第7話 中庭と幼馴染

 昼休みになり、オレは中庭に設置されたベンチで一人、作戦を練っていた。


 何の作戦か? 当然、今朝見かけた負けヒロインとどうにかして関わるための作戦だ。


 今のオレは、薬の影響で負けヒロインの摂取が出来ない体である。口惜しいが、それはオレにはどうしようもない事実だ。


 しかし、薬の効能はいつか無くなる。イシュカーンがオレに投与したのは、オレのリビドーパワーを高めるためだ。そのうち欲望の開放は必ず可能になるはず。


 であれば、今の内に彼女と親交を深めていれば、薬の効力が切れた後にスムーズに彼女を立派な負けヒロインにすることが出来るじゃないか。

 前向きなオレは購買で買ったパンを食みながら、午前中の内に集めた負けヒロインの情報を整理する。


 彼女の名は恋ヶ埼愛。隣のクラスに在籍する、所謂優等生。なんでもどこぞの会社の社長令嬢らしい。かなりの美人。大人びた容貌とクールな雰囲気から、男女問わず人気が高い。

 彼氏はなし。美人だけあって彼女に告白する男子は数多く、しかしながら特定の仲の良い異性は現状いないらしい。

 どうやら学内でも有名らしく、知り合いに軽く聞いて回っただけですぐに彼女のことを知ることが出来た。成績もトップクラスで運動神経抜群、見た目も完璧と、有名にならないわけがない要素でいっぱいだから当然かもしれない。オレは知らなかったが。


 今のところ、負けヒロインらしい要素が見当たらない少女だった。


 当然ながら、外見というのは優れていれば優れているだけモテる。そしてモテる人物というのは付き合った後の破局こそあれ、そうそう失恋などしないものだ。高校生という恋愛に強い関心を持つ年代であればなおのことである。


 であれば、あれだけの美人がどうして負けヒロインの匂いを漂わせていたのだろうか。


 オレはセイヘーキの幹部になるほどの変態である。そんなオレの嗅覚が狂ったとは思えない。むしろ欲求不満と興奮剤のせいで冴えわたっている。

 今も中庭にいながら学内の負けヒロインの位置を把握できるほどだ。個人の識別までは不可能だが、大まかな人数と位置程度なら認識できている。


「初めてのパターンだ……負けヒロインになる素質だけを秘めていて、相手がいないのか……?」


 ひょっとすると、鋭敏になりすぎたオレの負けヒロイン感知センスが、未だ目覚めていない彼女の負けヒロインとしての才能を捉えてしまったのかもしれない。


 しかし、全ては憶測である。恋ヶ埼の人間関係や彼女自身の性格すら、今の自分は完全に理解したとは言えないのだ。確証が持てるわけがない。


 オレがうんうん唸っていると、


「やーくん!」


 校舎の方から優香が現れた。


 小走りで駆け寄ってきた優香は少しだけ乱れた息を整えると、オレの隣に腰かけた。


「よかった、すぐに見つかって。授業終わってからすぐに教室を出たからどこに行くのかと思ったよ」


 曰く、今朝から様子がおかしかったから話でも聞こうか、と思ったのだが購買にてオレを見失ってしまったらしい。


 確かに、4限終わり直後の購買は食料を求める生徒で溢れかえるからな。そこに突貫したオレを見失うのも無理はない。手に持った弁当袋を見て分かる通り、彼女は弁当派の人間だ、購買に慣れていないのも要因であろう。


「いつもおかしいといえばおかしいけど、今日はホントに変だったから」


 そう言ってから、優香は袋から小さい弁当箱を取り出した。

 いつもおかしいとは、失礼な言い草だ。


「正直に話してよ、嘘吐いたり誤魔化したりしたら怒るからね?」


 そういう彼女の様子からは、けっこう本気であることが窺い知れた。


 当然ながら、オレは彼女に対し馬鹿正直に全てを話せるわけがない。悪の組織のことを話さないにしても、何をどうして幼馴染のこの少女に、自分は今禁欲中だから様子がおかしいんだ、などと言えようものか。普通に恥ずかしい。


 しかし嘘を吐けばおそらくバレるだろう。長年の付き合いだ、オレが嘘を得意としないのも含めてそこは確信に近いものがある。優香の目からは話すまで逃がさないぞ、という強い意志が感じられた。


 少しだけ考えてから、オレは口を開いた。


「実は、気になる女の子がいてな」


「……えっ」


「どうにもそいつのことが気になって仕方がない。こんなの初めてなんだ」


「ちょ、ちょっと待って」


「彼女がどんな男が好きなのか、どうすれば彼女と仲良くなれるのか、そのことで頭がいっぱいなんだ」


「待ってってば!」


 突然大声を出した優香はオレの口を塞いできた。

 いったいなんだというのか。正直に話したじゃないか。少なくとも嘘はついていない。


「……いつもの、なの?」


「いつものって?」


「だから、いつもの負けヒロインを作る、とかってやつなの?」


 優香は訝しむように聞いてきた。


 ふむ、そこのところは少し難しい。


 今回のこれは、長い目で見れば確かには負けヒロイン作成の一環である。しかしながら、オレがそれを認めてしまうと、何かのはずみに薬の影響でオレの行動が阻害されてしまうかもしれない。


