和感を覚える。


 彼が言葉を発するなり、軍医は明らかに狼狽した様子を隠さなかった。

 目線を動かす。他の者の影は無い。

 これまで、余りにも磨き込まれ使い込まれて来ていた彼の頭脳は、直ちに一つの最適解を導いていた。

「全滅、だと。我が軍の幕僚が、か ?」

 ああ、いえ。

 軍医が弱く否定する。


「タツミ大将が存命です。両足切断ですが、命に別条はありません。元帥は……意識不明です。現段階では回復の兆候はありません、残念ですが。」


 一瞬、彼の思考は停止し、次の瞬間事態を冷静に受け止める。


 事務屋二名を残して。


 全滅では無いな、ああ。潰滅、に訂正しよう。

 胸中で吐き出す彼に構わず、軍医は言いにくそうにこう告げる。


「軍規に即しまして、貴職が現在、我が軍の最上位者に該当します。ジュンガン大将、ご命令を」



 次に目覚めたとき、世界が変わってしまえばいいのに。

 そんな、幼少時であれば誰にでも当たり前の夢想を、まさか今になって突きつけられるとは。

 自分が軍の、次位に叙されるなどと。

 質の悪いブラックジョークでも無ければ、悪夢だ。

 幸いにして、現在の最上位者、ジュンガンは信頼出来得る男だった。少なくとも人事屋としての自らを肯定する限りに於いて。

 幕僚の再建を行う、とジュンガンは彼に宣した。

“再編”ではない。“再建”を、だ。


「現時点で可能な最適な人材が欲しい。それに最も必要なのは貴職の評価だ」

 もともと権勢とは無縁の二人が無害であるが故に各々部門の最上位に上り詰め、今また軍のトップとセカンドを占めたのは皮肉の一言では済まされない巡り合わせを思わせる現今だった。


 取り敢えず最低限の、そして望み得る最高のパフォーマンスを実現すべく軍制の再建に着手する傍ら、軍が連邦から期待され求められているその本来の役柄を演ずべく、現有資産と環境下で為し得る戦略、作戦、戦術を構築し提示する必要も当然存在した。


 そして、元帥の苦悩、逡巡と直面することになる。


 先の会議の通り、公国残党を殲滅することは正直、容易い。もたらされる平穏を世論も無条件に歓迎するだろう。


 だが、その後は。


 軍は解体にも等しい削減を受けよう、軍需産業も軒並み縮小、廃業に追い込まれるだろう。それはいい、当然の帰結だ。だがその社会的影響は。


 現在の連邦軍は強大な存在であり、そして強大で有り過ぎた。莫大な雇用を創出し、市場を提供している。それが一気に消失したとき。世界はその変化と負荷に耐えられるだろうか。軍産複合体が牽引する現在の歪な産業構造が、そのまま健全な民生経済にソフト・シフトし得るだろうか。


 それは政治の役割ではないのか。確かにその通りであるのだが、その政治が過ったのが先の大戦なのだ。そしてゴップらが求めまた求められるがままにだらだらと、軍政を引き摺り挙句、軍の事情を先に置いてきた結果、両者が描く醜悪なプラスサムな関係は連邦の政治を一途に衰微させている。このまま“緩い緊張”を演出しつつ軍にゲタを預けていれば与党は安泰なのだ。それが。


 否、それでも。今はDFを叩く、叩き返す以外にはない。最低限、02を破壊する必要がある。地下サイトから出現し、連邦のガンダムを文字通り圧倒的に叩き伏せた英雄として反政府勢力の偶像に祀り上げられている02。“あの”ガンダムがガンダムに、負ける、という衝撃のライヴ映像は現実の戦果で以て打ち消すしかない。



 さて。

 やれ史上初の宇宙艦隊戦だ機動兵器だと華々しい道具立てに目を奪われ勝ちになる先の大戦だが、そうした表象に幻惑されずその実相を確認していきたい。

 まず、その旗印とされた「独立」という名分だが、過去の総てと同様、そこにも「正義」は存在しなかった。その初動が近隣サイドへの先制核攻撃であったのだから公国の戦争は初手から破綻している。

「彼等が同胞であるからこそ」

 とギレンは強弁している。

「否!元来同胞であるべき存在だからこそ!安直に連邦に屈し我らに抵抗する柔弱にして卑劣な彼等をこそ!!討たねばならんのである!!」

 演説に観衆は一見熱狂にあったが、最も鼓舞されるべき対象であるところの将兵は上から下に至るまで、機械的に手を鳴らし或いは上下させ、口では力強く公国の栄光を讃えつつも何処か抑制が効いているその姿が残されている。現実に引き金を引いた者、命じた者。彼等は自身の存在を限りなく忌み、呪わしく思っていた、そうした記録も多い。

