不思議な「雑音」

 学校という場所は少なくとも私たちの高校は、チャイムの音に合わせて、学友たちの動きの統制がばっちり取れる不思議な所だ。


 授業中の空気は重苦しく、その合間に10分だけ自由を得た親友二人とのやり取りは「私」を潤した。

 その心地よさはぱっかりと開いた痛々しい傷口を、優しくい合わせてくれる。

 凝り固まった精神がほぐされていく。


 だがノイズが至る所にある。

「雑音」が頻繁に近づいて、傷の治りを遅滞ちたいさせる。


「いのりー」

「木山、あのさ」

「ねえねえ、いのっち」

「あの、木山さん……」


 一言二言の会話は奥行きはなくとも、その交友関係は「私」にはありえない広さを誇っている。

 鬱陶うっとうしいと思うのをやめられない。

 気分がよくない。




「おーい、木山」


 またか。

 感覚が過敏になりすぎて逆に麻痺してきた。

 こうなると、「私」は何だか気分がハイになってきた。

 すると今度話しかけてきたのは、どんな容貌の人間か当てっこクイズでもしよう、ついでに性格も邪推してやろうと画策する。

 そんな余裕を、私に見せ付けてやろうとして、


 私は数舜すうしゅんだけ固まった。


 そして次の瞬間には素知らぬ顔で「なにー?」と私は振り向いていた。

 

……何だ?

 何か、何か変な形のものが心の奥底から湧いてきてた。


 浮かび上がってきたのは、一瞬しか感じ取れなかったが、シフォンケーキよりふわっふわの浮付いた、


……歓喜?




 声をかけて来たのは背の高い男子生徒だった。

 日焼けが濃く髪をばっちり整えて、一見すると活発で社交的な印象だが、目の中の色は穏やかで、異様に理知的な光を宿しているように思った。

 つまり外見と内面が合っていない。

 まあことではないけど。


「お前、新しい人格生まれたんだよな?」

「うわ、聞いてたの? 盗み聞き気持ちわる」

「あんだけでかい声なら誰でも聞こえるよ……」

「でかくて悪かったね。で、なに?」

「泉先生の所は早めに行けよ」


 泉とは保健室の先生の名前だ。


が『生まれてから一週間後に来ました』って言ったら、こぴっどく叱られたんだよ。申告は早めに、何かあったらどうするのって」


 あの人普段は優しいのに、おっかないのな。


「ひえーそうなんだ。忠告ありがとう。放課後行ってくるわ」

「おう」

 

 男子生徒は離れていった。


 彼の名前は尾関宗司そうじ

 同じく入れ替わり中であることは、知っている。

 だから……あまり気持ち悪くないのかな。


 同じ境遇だから? 

 シンパシー? 

 いや、これはたぶん……。


 だけど、意味はないとその考えを打ち切る。

 だって彼はもうすぐ……。

 あ、間違えた。


 彼はもう、



 

『見とれてた? 面食い?』

『見とれてないし、面食いじゃない』


 見とれてたのはそっちという言葉は飲み込んだ。


『宗司、いいよね。前のも外面そとづらイケメンで、中身はガキっぽくて面白かったけど、本当に物静かで雰囲気を出せるようになった』


 大人っぽくなった。

 そんなふうに評する私の声音はどこかさびしそうだった。



 「私」は知っている。

 木山祈里が親しんできた、彼は、もう終わろうとしている。

 話しかけてきたのは「彼」。


 彼と「彼」はもう何週間も前に逆転してしまって、古い「彼」はほとんどの時間で眠りにつき、棺桶かんおけに心を潜めつつある。


 永眠の時は近く、別れはいつ訪れてもおかしくない。

 だから「彼」はとうの昔に、知人たちとの別れの言葉は交わしてある。


 私も「さよなら」は言った。

 でも、記憶と、知識と、経験から「私」はある一つの答えを導き出している。


『ねえ』

『なに?』

『余計なお世話かもしれないけど』

『そう思うなら別にお世話はいらないけど』


 私の感情を押し殺した皮肉で、「私」の確信の手ごたえをつかむ。

 「私」はいらぬお節介を焼く。


『「彼」にまだ言いたいことが、伝えたいことがあるんじゃない?』

『…………………』


 沈黙は雄弁なり。


 別に決して私のためだけではない。

 むしろ「私」の心の安寧あんねいのためである。

 常に「私」が接する私の心がすっきり晴れてないと、「私」の心ももやもして湿度が高く不快になる。

 そんなふうにじわじわ精神力をがれると、弱い弱い私は、持たない。


 「私」は「私」のために私の背中を押した。

 その結果、私が転んだり、傷を負ったり、崖から落ちたりすることはあるかもしれない。

 でもあれだ。

 私が言ってた魔法の言葉があるから大丈夫。


 なんくるないさ。



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