 阻害薬が何を基準にオレを禁欲させているのかオレには分かっていない。だから、なるべく負けヒロイン関連を意識せずに今回は行動すべきだろう。

 欲望を抑え、ただ仲を深めることだけに意識を向けるのだ。


 そこまで考えてから、オレは答えた。


「いや、そういうのじゃない」


 すると優香は驚いたような表情を浮かべ、持っていた箸を落としてしまった。


 ……そこまで驚くようなことを言っただろうか?


「やーくんが、やーくんが……」


「ど、どうした優香」


「やーくんが、変な趣味じゃない意味で女の子に興味を持ったの!?」


 身を乗り出すように顔を近づけてきた優香に、オレは思わず仰け反って距離を取った。


「変な趣味ってなんだ。負けヒロイン愛好は世界共通の健全な趣味だ」


「そんな頭のおかしい世界は滅んでしまえばいいよ! それよりもその子のことだよ! えっ、誰なの!? わたしの知ってる人!?」


 勢いよくまくしたてる優香。なんだこいつ、そんなにオレが誰かに関心を持つことが珍しいのだろうか。


 これでもオレは、交友関係は広い方である。今までくっつけてきたカップルと、敗北させてきた女の子が大勢いるからな。だから、彼女の反応の理由が分からない。


「落ち着けよ」


「わふっ!?」


 グシグシと荒っぽく、彼女の髪を撫でまわした。すると途端に優香は大人しくなる。昔からこうすると、彼女はなぜか落ち着くのだ。頭を撫でられるのが好きなのだろう。


 黙ったまま上目遣いでこちらを見る優香。犬っぽくてちょっと可愛い。いや、けっこう可愛い。


「今朝見かけた、めっちゃ美人な子。名前は恋ヶ埼ってやつ」


 隠すことでもないので、オレは素直に名前を口にした。


 再度、優香の顔が驚愕に染められる。


「えっ、あーちゃん?」


「なんだ、知り合いか?」


「知り合いっていうか……仲間? 親友? そんな感じかも」


 なんと、優香は恋ヶ埼を知っていた。


 なんでも高校に入ってすぐ知り合い、その頃からの付き合いらしい。


「そっか……あーちゃんかぁ」


 感慨に耽るように、優香は呟いた。


 恋ヶ埼のことを、彼女はあーちゃんとあだ名で呼ぶらしい。


 ちなみに、優香からは負けヒロインの匂いはしない。つまり、彼女は勝ちヒロインであるか、そもそも恋愛に興味がないタイプということである。今のオレの嗅覚に反応しないことからも、彼女には負けヒロインの素質がないことが分かる。


 負けヒロイン好きとしてはそのことを嘆くべきかもしれないが、正直彼女が敗北しないことに安心する自分の存在も否定できない。身近な人間には、やはり幸せになってほしいものである。


 そこのところ、複雑な心境だった。


「……よし!」


 少しだけ考える素振りを見せた後、優香はパチンと両手のひらを合わせた。


「わたしが2人の仲を取り持ってあげようじゃない!」


「え、いいのか!?」


 願ってもない提案に、オレは驚いた。


「もっちろんいいよ! せっかくやーくんがちゃんと女の子に興味を持ったんだから、ここで頑張らなきゃ幼馴染が廃るよ!」


「幼馴染って廃るものなのか……?」


 ふんす、と意気込み胸を張る優香。背とは異なるそこそこ優秀な発育が強調された。


「今回は変な趣味に巻き込むわけじゃなさそうだしね」


 うんうん、と頷く優香。オレは黙った。沈黙は金、である。


「わたしがなんとかしてあげる。感謝してよね?」


「正直助かる。ありがとな、優香」


「いいってことだよ。幼馴染だもん」


 素直に感謝を伝えると、優香はにっこりと笑った。


 と、急に辺りに影が差した。見上げると、先ほどまで青く輝いていた空は消え、分厚い雲が太陽を隠していた。


「うわ、曇ってきたな」


「そういえば、午後から雨って予報してたね」


 マジか、傘持ってきてないぞ。

 今朝は寝不足だったせいで、天気予報を見逃していた。


「もう、しょうがないなぁ。折りたたみ2本持ってきてるから貸してあげる」


 オレの表情から察したらしい優香が、呆れたような困ったような苦笑を浮かべた。


「何から何までホント助かる。もう優香の家に足を向けて寝れないな」


 ほら、降ってきたら濡れちゃうから教室に帰ろっ。


 そう言って先導するように立ち上がった優香に続くようにしてオレもベンチから離れる。


 優香のような幼馴染がいる、という事実に改めてオレは感謝した。

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