誕生の時

 まず感覚があると理解した。

 視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚。

 そして、痛覚。


 初めはあやふやだった五感は徐々にはっきりとしてきて、しかし私がそれらを手に入れたのだと確信できるほど鮮明にはならずに「覚醒」は止まった。

 それがひどくもどかしいと思った時が、私がこの世に生まれ落ちた瞬間だったのだろう。



 朝特有の倦怠感を背中に感じていると、まぶた

 ベッドから上体が持ち上がり、私の体が

 その時にの光景を見ることができた。



 水色のノートパソコンが置かれた学習机、コミックがぎっしり詰まった五段の大きな本棚。

 枕の左側にはミーアキャットの可愛いぬいぐるみ、反対側にはカピバラの可愛い?ぬいぐるみが鎮座していて、枕元のコンセントに繋がれたスマホの充電は完了している。

 エアコンを付ける程の気温ではないが、空気は蒸し暑く決して涼しくはない。初夏の匂いが漂う朝陽を、濃緑色のカーテンが遮っている。



 知らないはずの光景を「知っている」と認識できることに戸惑う。

 初めて目にする部屋のたたずまいを、多少の違和感だけで受け入れている。


 だがそれより困惑させられるのは、自分の体を動かしているのが「私」ではないことだ。

 今まさに両腕が「私」の意志とは裏腹に持ち上がる。知らない女の子の指先が、頬をそっと撫でる。この感覚も「私」は知っている。


 視界はわずかにもやがかかり不鮮明で、同じように思考も鈍く感じる。

 どういう状況なのか分からず混乱する。

 そして不可解な状況を脱する助け舟が、自分の喉からの発声だったことで困惑は更に増した。




「おはようっ」


『……!?』

「……。……うーむ? ……あれ、もしかしてやっと通じた?」

『???』

「お、おおー、めっちゃ混乱してるのが分かるー。ようやくお目覚めだねぇ」



 毎日、おはようを言ってた甲斐があったよと、私が顔をする。

 「私」の気持ちが私の思考と一致しない。

 「私」の体が勝手に動く、勝手に考えていないことをしゃべる。

 胸がざわざわして、脳の奥がチリチリする。

 とても、居心地が悪い。



『え、え、こ、これどういう……』

「えーとね。難しいとは思うけどどうか落ち着いて、ね?」

『落ち着いてなんか……!』


 いられない。


「うんうんそうだよね。こんな状況、私も正直戸惑ってる所はあるよ」


 何でもない風に言い含めようとする私に「私」は苛立つ。

 文句を言おうとして、けれども口の主導権は握られていて、焦燥感がますます募り頭の中が不安で沸き立つ。

 文字通り声にならない叫びが「私」の心底を貫こうとした時、



「でも大丈夫。きっと、だいじょうぶ」



 私の今までの浮付いた雰囲気が削ぎ落された、落ち着きのある声音が「私」に冷静さを取り戻させる。


「あなたは私。私はあなた。答えは私の中にあるから、つまりあなたの中にあるの」

 だから、


 


 問い詰めるわけではなく、諭すように私は言った。

 分けが分からないはずなのに、違和感が極まるシチュエーションのはずなのに、


『…………うん』


 している「私」がいた。



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