 義、どころか一分の理すら無い、と。


 ギレンには存在した。否、彼の立場では端からそれしか無かった。

 仮に逆にもし。ギレンの恫喝に公国近隣領の一部なりとてが屈していたら。

 公国は無駄に戦闘正面を拡大し、戦力を拘束され。

 身動きが取れないまま連邦軍によりそのまま「鎮圧」されていたであろう。

 むしろ政府はそれを企図していた。公国の明白で危機的な策動に臨み不自然な迄の鈍重さは、最も効率的な事態の早期解決の手段としてでもあった。

 その根底には、無自覚にも公国への、ギレンへの理性が期待されていた。

 しかしギレンが用いたのは狂的な理であった。

 核の焔により近隣を“根切り”にして除けたギレンは、敵策源と国力を破壊しつつ戦争の主導権を掌握し、同時に戦力行使のフリーハンドをも獲得した。

 結果、公国は地球方面に向け戦闘正面を局限。全戦力をこれに投じ得た。


 ところで、ルウムに於いての軍の迎撃が低調であったのは何故だろう。


 そう、いま、「軍」と記した。


 この時点で、“連邦”政府には未だこの事態が戦争であるという認識が希薄だった。この期に及んで、という但し書きが必要だろうか。政府はこれをコロニアンの内紛と位置付け、そうした枠組みでの解決を希求していた。議会は不拡大の空気に支配され、公国による強硬な政治工作も功を奏し“消極的な中立”の空気が醸成される混淆の中、連邦政府は当事者としての能力を、その意識すらをも剥奪されていった。

 そしてそうした“民主主義の残滓”に現地指揮官、レビル中将の可能行動は縛り付けられていた。

 敢えてまた、もし、仮にこのとき、ルウムに於いて。軍による全力迎撃を可能なさしめる状況が実現していた場合。なるほど、それでもレビル艦隊は壊滅していた、恐らくはレビルも戦死していたであろうがしかし、例え相討ちであっても公国艦隊戦力に必要十分な打撃即ち、これ以上の進撃に再考を強いるような痛打を与え得た、純粋に可能性を論じることが許されるならばMSの有無に依らずとも、レビル艦隊にはそれが十分に可能だった、という評価が現在では有力である。それはつまり、公国の対艦戦術核攻撃に対し、同じく、核を以て応えていたならば、という想定の下となるのだが実はこれが重要な意味を持つ。

 それがあらゆる意味で不可能であったことは既に述べた通り。政治の都合により連邦軍は貴重な戦力、何より替え難い数多の将兵、宙戦に精通した熟練兵の無益な損耗を強いられた。



 そしてコロニーがジャブローへの落下軌道に乗る。それが確定する。


 軍首脳の大勢は降伏にあった事実を知る者は少ないだろう。通説の、徹底抗戦を呼号する声は皆無だった。コロニーを弾き、ジャブロー以外に。


 落とす。


 どこに落とすというのか。例え仮に大洋へと誘導出来たとて。連邦市民の生命財産、損害は計り知れない。


 被害の局限。それはつまりこのままジャブローに落とす。それ以外の選択は、無いのだ。


 我々は負けたのだと。



 護民、という軍人としての本務、矜持。最後の一線。しかし敗北に恐怖し、保身に溺れ。断乎。これを退け徹底抗戦を叫んだ声こそ政治が発したものだった。



 軍は命に服した。再び。



 同時にそれは政治の自死でもあった。不本意にも軍政の幕が上がる。


 地球軌道で背水の布陣、遂に総ての制約を解かれ最大戦力を発揮し対峙する連邦宇宙軍に、これを排除、作戦を完遂すべく公国宇宙戦力もまた全力で殴りかかる。

 

 コロニー撃破を余地無く作戦目標として単一化されていた連邦軍に対し一方、公国は些かの事情を抱えていた。

 公国宇宙艦隊は、この時点で遂に作戦可能、稼働限界を迎えていた。

 長年使い込まれ、また宇宙での活動を前提する機材として十分な冗長性を与えられている連邦軍艦艇に比べ、火力、機動力、耐久性、可能な限りの省力化に加え工数縮減かつコストカットとあらん限りの要求仕様を突き付けられ建造された公国艦艇は結果、ただでさえ技術的蓄積での劣弱に重ね当然の如く余裕の無い、信頼性に乏しい機材とならざるを得なかった。ここまでよく持久させたがしかしこの一戦、これ以上の作戦続行はさすがに不可能だった。

 もう一押しで、連邦軍は瓦解する。

 公国の作戦目標は連邦宇宙軍艦隊戦力の殲滅。これもやはり余地はない。少なくともギレンの戦争指導は一貫していた。

 だが、地球軌道まで攻め寄せた彼等の前に差し出された獲物は余りに魅力的に過ぎた。

 北米、太平洋、アジア、アフリカ。そして連邦宇宙軍地球本国艦隊の母港である大西洋基地。赤道に展開された根拠地群。

 例え連邦が艦隊そのものは早期に再建可能であったとて、策源を叩けば無力化する。

 これはその千載一遇の機会だった。


 第一目標、敵艦隊。第二目標、敵港湾、第三目標、敵艦載機群。


 連邦軍の火力はコロニーに拘束されていた。もとより、それは不退転ではあっても固守や死守ではなかった。ケスラー・シンドロームを惹起しかねない各種施設はそれが制御可能である内に爆砕処理され、大気上層で燃え尽きた。

 これを見て公国軍が戦いの手を緩めたのは致し方無い事だろう。コロニーは落ちる、敵艦隊は無力化した、弾薬も使い切った。作戦目標は十分に達したと。


 生残した連邦艦隊は南米に向け降下待避した極一部を例外に、地球軌道を離れルナツーに逃げ延びる。再建され南米から打ち上げられた連邦艦艇をして「直進以外何も出来そうにない」と公国の敵動態観測は評するが、ルナツー開囲を機にこれと合流、彼ら敗残部隊は貴重な人材プールとして、後に連邦宇宙艦隊の背骨となり反攻を支えるのだった。

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