第10話 故郷は美化されるものですかね?

 そして俺はオークションサイトで彼女のフォトブックを見つけ、手に入れたのだった。

 フォトブック『DEAR』は、注文してから一週間ほどで届いた。

『DEAR』というタイトルが印字されているだけで、白い、何もない表紙を恐る恐る開いた俺は一瞬でその世界に引き込まれた。それも当然だ。

 そこに鮮やかに広がっていた景色は…彼女と、そして俺が育ってきた花岡市仲町の風景だったのだ。

 市を東から南に取り囲むように流れる中井川は、この地方で最も大きな河川で、花岡市のシンボルとも言えるものだ。その上に架かる隣の市を結ぶ野中橋。そこを渡ってゆく彼女の後姿が最初のカットだった。季節は夏だろうか?中井川の水勢がとても強そうで、水飛沫がこっちまで飛んで来そうに見える。

 その次のカットは夕焼けだった。大きくて丸い、真っ赤な夕陽が中井川に沈む写真だ。川原に彼女と腰を下ろしているような視点で…彼女の横顔、大粒の丸い石の多い川原、川の水面に大きく写った太陽、そして実の太陽という順の構図になっていた。

 夕陽に照らされた彼女の横顔は瞳に大粒の涙を湛えており、それが今にも零れ落ちてきそうだ。泣き出しそうな彼女の感情は分からない。……だけどその写真を見て俺も泣き出していた。俺は自分で泣いてから、彼女もその景色を見て泣くのが当たり前のことに思えた。自分が育ってきた街で、こんなに綺麗な夕焼けを見ても泣けない程には、俺も彼女も屈折しきってはいなかった…というだけのことなのかもしれない。

 それから雪景色もあった。彼女本人が作ったのだろうか?1メートルくらいの大きさの雪ダルマの隣で、彼女は満面の笑みを浮かべ、ピースサインを送っていた。山間の盆地に位置する花岡市は、比較的降雪量の多い場所だ。冬になると雪が降る、というのは当たり前のことで、めんどくせえとは思えども、雪と触れて楽しい!なんていう感情を俺は持ったことがなかったから、少し不思議な気がした。

 新緑の季節の写真と、紅葉の季節の写真もあった。山間の木々の風景は、新緑も紅葉もどちらも暴力的なほど色鮮やかだった。同じ場所で撮影された幾つかのカットは、どれも季節の対比のように左右に並べられており、彼女がどちらのカットでも寸分違わぬ同じ表情を浮かべているのは遊び心なのだろう。

 中盤からは仲町市内のカットになっていった。仲町は城下町だ。整理された町並み、古い家々、用水路…。城跡の敷地内には俺と彼女が通った高校もあった。……そんな町並みの中で俺も彼女も育ってきたのだ。

 どのカットも彼女が主役というよりは、風景の方が主役みたいな感じがした。……でもだからこそ、その中で彼女はとても自然な表情を見せ、彼女の魅力がより引き立っているように感じた。

 彼女はとてもリラックスしていた。実際に見ていた中高生の頃の彼女の表情よりも、写真に写っている22~3歳の彼女の方が、俺には幼く見える程だった。

 そして製作者の彼女に対する愛が伝わってきた。まあ実際のところそれはそうだろう。四季全ての風景が収められているということは、何度もスタッフも含めこの地に足を運び、膨大な手間がこのフォトブックにはかけられているわけだ。売れっ子でもなかった彼女のフォトブックに、それだけのものが注ぎ込まれたということは、ある意味赤字覚悟だったのだろう。

 それでもこの作品が作られた、ということだ。


 最後の何ページかは後書きのような感じで、彼女の直筆の文章が書かれていた。とても几帳面なことが一目で分かるきっちりした文字が並んでいた。


「花町佳織、というのは本名ではありません。私が生まれた育った場所の名前から取りました。大学進学のために東京に出てきて、色んな土地で育ってきた友達と話をして、初めて自分の育ってきた場所が素晴らしかったんだって気付いたんです。新しい自分を模索している中で、生まれ育った場所が、今の私を作っているんだっていう当たり前のことに気付いたのかもしれません」


「今の事務所にスカウトされたのもその頃です。私なんかが人前に出るの?とは思いましたが、スカウトが本気だということが分かると、自分の好奇心を抑えることはありませんでした。もちろん学業を疎かにするつもりはありませんでした。私には目標があったからです。今は…その目標の通りに行くかは正直分かりません。でも、この仕事は大学卒業と共に卒業です。それも自分で決めたことだから……。時は前にしか進まないこと、胸に刻んで進むだけです」


「やめないで欲しいという言葉も沢山頂きました。……私にとっては本当に沢山の方からです。でも私にとって『花町佳織』はどこか演じてきた人間だった気がします。だから頑張れたんだと思います。そして、それも終わりが見えていたから頑張れたんだと思います。…あ、誤解しないで下さいね。イベントで皆さんの前に立ったり、お仕事をすることが辛かった、というわけでは全然ナイですよ!お仕事をしている時は本当に楽しくて、時間が過ぎるのが早く感じたくらいです。でも、今から『花町佳織』を続けることは出来ないんです。終わりが見えていたから、『花町佳織』で居られたのであって、今後も続けようとしたら、私本人との境目が無くなっていってしまうでしょう。そうなってしまっては、私にとってもファンの皆さんにとっても良いことではないと思います」


「だから『花町佳織』はここで終わりです。応援して下さった皆さん、この本を手にとって下さっている皆さん…本当にありがとうございました!どうか、皆さんのこれからの人生が幸多いものでありますように。…そして時々、ほんの時々でも私のことを思い出してくれたら嬉しいです」


 フォトブックを最後まで読み、彼女の紡いだ言葉を読むと、中高生の頃の彼女の表情が不思議と思い出された。そしてその後に、今見たフォトブックの彼女の表情が浮かんできて……その一つ一つに納得がいった。彼女はずっと何も変わっていなかったのだ。

 グラビアアイドル『花町佳織』のコアなファンというのが、どれくらい居たのかは分からないが、素の吉田香奈の表情を知っている人間というのはいなかっただろう。彼女の言葉の意味を理解出来る立場に居た俺は幸運だったのだと思う。。



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