第2話 1634年 売れない
名を残したい
名を残したい
死んだ後、誰も自分の事を憶えていないのは恐ろしすぎる
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「売れぬなぁ…」
紀伊山脈から吹きすさぶ春風。
それを一身に受けながら、出入りの貸し本業者から受け取った金子を見て津藩武士の杉谷宗重はため息をついた。
ここは伊勢の津藩。
お伊勢参りで有名な伊勢神宮の北に位置する町であり、七度君主を変えたことで有名な城づくりの名人 藤堂高虎を祖とする藩である。
その家臣に豊後(大分県)の旧家だった『#杉谷宗重__すぎたに むねしげ__#』という男がいた。
「前に書いた『宝鑑』の方がまだ好評で御座いますな。固定的なお客様がついてはおられますが、あと一歩売れてほしい所ですなぁ」
と、売り上げの一部を渡しに来た貸本屋の留吉も同様の感想をもらす。
「わが祖先の仕えた佐伯様の話でも駄目だったか」
齢40を過ぎ、少しさびしくなってきた頭髪を掻きながら、宗重はうなだれる。
宗重は元々 藤堂家の家臣ではない。
豊後国海部郡佐伯庄(大分県佐伯市)の領主、佐伯惟定に仕える豊後武士の息子だった。
佐伯氏と言うのは平家物語の『#諸環__おだまき__#』に登場する、豊後祖母岳の大蛇の化身と姫様と間に生まれた『おそろしきもの』の末裔、緒方三郎の子孫である。
この緒方三郎は、源義経に味方し平家追討の院宣と国宣を受けると平氏を大宰府から追い落とし、葦屋浦の戦いで平家軍を打ち破った伝説の九州豪族だ。
そんな由緒ある家だったが、文録の役(1592年)で豊後国主の大友義統が豊臣秀吉に改易されると、大友家臣である佐伯家は藤堂家の預かりとされた。佐伯の家臣である杉谷も彼に従っていた。
その後、杉谷猪兵衛惟宗という者が1613年に佐伯氏の推挙で藤堂三郎兵衛(内膳)の家士となり、大阪の陣(冬・夏とも)の戦功によって藤堂高虎の直臣・鑓奉行となる。
杉谷宗重はこの猪兵衛惟宗の親戚で、家士として仕えている男である。
宗重は妻に先立たれて子供は自分の手を離れた有閑の男であり、泰平の世で名ばかりの役目となってしまった鑓奉行の手伝いをしている。
杉谷家の家長である猪兵衛などからは
「武士は文武両道というが、文に偏るなど惰弱!くだらぬ文など書かずに鍛錬に精を出せ」
などと叱責を受けたものだが徳川の世になって、合戦は一度も起きていない。
武の時代はもう終わったと言って良い。
――あの方は時勢が読めておらぬ。
杉谷は嘆息した。
大阪の戦乱が終わってはや20年。武功でのし上がれる時代は終わりを告げたのである。
「あと20年もすれば武の時代は終わり、文による統治が世の主流となったであろうに」
武力による圧政と略奪が幅を利かす時代から、官吏が統治する文の時代の過渡期ゆえに、目端の効く者は武の不要さを感じていた。
それは徳川幕府も同様で、私権による武力を削ぐために多くの大名は改易され権力は幕府に集中させようとしている。
今の藤堂家が焼失した江戸城の天主復興や石垣の普請率先して受けているのも、初代藩主が石垣造りの名人だったという理由だけでなく、権力に忠実に従うという立場を表明して改易されないためだろう。
杉谷が生きていたのは、この泰平の礎を作った武士を冷遇もできない時代。
衰退していく武と台頭して行く文がアンバランスに混在する時代だった。
