溝
所定の場所に自転車を置いて、二棟ある校舎の南側へ向かう。南棟の最上階の三階が一年生の教室になっている。二年生は二階、三年生は三階だ。
祈里が自クラスに到着する前に「私」は心に活を入れようと試みる。
祈里にとっては顔なじみでも「私」にとっては、初対面の学友たちと顔を合わせるのを想像するだけで、心の底がものすごくひやっとした。
「? 別に怖がらなくていいよ。みんな、いい人だよ。知ってるでしょ?」
「私」の心情を見透かした祈里が声をかけてくる。
『知ってるよ、記憶ではね。でも本当に顔を合わせるのとは全然違うよ……』
「……ふーん、そうなんだ? ふーん……分かった」
分かっていないとすぐに分かった。
その声音は彼女が分かったふりをした時の響きだ。
よく知っている。
祈里は「私」の気持ちを感じて心配してくれている。
しかし一方で、彼女がいい人だと断言した、級友の評価を素直に受け入れなかった「私」の態度にも納得していない。
今、その顔には明らかな戸惑いと不満の色が浮かんでいるはずだ。
祈里は感情が顔に出やすい。
これもよく知っている。
「私」は申し訳なくもこんな「私」のせいで、この後も何度も何度も彼女の顔を
この時が一度目だった。
「私」が生まれてから、私たちがお互いを理解できなかった初めての瞬間だった。
祈里は分身である「私」がなぜ「人に会う」ことに、ひどく怖れを抱いているか分からなかった。彼女は今まで生きてきた中で、対人関係において強い忌避感を覚えたことがなかったのだ。
一方の「私」はなぜ主人格の祈里が、「人に会う」ことに怖さを感じていないのが不思議でならなかった。
怖いものは怖いのだ。
なぜと言われても、人見知りに理由はない。根っこの気質が怖がりなのだ。
そう。「私」は人見知りだ。
でも、
あなたは、違う、の?
朝の家族や「私」とのやり取りで、「私」にとっては過剰な明るさの私を見て少しおかしさは感じていた。
でもそれは気安い相手とのじゃれあいであって、そんな気安い相手は私には多くはないはずで。
『え』
脳裏にまた記憶が、記録が、知識が、経験が
違う、の?
このままでは何かいけない。
何か声をかけなくてはいけない。祈里の、私のあまりよくない感情を少しでも取り除かないと、何かがよくない。
でも「私」はいっぺんに複数の漠然とした不安に囚われていて、しっかり考えをまとめる心の余裕はなくて、加えて時間の猶予もなかったのだ。
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