鉃騎兵、跳んだ
小説にリアリティは必要か否か?
最近、知人から佐々木譲先生の著書『振り返れば地平線』を勧められ、しかしこれが何処にも売っておらず……。
『鉃騎兵、跳んだ』は佐々木譲先生著作のモトクロスレースを題材にした小説を原作とする映画です。石田純一さんが主人公を、熊谷美由紀さん(現、松田美由紀)がヒロインを演じられています。
バイク整備のクローズアップ映像からの導入はテンションが上がります。暗いガレージから明るい野外へと飛び出すシーンで、全然違うのですが『汚れた英雄』の冒頭を思い出しました。
いざ物語が始まると、石田純一さんのテロップに「新人」と注釈が入る時代で、その演技に少し不安がよぎり、熊谷美由紀さんの舌っ足らずな話し方も相まって、見てるこちらが恥ずかしくなってきます。
しかし観ていくうちに、熊谷美由紀さん演じる明るく奔放だけど一途で芯の通っている洋子のキャラクターに惹かれていき、彼女の言葉に苛つき勇気づけられ奮起していく主人公
映画のストーリーとしてはモトクロスレースが主軸にあるので、スポコン物とも分類できますが、バイクに対する社会からの偏見、バイクの魅力に取り憑かれた者の全てを捨ててでも賭ける情熱、それらがスパイスとなってかなり没入できる内容です。
物語の展開もラストも違和感なくすんなりと受け入れられたのですが、ここでふと疑問がよぎりました。
主人公の貞二は頑固でがむしゃらでバイクが全てといった典型的な熱いバイク野郎で、バイクに乗っている人は少なからずこういう性質を持ち合わせている(或いは過去に持ち合わせていて今は落ち着いている)と思うんです。
でもヒロインの洋子は、バイクに詳しくないのに「バイクに乗りたい」と貞二を逆ナンし、明るくてすぐやらせてくれそうな雰囲気だけど処女設定。まともに働いてて気前も良く、邪険に扱われても一途。しかも主人公実は他にもモテてる伏線あるけど洋子がいるので回収無し。
いや、こんな女の子実際にいますか? まるでふたりソロキャンを読んでいるような違和感。それとも私の世界線にいないだけなんでしょうか? 私はこういうの(特に処女信仰)がすごく苦手で、自分が書く小説にはあまり男目線で都合の良い女性を出したくないと思ってました。けど、これって物語なんですよね、フィクション。だからこそ理想の女性がいて、理想の恋があって、古いポンコツバイクが最新スーパースポーツを峠でぶち抜いて勝利する。そういうのがみんなが読みたいワクワクする面白い物語なんだなって。
そんなことに気付かされる、大変魅力ある女性でした、熊谷美由紀さん。
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