なので鑓奉行の手伝いである杉谷は非常に暇を持て余し、その空いた時間の手すさびと あわよくば『何物にもなれず終わるであろう自分の名を世に知らしめたい』『竹取物語や土佐日記の様な名著として世に名を残したい』という壮大な期待とともに執筆活動を始めたのだ。
そんな、宗重と留吉は行き詰まりを感じていた。その理由とは
『売れない』
これに尽きる。
内容はそれほど悪いわけではない……と思う。
常人とは異なる主役が様々な神変を起こすが、その才能を妬んだ者の讒言によって悲劇的な死を迎える。
そして讒者は祟りと天罰で死亡する。
これは多くの物語の典型例だ。
それを史実に搦めて構成した自分の力と発想力は非凡であると杉谷は思っていた。
それゆえに文化的な事への手助けをしたいと留吉が手伝っているのだが、民衆の人気はいま一つ。
金儲けを目的としていた訳ではないが、人気が無いと言うのはやりがいに深刻な足かせとなった。
そんなため息をついている2人に声をかける者がいた。
「どうしました?旦那」
「ああ、甚吉か」
仲屋甚吉。
42歳で息子に商売を譲った楽隠居である。
津の港から各地の品を入荷して日用品などを売りさばく商人で、主に九州と名古屋までを商売相手にしていた。
商人ながらも鍛えられた体と抜け目ない眼光を持つ甚吉だが、歳が近い事もあって杉谷とは気が合うのか御用聞きの名目で時々こうして遊びに来る。
「実はな、ワシは杉谷家の記録を書いてみたのじゃ」
そこには、杉谷家は元々豊後佐伯住みだったが権力闘争から逃れて肥後(熊本)に住んでいたこと。
1528年頃、旧主である佐伯氏が没落した時に奮闘して抜擢された事。
そして今では伊勢に来た事。を書いた本があった。
「へえ、旦那も元々鎮西(九州)のお人でしたか…」
と、興味深そうに原稿をめくる甚吉。
「うむ。杉谷とは元々佐伯の一地名でな、そこの領主だったのじゃ」
土地の奪い合いが日常茶飯事だった鎌倉時代の頃。
己が領有する土地を公言するため武士は元々住んでいた土地の名(みょう)をとって名字にしていた。
杉谷という名字は己と豊後をつなぐかすかな縁である。
「だが豊臣の世で多くの武士が住む土地を変わった。それにより争いも収まったが、これでは家の由来も消えてしまうと思うたのじゃ」
かりそめながら天下を統一した豊臣秀吉は多くの大名に国替えを命じた。
彼にとって大名とは朝廷から任命された統治者であり、地元の人間と結託して私兵を持つ事は許されない存在であり、簡単に挿げ替えが出来る存在とされた。
これにより地場豪族だった家臣の力は弱くなり主君の権力が増すようになったが、武家の由緒は失われていくようになった。
「お武家さまは遠い土地に引っ越してきたら昔ながらのお家も新しくなって、どんな家だったか分からなくなるんでしょうな」
「左様。今は我が家も父がおるから家の歴史はわかるが、ワシは豊後での思い出はほとんどないので記録が残せぬだろう」
杉谷は渋い顔をする。
杉谷の生年は不明だが、本作では少し余裕を見て数え年で45歳程度の壮年男性という事にしておこう。
1590年生まれ。
数え年なら4歳で豊後を出たことになる。
「なので78歳になる父に、今のうちに先祖の事を聞けるだけ聞いておいて記録に残そうと思うのだがな」
そういうと『杉谷家譜』と書かれた本とは別に『栂牟礼実録』と書かれた本を出した。
「おや?こちらは何ですか?」
「これは杉谷家の主君、佐伯家の歴史を書いた本だ」
そういうと杉谷は鬼瓦よりも渋い顔になる。
「杉谷家の歴史では読む者は限られると思ってな、主君に当たる豊後佐伯5万石を治めていた佐伯様の事を物語風に書いてみたのだが、これがさっぱり売れん。『宝鑑』の方がまだ売れた」
