第7話 深海

 気が付くとまた冷たい暗闇の中にいた。

 

 けれど先程まで微生物としての活動に勤しんでいた時の土の中にいる感覚とはまた違う。


 ゴワゴワとした砂利の感覚はなく程良くエアコンの聞いた部屋の中にいるような爽快な冷やかさだ。


 それに今見えている真っ暗な光景もしっかりと自分の視覚で捉えたものであるみたいだった。


 恐らく今回は視覚を持つに至るまで進化した生物に転生することに成功したのだろう。


 暫くするとその視覚が慣れてきたのか薄暗くではあるが周囲の景色が見通せるようになってくる。


 どうやら僕は今水の中、それも一筋の光すら差し込むこともない深い海の底にいるみたいだ。


 完全に視覚が慣れてきたと思えたところで5メートル先ぐらいまでは見通すことができるようになったがそれより先はまた完全な暗闇となってしまっている。


 下の方を見てみると薄暗い視界の中に真っ新な砂地の光景が灰色となって広がっていて、そこでは『地球』の世界で人間に転生した時によくドキュメンタリー番組で見ていたような深海生物達が一見しただけでは何をしているのかまるで見当も付かない謎めいた活動を行っていた。


 体を広げたムササビやモモンガのような姿で海の底の地面に張り付いているのだが背中に開いた鞄のチャックのように裂けた口のようなものをパクパクと動かしている生物。


 サボテンのように海の底に聳え立っていて一見すると植物のようなのだが全身に付いた無数の目玉をギョロギョロと動かし辺りを見回す最早妖怪とも思えるような生物。


 この『ソード&マジック』の世界でに存在する生物の姿は『地球』の世界の者達よりずっと奇妙で行動もより不可解だ。


 他にも完全に海の底の地面に深く開いた穴だと思っていたのに底に普通の魚の姿の生物が入った瞬間壁から無数の牙が飛び出すと同時に穴の入り口が閉じてしまい、暫くしてまた穴が開いたと思ったら骨のみとなった先程の魚残骸が吐き出されて来た。


