応援コメント

第五図 うはなり」への応援コメント

  • こんにちは。今日も、たどたどしく拝読いたしております。
    学生時代の知識しかなく、歌にもなると、意訳がないとついていけない💦
    梅と桜の精の争いだったのですね。梅が前妻、桜が後妻、そんでもって後妻打ちとは……。この時代にはよくあることだったのかもしれませんが、なんと罪作りな。
    ただの痴話喧嘩のような話が、美しい物語になるのだから、古文は本当に不思議です。

    作者からの返信

    すなさと樣

    コメントを頂戴しまして有り難うございます。
    私も和歌の解釈などは我流ですので、実は謬っていたり「仕掛け」に気付けていなかったりする部分はあるかもしれません。その点は何とぞご海容下さいませ。

    花々を擬人化する花軍(はないくさ)の物語はテンプレとして一定度、古典の世界には存在するようです。古の人々の創作力もなかなか侮れませんね。

    にしましても「色好み」といえばそうなのでしょうけれど、仰るように何とも罪作りな貴公子ですね。「うはの空なる心まよひ」などとぼんやりしている場合ではなかったでしょうに……。

    現代の出来事も古文の文体で物すれば多少は美しくなるだろうか、などと埒もないことを考えております。

    編集済
  • 「落花難上枝、破鏡不重照」は釈迦牟尼仏が体得した正法眼蔵涅槃妙心に通じる「このゆゑに大悟現成し、不悟至道し」の教えで意味深いですよね。

    破鏡不重照については、"覆水盆に返らず"のようにネガティブな意味もある反面、離散した夫婦が再び一緒になったり、別 離の夫婦がまた巡り会う''という意味でも使われるそうです。“破鏡"をめぐる伝説として、中国古典『神異経』に“夫婦の離縁"の悲哀として伝わる一方、中国説話集『太平廣記』巻一六六、「氣義一、楊素」では戦乱の世で離れ離れになった夫婦が戦後、再会した後、円満に暮らす物語が収録されているようです。

    それにしても、日本の戦国時代の離婚事情から生じた"後妻打ち"の風習もこのように物語として残され、今に伝わるのですね……。

    作者からの返信

    中澤樣

    コメント二件、頂戴しておりました。何時も有り難うございます。二件目へのお返事は後刻、改めまして。

    さて、ご注目下さいました「落花難上枝、破鏡不重照」の件ですが、実は原文テクストにはありませんで、私の解釈による潤色の部分となります(当私訳を「逐語訳」としない所以です)。

    先行研究による書誌情報を紹介文に引用しましたように、『桜梅草子』は小型の白描絵巻の形態、当然ながら作絵がありまして、その絵の様子も私訳の中に盛り込めないものかと思案し、原文テクストにない情報をその絵から拾い上げて私訳に盛り込む形を取りました(ちなみに『かざしの姫君』も同様です)。

    お見せできないのが大変残念なのですが、当該話と対応する絵の中では、庭に散った桜と梅を前に立ち尽くす貴公子の姿が描かれております。原文では「かへす〳〵も、ふしきなり」とだけあって、ただ余りにも素っ気ない感じがしたものですから、散った花片を、割れた鏡の破片の如くに見立てて「破鏡」の章句を想起して引用した次第なのです。

    まさに仰るように、内容的に別離の「覆水盆に返らず」を誇張するという意図、そして後篇の「仏教思想」的な結語を前提として、章句を仏典より引くことに一定度の必然性を持たせる(つもりの)意図もありました。

    紹介文にも挙げました堀口蘇山氏は、概ね仏教色薄く展開していく物語の最後に突如として仏教語が表れることに着目なさっていて「本巻が仏教教育思想上から創作されてゐることが判かる」とされる一方、「然しながら、詞書、絵全体に仏教臭くない処に、反て億量の貫禄を示してゐるものではあるまいか」とも評しておられますので、折角の物語に仏教臭を加味する拙私訳などは「原典の文学的価値を損ないかねない」とお叱りを受けてしまうかもしれませんが……(笑)

    にしましても「破鏡」をめぐる説話、慥かに「破鏡重円」「破鏡合一」ということもありますから、別離の先の再会も有り得るんですね。拙文を物する最中には思い至っておりませんでしたが、そうなりますと貴公子と花の精とは「花ぞむかしの」の如く翌春に再会できていたりして……。

    最後に「第五図 うはなり」の私訳テクスト中で、原文テクストにはない、作絵をもとに挿入した描写文は以下の二箇所でした。

    ①「梅は零《こぼ》れて桜は散り、今や紅白の葩《はなびら》で晨粧《あさげしょう》した凄寥《せいりょう》たる庭を目方《まえ》に私は唯々《ただただ》呆然と立ち尽くすしかなかった」

    ②「……畢竟《つまるところ》「落花難上枝《らっかはえだにのぼりがたく》、破鏡不重照《はきょうはかさねててらさず》」と夫婦恋《つまごい》の訖《おわ》るを悟るのであった」

    又しても冗長なお返事にて失礼しました。

    編集済