第8話 魔獣侵攻①

 優香と中庭で話し合った翌日のことである。


 昨日の雨が嘘のような晴天の中、少し濡れたアスファルトの上を優香と共に、恋ヶ埼について話しながら学校に向かっている最中、オレは周囲の様子に違和感を覚えた。


「ん? どうしたのやーくん」


「いや……この辺りってこんなに野良猫とか多かったか?」


 いつも使っている通学路に、やけに猫が多く見受けられたのだ。

 猫だけではない。ネズミのような小動物やカラスやスズメといった鳥類、タヌキやアライグマのような動物の姿さえ時折見かけた。


「んー、どうだろ。いつもそんなに気にしてないからなぁ。でも言われてみれば、ちょっと多いかも? でも、偶然じゃない?」


 オレの問いかけに、優香は首を傾げた。


 確かに、猫やカラスなんかは普段から当たり前のように街中にいるし、昨今では野生動物が市街地に現れることも珍しくなくなってきているらしい。だから、偶然今日それらの姿を多く見かけただけ、という意見も何らおかしくない。


 ただ、気になるのが柱の陰などに潜む黒ずくめの者たちの存在である。


 ……あれ、セイヘーキの下っ端構成員だよな。あいつら何やってんだ。


 彼らの黒ずくめの衣装は、組織の開発した目立たなくなる技術が使われている。それ故に登校中の生徒や出勤を急ぐ社会人などの通行人には、彼らの存在が意識されない。しかしオレは組織に長く勤めている上、そのほとんどを彼らと同じ黒ずくめとしてやってきていた。だからこそ、黒ずくめたちに気付くことが出来たのだ。


 隣を歩く優香の方を見ると、彼女は小首を傾げた。どうやら彼女もほとんどの人と同じく、黒ずくめを気にしていないようだ。


 黒ずくめたちは、道路上に落ちている動物たちの糞を拾ったり、モップのようなもので汚れたところを拭ったりしている。また、猫やカラスにエサを与えたり、動物を引き連れて街中に放ったりしている奴もいる。


 十中八九、この動物の増加は彼らの仕業だろう。


 彼らの行動そのものは、正直どうでもいい。道をきれいにすることにどのような意図があるのかなど、考えても無駄だからだ。


 セイヘーキは悪の組織である。そのため、慈善事業なんかでこんなことをするはずがない。考えられるのは、誰かしらの欲望の開放だろう。動物フェチとか掃除フェチとかそんなところだろうが、変態の性癖など同じ変態であっても理解できないのだ。

 だから、目的は考えても無駄なのである。


 オレが気になるのは、本日の曜日。


 今日は火曜日だ……日曜日じゃない。


 悪の組織セイヘーキの活動は、基本的に日曜日にだけ行われる。

 だのになぜ、黒ずくめが街中で活動しているのだろうか。


「やーくん?」


 思わず考え込んでしまったオレを、優香の声が現実に引き戻した。


 そうだ、悩んでも分からないものは分からない。組織の変態の気まぐれかもしれない。気になるなら今週の日曜にでも組織で誰かに尋ねればいいじゃないか。


 そう考え疑問を頭の片隅に追いやったオレだったが、学校に着くとさらなる異変に遭遇した。


「……いったい、どうなってるんだ」


 学校中から、変態の気配が漂っていた。


 教室から、職員室から、中庭から、グラウンドから、トイレから……ありとあらゆる場所から、かすかながら変態特有の空気が流れていた。


 漂う空気は、まだ変態として目覚めていない卵や蕾と呼ばれるような変態予備軍から感じることのできる弱いものだ。だが、それらは学校中全てから発せられているように感じる。


 考えられることは一つ。この学校にいる人間の多くが、変態として目覚めかけているのだ。


 しかしどうして。


 変態には、誰もがなる可能性を秘めている。人間の数だけ性癖があり、それがある程度大きく深く、重くなった者が変態だからだ。だから、変態が発生すること自体は何らおかしくはない。