 どうやらそれは穴などではなく何かの生物の口だったみたいだ。


 これまで『地球』の世界ばかりに転生してきた僕はその馴染みある魚の無残な姿に感傷的な気持ちを感じてしまう。


 これまで『地球』の世界への転生で培ってきた自信なんかがあの魚と一緒に食べられてしまったような……そんな気分だ。


 「……ってそんな些細なことで気を落としている場合じゃない。早く今回は自分がどんな生物に転生したのか把握しないと」


 気持ちを改めて僕は今回自分が転生した生物について考察を始めようとしたのがほとんど考える間もなくその答えを得ることができた。


 周りには丸みを帯びた透明な傘の内側からいくつもの触手を生やし水の中をゆったりと漂う……そう。


 まさにクラゲと思われる姿をした生物達が大量にいた。


 皆微生物と思えるくらい小さくどうやらまだ赤ん坊のようだ。


 僕もその赤ん坊の1人として生まれてきたばかりなのだろう。


 周りにいるクラゲ達は皆僕の兄妹姉妹だということだ。


 感触を確かめる為に無造作に身体に動かしてみると糸のように細く透明でミミズのようにウネウネとした物体が視界へと入ってきた。


 周りにいるクラゲ達同様僕の持つ触手だ。


 『地球』の世界でクラゲに転生したことはないけど恐らくこの触手をどこまで上手く使いこなせるかが生存の鍵となるはずだ。


 世界の序盤の時代の生物。


 とりわけ水の中の生物となるとその生存競争は極めて厳しいものとなるはず。


 数百匹はいる周りの兄弟姉妹達の中で無事大人にまで成長できるのはほんの一握りだろう。


 少しでも生存率を上げる為にまたアイシアと早く合流できるといいんだけど……。


 「マスターっ!」


 「その声はアイシアっ!。良かったっ!。今度もまたアイシアとすぐ近くに転生を……ってわぁっ!」


 アイシアの呼び声を聞き喜びを露わにして振り向く僕だけどその瞬間目の前に悍ましい上に僕より何倍も大きい何かの生物の顔と思われる物体が視界を埋め尽くした。


 完全に白目を向いた正円の眼球に三角形が上から押し潰されたように開いた口。


 多分何かの魚の顔なんだろうけどどうやらアイシアはこの顔の持ち主と思われる生物に転生したみたいだ。


 魚の顔の収まり切らない視界の上の端っこにあの青い文字でアイシアと表記されている。


 「ア……アイシア……。今回はその……何だか凄い風貌の生物に転生したんだね」


 「そうですか。自分では自分の姿を確認することができないのでよく分からないのですが……」


 「転生した最初の時に自分と共に生まれた同じ生物の赤ちゃん達が沢山いなかった?。ほら、今僕の周りにいるクラゲの赤ちゃん達みたいに……」


 「周り……」


 「うん。周り……ってあれ?」


 アイシアと共に改めて周りを見回してみたがさっきまでいたクラゲの赤ちゃん達が皆すっかり姿を消してしまっていた。


 どうやら突然現れたアイシアに驚いて皆この場から逃げ去ってしまったようだ。


 「そういえば生まれた時に気味の悪い顔の魚の群れに囲まれていたような……。もしや私もその魚の1匹に生まれていたということですか?」


 「多分ね。それよりアイシアは僕より大分姿が大きいみたいだけど生まれてからどれくらい経ってるの?」


 「さぁ……。このような暗闇の世界では時間の感覚というのがまるで掴めないのであまり正確には答えられないのですが……。マスターを探して随分と辺りを泳ぎ回っていたので1週間ぐらいは経過しているのではないでしょうか。空腹で息絶えそうになるわ周りの生物達に幾度もなく襲われその餌食となりそうとなるわでこうしてマスターに出会えるまで気が気でありませんでした」


 「そ……それは大変だったね。初めて転生なのに1人でここまで生き長らえることができるなんて凄いよ、アイシア」


 「はい……。我ながらよく生き延びることができたと思います。よもや世界への転生がこれ程過酷なものだとは思いませんでした」


 「それは転生した生物と生まれた環境にもよるから。もっと時代が進んで人間や他の生物に転生できるようになったら楽しいことも一杯あるから安心して」


 「はい」


 「それにしてもこんな広い上に真っ暗闇の海の中で無事出会えることができて良かったよ。それにちょっと見た目が怖いけど僕より大分大きく成長したアイシアが傍にいてくれると心強……」


 「危ないっ!、マスターっ!」


 「えっ……」


 アイシアとの会話の最中突然アイシアと同じ姿の魚が大口を開けて僕へと迫って来た。


 生まれたばかりの僕を食べようと襲って来たのだろう。


 その魚の接近に逸早く気付いたアイシアがその尾鰭おびれを勢いよく振るって見事敵の魚を追い払ってくれた。


 アイシアがいなかったら僕は間違いなくその魚の餌食となりまだ生まれて数分も経たないこの時に命を落としてしまっていただろう。


 っというかその魚と同じ姿をしているということは本来なら僕は今目の前にいるアイシアにも食べられてしまっていたということだ。


 例えソウル・メイトを組んでいたとしても魂の記憶と思考がなければそのような事態を回避することはできなかっただろう。


 これも【転生マスター】の転生スキルの力のおかげだ。


 僕よりも遥かに大きい図体を持つアイシアが護衛に就いてくれたおかげでまだ赤ん坊のクラゲであった僕も成体に向かって順調に成長していくことができた。


 その後僕達はこの広大な海の底を探索していく過程で『地球』の世界ではとても味あうことのできなかった摩訶不思議でありながらも神秘的、そしてそれ以上に危険な事態に遭遇していくのであった。

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