第10話 1642年 大友家の絶頂を書き終える

「おお、宗重!大友興廃記は人気があるようじゃのう!」


 1640年に出版された大友興廃記6巻は好評だった。

 それゆえに出かけに猪兵衛が上機嫌で声かけをしてきた。

「これは猪兵衛様、ご機嫌ですね」

「うむ。今まで鍛錬に身が入っておらんかった者たちも島原の一件で『いざ』という時に武士は戦えなければならんと気がついたようでな。真剣な顔で稽古に励んでおる」

 そう言って笑う猪兵衛。着ている服が良いのか、いつもより大人物に見える。

「おや、立派なお召し物ですね」

 普段なら服になど興味のない宗重が気がつくほど服の質が変わっていた。

「おお!これは息子が送ってくれた品じゃ」

「ご子息様が、それはようございましたな」

 ここで「もしかして御出世されたのですか?」などとは聞かない。

 そうでなかったときは相手が機嫌をそこねるからだ。

「うむ。なんでも近頃米の価格が上がっているそうでな。大阪で商人に売ったらいつもの倍近い値段で売れたそうじゃ」

「……米価格が、でございますか」


 嫌な予感がした。

 

 江戸時代の初期。米価格は順調にあがっていた。

 太平に世になり経済活動が活発になった結果、品物が増えて安く物が買えるようになったことと幕府の経済安定政策によるものと言われている。

 武士の収入は米なので、米価格の値上がりは武士の収入の上昇であった。それに貨幣よりも米で取り引きするのが当たり前だった時代で、品物の余剰が出来るほどの生産の成長は米価格の上昇につながったのだ。

 それでも米価格が倍になるとはおかしすぎる。


 ――自分の知らない所で、何かが起こっているのかもしれぬ。


 幕府の重臣ですら、まだ把握はしていなかったが価格は現実についてくる。

 宗重の予感は的中していた。


 江戸時代始まっての大凶作 寛永の大飢饉が水面下で発生していたのだ。


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 1640年6月に蝦夷の駒ケ岳が噴火し、降灰の影響で陸奥から津軽で凶作となった。

 ここで収穫が減った農民は借金をして種を購入した。

 しかし翌年の1641年には畿内、中国、四国地方でも日照りによる旱魃が起こり、秋には大雨、北陸では長雨、冷風による被害が出た。

 借金は払えず、農民は食べるための米が尽きた瞬間だった。


 恐ろしい事に、江戸に出仕していた大名は、この事態を1642年になるまで知らなかった。

 国もとの家老は主君への指示をあおがず、問題を放置。

 餓死者が出るようになってから、その困窮ぶりが江戸にまで伝わったのである。



「やはり、米価が上がったのは飢饉が原因か…」

 杉谷は自分の予想が当たった事を悲しんだ。

 さらに、この飢饉を甘く見ていた大名は投機として米を売り払い、自分の国にまで飢饉が及んだ際に救済米が足りない事に気がついたり、幕府の米奉行が私腹を肥やすために買い占めや米価格のつり上げに協力していた事もわかった。

 老中たちは、この失態に激怒し買い占めに関与した奉行を斬首に処している。

『餓死者を出すのは国の恥。俸禄を削ってでも領民を助けよ』

 という激しい檄のもと困窮者の救済が進められた。 

 江戸幕府は寛永通宝を発行していたが、米価高騰で銭の価値が急落。鋳造の全面停止に追い込まれている。


「米の買い占めに奉行まで関与していたのか…」

 武士も人間ゆえ私欲に走る者はいると思ったが、金のために数万人の人間が死んでも利益を優先させるような者が出るとは想像できなかった。

「ひでぇやつらですね」

 と留吉も嫌悪をあらわにする。

「ところで、買い占めた米は相場の何倍だったんだい」

「へえ、2倍だったそうで」

「それっぽっちで命をかけたんですか。安っすい命ですなぁ」

 甚吉もあきれ果てた口調で吐き捨てた。


 そのような状況下で1641年に杉谷は7巻で大友家の内部抗争、氏姓の乱を書いた。

 この巻で

『佐伯は特別な家ゆえに大友家当主でも挨拶が余人とは変わって特別扱いされていた事』

『そのため佐伯の大神氏は他家から妬まれ内戦となり、弘治3 (1557)年5月上旬に惟教は嫡子、惟實と二男、鎮忠の3人で伊予に渡り、長く居住していた事』

『それが大友家と毛利家が争う事になったと聞いて協力を申し出て感謝され海上警護をし、この協力も大友家が毛利家を九州から撃退した一大事に一役買った事』

 を書いたのである。


 史実でも実際に戦ったのは肥後代官となった大神氏の一族 小原氏なのだが、大神家の筆頭である佐伯氏も関与を疑われたので四国の伊予に亡命している。


 佐伯の家がそこまで立派な家なのか?と疑問に思われる方もいるだろうが、津藩に伝わる『洞津遺文』には

『佐伯権佐は大神姓 豊後大守として数百年相続した事は天下の名家が遍く知る所也。没落の後大和大納言殿に仕へ後ち御家に来る。家宝とする神息太刀や名器が数種ある。(中略)大和大納言より拝領した金の熨斗付きの刀あり。もし他家が所持すれば重器なるべきだが権佐家にては軽く取扱ふ也』(※)