『宝鑑』とは『太平記』などで取り上げられた中国の故事を抜き出して纏めたもので、作者である杉谷の死後1688年に絵をつけて『絵本宝鑑』の名で大坂の貫器堂重之より刊行された。
他の著作では泣かず飛ばずの杉谷に留吉が目を掛けているのも、この作品が少し売れたからである。
「へえ、時代的には大友宗麟公のお父上の時代のお話ですか。どれどれ」
甚吉は手慣れた感じで紙をめくる。
『栂牟礼実録』の内容を要約すると
『大友義鑑公の家臣、佐伯薩摩守惟治は祖母嶽大明神から21代の子孫で栂牟礼城主。文武両道、諸芸に通じた風流人だった。
彼は神変の術を使い家柄も高く、主君である大友家と並ぶほどの勢いだったが、それに嫉妬した家臣の讒言で謀反の疑いをかけられた。
惟治は野心がないと書状で再三申したが、讒者が遮り、大永7(1527)年10月上旬に大友義鑑は臼杵近江守長景を大将に2万の兵で佐伯へ向かわせた。
佐伯の兵は奮闘して城は容易に落ちず、討伐大将は武略で落とすしかないと判断し、
「この戦いは大友様の命令によるもので自分の本意ではない。今しばらく日向に逃れ自分が疑いを晴らされよ」
と偽りの降伏を勧めた。
初めは承知しなかった惟治だが再三使者や起請文を送られると
「神文を疑うのは仏神を軽んじる事になる」
と承諾し、嫡男千代鶴と日向に退散した。
ところがこれは詐術で、大将の命令を受けた日向の新名党が逃亡中の惟治へ襲いかかり、命を落とした。
嫡男の千代鶴は堅田西野で休んでいる時に父の切腹を聞き悲しんでいると、大友家の使者が来たので「他人の手にかかるよりは」と冨野四郎五郎、伊加河両人が介錯し、二人も切腹した。
だが、この大友家の使者は「惟治は隠居し、千代鶴を城主にせよ」という義鑑からの吉報を早く届けようと遠くから招いていただけだった。
佐伯の民は幼くして無くなった嫡男を憐み、法名 玉浦宗柏大禅定門とした石塔を建てた。
惟治は死後、荒神となり惟治を討った新名党は10日以内に死亡。臼杵長景は起請文に違反した天罰か、惟治の憤りか、しばらくして死亡した。(大友興廃記 1巻 佐伯惟治魔法と栂牟礼攻事 より)』
「ダメだこりゃ。旦那、これは地域が狭すぎるし内容が堅い」
と甚吉はいかにも洒落た感じで本を放り出そうとして、慌てて止めた。
「やっぱり駄目かね?」
「ええ、駄目ですよ。まず内容が堅すぎまさぁ。堺で太田牛一様って真面目なお方と
小瀬という言葉に杉谷の耳がぴくりと動いた。
「信長記か…」
当時、織田信長の生涯を描いたと自称する『信長記』という本があった。『虚7、実3』と筆者である自身が豪語する荒唐無稽な物語。
これが江戸時代の庶民には受けた。
さらに豊臣秀吉を題材にした太閤記という本をだせばこれも売れた。
元織田家臣の肩書きを十全に活用し、娯楽のためだけに書く通俗小説作家。それが小瀬の『信長記』である。
「あのような幼稚で不誠実な本では名を残すどころか汚してしまうわ」
と杉谷は吐き捨てたが、内心は複雑だった。
内容的に正しいのは太田の書いた『信長記』だ。
だが、百年後 二百年後に名が残るものとしては、小瀬の『信長記』に軍配があがるだろう。
彼らが書いたのは、どちらも日の本の戦乱を収めた立役者である織田右府の物語である。
その名は徳川の世が続く限りは残る。
なのに一方は写本だけ、もう一方は活版で公刊されて売られる程に売れている。
同じ題材を使ってもここまで差が出るのだ。
仮に後世、真面目に織田家の事を記述した物語、いや記録の方が評価されるなら話は別だが、太田牛一の記録が評価されない世間に期待するのは難しい。