 しかし、この量は以上だ。こんな同時に、今まで変態でなかった人間が変態としての才を目覚めさせかけるなんて、自然に起こったとは考えにくい。


「これは……変態の気配……? どうしてわたしの学校で……?」


「……んん?」


 大規模な変態の目覚めに対し絶句するオレの隣から、なんだかとんでもない台詞が聞こえた気がした。


 目を向けると、その視線に気づいたのかこちらを振り向く優香。


 彼女はハッとすると慌てた様子で、


「な、なんでもないよ!? なにも言ってない! うん、わたしなにも言ってない!」


 ワタワタと両手を突き出して、しきりに首を振った。彼女の動きに合わせて、フワフワの茶髪が宙を踊る。


 ……そうだよな、変態の気配とか聞こえたのは多分気のせいだ。オレのように日常的に変態と接しているならともかく、優香が変態の気配を察知できるはずがない。もし出来るならば、オレが変態だということが彼女にバレている。


 と、そこで。


「えっ……うん。ねえやーくん。わたし、ちょっと行くとこできちゃった。先生に遅刻するって伝えてくれないかな?」


 何かに気付いたようなしぐさをした後、優香は急に落ち着きを取り戻し、そんなことを言ってきた。なんだかただならぬ雰囲気である。


 そして、オレが返事をするより先に、オレに自分の学生カバンを押し付けると元来た道に向かって駆けだしていった。


「じゃあね! やーくんはしっかり授業受けるんだよ!」


「あ、おい!」


 呼びかけるが、優香は振り返ることなく走り去ってしまう。

 オレは一人、校門前で立ち尽くした。


 なんなんだ今日は……町中の雰囲気と言い、平日に動く黒ずくめといい、なりかけの変態で満ちた学校といい、今の優香といい……


 まったく分からないことだらけだ。恋ヶ埼のこともあるというのに、急に色々なことが起きすぎである。


「……はぁ、仕方ないか」


 ため息を吐いたオレは、考えることを止める。


 分からないことというのは、オレの頭じゃ大抵一生考えても分からないと思う。

 だから、ひとまずは分かりそうなことから、気になることから手を付けよう。


「よう! これオレの席に持ってってくれ!」


「えっ、矢太郎君!? えっ、えっ」


 荷物になる2つのカバンを、ちょうど登校していたクラスメイトに押し付け、オレは走り出した。


 まず優香だ。後のことは、それから考えよう。




 昨日は驚いた。


 まさか、やーくんがあーちゃんに興味を持つなんて思わなかった。それ以前に、普通に女の子に興味を持つなんて、考えてもいなかった。


 しかし、あーちゃんかぁ。ちょっとだけ意外かも。

 やーくんは、なんとなく仲の良い気の合う女の子を好きになると思ってたんだけど。


 聞いたところ、やーくんはあーちゃんと話したことがないらしい。それどころか、存在を知ったのがつい昨日のことだそうだ。あーちゃん、美人さんだしなんでもできるから、同学年どころかうちの学校中でけっこう有名なんだけど。


 つまり、一目惚れってやつなのかな。


 登校中に、あーちゃんについて話しながら、わたしはそんな風に思った。


 やーくんは変な趣味さえなければけっこうイイ感じな男の子だ。身長は高い方だし、顔立ちもイケメンってほどじゃないけど悪くない。勉強はあんまり得意じゃないけど、スポーツなら大抵上手にこなしてしまう。性格もちょっと奔放だけど、あれでいてけっこう気を使う方。ホントにあの趣味さえなければ、と思わずにはいられない。


 だから、あーちゃんとやーくんが付き合うのは十分にあるとわたしは思う。あーちゃん自身、男の子の友達が欲しいと言っていたから、少なくとも仲良くはなれるだろう。


 わたしと仲の良い2人が仲良くなるのは歓迎だ。でも、付き合うことになったら、わたし、邪魔にならないかな?


 そんなことを考えながら、登校中にあーちゃんのことをやーくんに話していると、彼が急に押し黙った。


「ん? どうしたのやーくん」


「いや……この辺りってこんなに野良猫とか多かったか?」


 言われて辺りを見回すと、確かにネコさんが多かった。しかし、普段のネコさんの数を覚えていないわたしには、いつもと比べてそれが多いのかは分からない。


「んー、どうだろ。いつもそんなに気にしてないからなぁ。でも言われてみれば、ちょっと多いかも? でも、偶然じゃない?」


 やーくんは他にも気になるところがあるのか、辺りをキョロキョロと見回す。電柱だったりブロック塀の陰だったり、そういったところに視線が向いている。なにかいるのかな?