 と長年続く名門の家で、由緒ある家宝が多いので多少の宝物では軽く扱われたと書いている。

 江戸時代でも佐伯家は藤堂家以上の由緒があり一目置かれる家であったのは間違いないだろう。


 そんな内容で出版された新刊だが、杉谷のいる紀伊半島では凶作の影響は軽微なものの、将来の不安からか領民の出費が減り、7巻はそこまで売れなかった。

「まあ、凶作が落ち着けば売上も戻るだろう」

 さして気にせず杉谷は執筆を続けていた。

 なにしろ8巻は1569年、大友家が九州に侵入してきた毛利家と雌雄を決す大事な場面だからだ。


 門司を拠点に博多北部の立花山まで占領した毛利軍。

 それを追い払おうと高良山に結集した大友軍。

 この一大決戦の助けをしようと四国に亡命していた佐伯氏が助力を提案する。


 讒訴により亡命していたのに、主家の為に命を恐れず帰って来た佐伯氏。


「勇士の志とは左様に有るべし」


 この心意気に感動した宗麟はこのように語り、裏切り者の汚名を着せられた一族に重要拠点である佐賀関の防衛を任せ、海上警備のから解放された若林氏に命じて大内家の遺族 大内輝弘を山口の秋穂浦に投入する。

 主力は博多北の立花。大将の毛利元就は下関の先、赤間関にいたため毛利軍は大いに動揺した。

 広島を拠点に置く毛利にとって山口を塞がれる事は退路を断たれるに等しい。

『このままでは冬を越せず、餓死・凍死するかもしれぬ』

 そんな恐慌をきたした毛利軍は九州を捨てて退却を決定。

 大友家の追撃で被害を出しながら、大内輝弘を討伐し広島へ退いた。

 それ以来毛利の軍は二度と九州へ大規模な侵略は行わなくなった。


 翌年に毛利元就が寿命で死ぬと大友家へ攻めてくる事は無くなり、たった2国の大名だった大友家は宗麟の代で6国の大大名として君臨する。

 これが大友家の絶頂期だった。

 そして 

『その後永禄12年12月27日に惟教親子は佐伯に帰城した。元より武勇忠孝の志が深いので宗麟公も前以上に懇切で迎えた。』

 大友家の毛利撃退は、佐伯氏にとっても本領復帰した記念すべき出来事だったのだ。

 

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「ついに、佐伯家は疑いを解かれて領主に返り咲いたか」

 書きあげた大友興廃記8巻を見て佐伯惟重は満足そうに言う。

 内容はともかく、ここまで長く続けばそれなりに読む人もあるだろうし、後世にもその名は伝わるだろう。

「これで大友の名と共に佐伯の名も残る。宗重、よくやった」

 そういうと、今までの労苦をいたわるように、やさしく肩を抱かれた。

「………勿体なき………お言葉にございまする」

 執筆を始めてから8年。

 ついにここまで来たという思いが杉谷の目頭を熱くさせた。


「ここからは、興廃記のうちの『廃』。滅亡に向かって大友家は動いていく。ワシの曽祖父、惟教様や多くの親類が亡くなられた。彼らの死にざまをしかと書いてくれ」

 とも佐伯は言った。

 1578年に日向で大友家は島津と戦い大敗する。それから9年間、ひたすら衰退の時を迎えていくのだが、多くの領主が寝返る中、佐伯家は大友の味方として忠節を貫き通した。

 高橋紹運にも匹敵するその生きざまを描く事で佐伯の興廃記は完成するのだ。

「ははっ!この杉谷、身命を賭して書きあげる所存にて御座います!」

 選ばれてありし恍惚と不安に身震いしながら、杉谷は主命を受けた。

 物語はこれで半分。ここから先、どれだけ佐伯と言う家が素晴らしいかを本格的に書く段階まで来たのである。

 見事な散りざまを書いて褒めて頂く。

 その期待と気負いで杉谷は次巻に着手した。そんな折



 佐伯惟重が死亡したのは翌年の初めの事だった。



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(※)引用元;藤堂高虎とその家臣

 https://sasakigengo.wixsite.com/takatora/saeki

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