――あのような愚か者が評価されて、誠実な者が評価されない。
現実の残酷さに杉谷の顔は曇る。
だが甚吉は夕闇によってそのようは変化には気がつかない。
「あの方は面白ければ事実なんていくらでも飴細工のようにねじ曲げてやるって割り切っていますからね。今川義元公は丘上の桶狭間山に布陣していたはずなのに、『信長公からさらに上の山から奇襲された』とか書いたり、鉄砲を3段に分けて撃ったとかいい加減な事ばかりだから『三河物語』じゃあ「イツハリ多シ」って書かれておられます」
と作品の粗を挙げていく。
それを聞いて留吉は貸本屋らしく
「あの方は、当時を知っている老人なら一目で嘘だと分かることを堂々と書かれるものですが『悪い今川は大軍を率いながら油断していたから、正しい織田信長に少数の兵で負けてしまった』と勧善懲悪の方向で物事を語るから今の若い者はそっちばかり読まれておりますな」
売れるのだから自分も扱ってはいるが、好きでは無い。
そんな口ぶりである。
自分達が若いころは太平記の読み物だけでなく三略とか孫子などの難解な本もそらんじたものである。
それが中身のない娯楽小説が売れ、史書は売れない。
『嘆かわしい』とばかりに3人はため息をついた。
「史実を史実のままに書いたら売れんかね?」
と杉谷が問えば
「売れませんねぇ。小瀬様の本は活版で数百冊売れたそうですが太田様の方は手書きで写して数奇物が読むだけです」
「まあ、太田様の書かれるお堅い本よりは売れるでしょうなぁ」
と留吉と甚吉は残酷な現実を告げる。
「あと、豊後という片田舎…もとい、遠方の地の話よりも織田信長公とか家康様のような有名人を題材にした方が読む人は多いでしょうなぁ」
とも留吉は言う。
「でもなぁ、一度もお目にかかった事のないワシが信長公や家康公を書いても、間違いを指摘されて汚名を残すだけじゃろう」
売れるのなら悪魔に魂を売っても良いのだが、ロクに売れずに悪名だけが広まるのは避けたい事態である。
「それほど売れぬか?」
と再び尋ねられる。
売れないのは事実だが、杉谷だって一端の作家気どりである。
何度も売れないと言われては腹も立つ。
「売れぬな。以前書いた宝鑑で、ある程度読者の『画図の品』は読んだつもりじゃったが、さっぱり売れん」
と投げやりに言った。
解説すると『品』とは『典型』であり『教訓とするにふさわしい「話の種」である どれだけ世が変わろうと、人は己を高める事を好み研鑽を積むための話を嗜好するのだ。という杉谷の考えから生まれた言葉だ。
それ故に、読者の求める話として
『神の末裔として立派な由緒を持つ家が、持っていた神変の力を、同僚の妬みにより下剋上を企んでいると讒言され討伐される。結局無実だと分かるのだが、当主は討死し、家を継ぐべき嫡子は赦免の使者を討ち手と思い目の前で悲劇的な死を遂げる』
という悲劇を書いてみたのである。
そして最後に悪い討伐者や約束を違えた大将も死ぬ。
それは民の喜ぶ『王道』の話であった。
だが売れなかった。
「ふむ、口伝の話としては中々良いと思うのだが、売り物としてはよろしくなかったか」
偉そうに人の家の主君の悲話を評価する口ぶりに杉谷は腹が立った。
抗議しようと振りかえり、仰天した。
「權之助様…」
そこに立っていた男は佐伯權之助という。
自分の元主君であり、『売れない』話に登場した人物の子孫。
おそろしきものの末裔、佐伯權之助
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