 一通り周囲を見回したやーくんは、私の顔を見つめてきた。今度はなんだろ。

 首をかしげるわたしに対し、やーくんはため息一つ。むっ、失礼な。


 ふくれっ面を浮かべてみるが、やーくんはどうやら思考の海に没頭中。わたしの方を向いているのに、わたしは目に入っていないみたい。

 それがちょっと不服だったから、わたしはやーくんに強めに呼びかけた。


「やーくん?」


 呼びかけられたやーくんはようやくわたしの方を見た。彼は不満げな顔を浮かべるわたしに対し、荒っぽく髪を撫でることで応じてくる。


 わ、わ。


 適当に撫でられた髪は、せっかく整えたのにしっちゃかめっちゃかになってしまった。なんてことを。


 しかし、わたしはやーくんにこうして撫でられることはけっこう嫌いじゃない。だから、手櫛で髪型を直しつつも視線だけでしか文句を言えない。嫌がっていると思われて撫でられなくなるのは、なんとなく嫌だった。


 彼が頭から手を放して、しばらく歩き学校に着いた頃。


「これは……変態の気配……? どうしてわたしの学校で……?」


 校門前でわたしは、学校から漂う微かな変態の気配を感じ取っていた。

 弱々しいけれど、わたしがこれまで感じたことのないような、大規模な気配だ。


 なんで変態が……それに、今日は平日なのに……


「……んん?」


 呆気にとられるわたしの隣から疑問を浮かべるような声が聞こえ、わたしはハッとする。


 まずい、つい声に出してしまっていた。


「な、なんでもないよ!? なにも言ってない! うん、わたしなにも言ってない!」


 必死にそう否定する。急に変態の気配、なんて言い出すような変な子だと思われたくない。そう思われるのは、すっごく恥ずかしい。


 はっきり聞こえちゃったかな。どうだろ。誤魔化されてくれないかな?


 と、そんな風に慌てるわたしの耳に、どこからともなく声が聞こえてきた。


『ユウカ! セイヘーキが現れたモフ!』


「えっ」


 その声によって、わたしの頭は急激に冷静さを取り戻す。高校生のわたしから、スイッチが入るようにして正義の味方のわたしに思考が切り替わる。


『場所はここからそう離れてないモフ! 平日だけど、セイヘーキの好きにさせるわけにはいかないモフ』


「……うん」


 わたしは声に頷くと、驚いたような表情を浮かべているやーくんに向き直った。


「ねえやーくん。わたし、ちょっと行くとこできちゃった。先生に遅刻するって伝えてくれないかな?」


 そう言って、やーくんにカバンを押し付ける。彼が咄嗟に受け取ったのを確認してから、わたしは元来た道を引き返すように駆けだした。


「じゃあね! やーくんはしっかり授業受けるんだよ!」


「あ、おい!」


 後ろから呼び止めるような声が聞こえたが、止まるわけにはいかない。


 だってこれは、わたしにしかできない仕事だもの。わたしたちの使命。人々の愛を守るための戦いに、わたしは赴くのだ。


 校門から見えなくなるくらいの場所まで少し走って、人通りのない路地裏に入り込む。そして、


「ピュアラブチェンジ!」


 そう叫んだわたしの体が、ピンク色の光に包まれた。

 少しして光が収まる。


 うぅ……やっぱりこの格好、ちょっと恥ずかしいかも。でも、そんなこと言ってる場合じゃないよね……


「……よし、行こう!」


 悶えたくなる心に鞭打って、わたしは路地裏から飛び出した。

 現れたわたしの姿を見た通行人は、びっくりした表情を浮かべて足が止まる。

 

 そんな目で見ないでほしい。けっこう恥ずかしいんだから。


 先ほどまで制服を着ていたわたしの体は、ピンクと白のフリフリとした衣装に包まれていた。

 腰にはピンクのステッキ。髪もピンク。ピンクを基調とした、まさに魔法少女とでも言うべき姿にわたしはなっていた。


 わたしは愛恋寺優香。そして、わたしにはみんなには言えないもう一つの姿がある。


 歪んだ性癖から人々を守る純愛の戦士、ピュアラブシスターズのその片割れ。

 正義の味方、ピュアラブピンクだ。


「さっさと終わらして、学校に戻らなきゃ」


 気合を入れなおすと、わたしはセイヘーキが現れたという現場へ向かって走り出した。

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