第17話 フランツは、師匠とデートする 中編
「師匠は僕がくる前は、市場に来たことはないの?」
「ほとんどないね」
オリオンは普通のことのように、頷いて答える。
街中に来ることはあっても、雑多な場所に興味を持ってこなかったせいだ。
「じゃあ家にある家具は、どうやって揃えたの?」
「薬師ギルドの人間に頼んで購入してもらっていたよ」
「だから最初、僕が来た時にはパンと蜂蜜しか食べるものが無かったんだね」
「生きるためにはそれで十分だったからね。ギルドには随分助けられたよ」
フランツは遠い目をして笑った。
当初、貯蔵庫には水とパンと蜂蜜のほかには何もなかった。だから魔女の家に訪れた最初の頃の食事は本当に酷いものだった。
足りない分は、栄養素を補給する薬を飲んでいたらしい。
薬師ギルドの人は、それでいいと思ったのだろうか。
「師匠のことだから拒否したんだろうな……」
「何か言ったかい?」
「何も言ってないよ」
筋金入りの魔法薬師は、フランツがいなければ食事を楽しむ気なんてさらさらなかった。料理を作る手間のほうがずっと惜しかった。
「キミは凝り性だから、色々なものを作ってくれるよね」
「師匠には美味しいものを食べてほしいですから」
「嬉しいことを言ってくれるじゃないか。キミの料理は素晴らしいからね」
褒められたフランツは、頬を染めて照れた。
今朝の食事は美味しいと言ったが、あれは本当に例外中の例外だった。
今日だけで、一生分褒められて気さえした。
「お返しに、今日は美味しいものを御馳走しよう」
「えっ、師匠が?」
「作るわけじゃないけどね。以前に薬師ギルドの人間と来た店があるんだ。その時はどうも味が分からなかったが、キミとならきっと楽しめるはずだ」
「じゃあお昼ご飯は決まったね!」
師匠がおすすめしてくれるなら、いい店なのだろう。
進路を変えて、魔女の案内する料理店に向かう。
やがて目の前に現れた店を見て、フランツは顔を抱えた。
「またですか師匠……」
「こういう店は好きじゃないかい」
「そうじゃないけど、師匠が連れて行ってくれる店は、僕には高級すぎるんだよ」
古い雰囲気の建物には、庶民とは一線を画す雰囲気が漂っている。
内装は貴族の邸宅のように整っていて、高級感が漂っている。
白いテーブルクロスの敷かれた机の上には花が添えられていた。
師匠がおすすめする店はいつもこうだ。
「ここの料理は中々評判らしいから、普段通り楽しむといいよ」
「うん……」
フランツは遠い目で五歳の頃の自分を思い出した。あの頃は無邪気で能天気で、こんな天上の世界に来るなんて想像もしていなかった。
緊張で味が分からなくなりそうだが、いつものことなので慣れた。
この店に来るのは初めてだが、開き直ることにした。
「ありがたくいただきます」
「キミのいいところは、かしこまらないところだね。ああ、来たみたいだ」
他愛もない会話を交わしているうちに、料理が運ばれてきた。
紳士服の男が持って来たのはサラダとスープだ。
メインディッシュが後から運ばれてくる、珍しい形式の一連の料理らしい。
村の生活感覚がいまだに抜けていないフランツは覚悟を決めて、美しく盛り付けられたサラダを口にした。オリオンも同じくスープを口にしてほっとしたように微笑んだ。美味しいことは分かっていた。
「ここはいい街だと思わないかい、フランツ」
オリオンは、スープの入った白い磁器のコップを持ち上げた。
「急にどうしたの?」
「ボクはこの街が気に入っているんだ。他と違って魔法薬がすぐに行き渡るし、皆が豊かな暮らしをしている」
「うん、僕もこの街は一番楽しい場所だと思う」
フランツも少し考えた後に、頷いた。
「娯楽にも事欠かず、食事まで美味しいときている。キミはこの街のどこが一番好きなんだい」
「この街は、師匠のことを好きな人がたくさんいるんだ」
「それはキミらしい、面白い意見だね」
思いつきもしなかったことを言われて、くすくすと笑った。
この街は薬師ギルドのおかげで、魔女オリオンの評判は高い。
しかしフランツらしい発想だ。自分の評判のことを考える機会は少ないのに、弟子は気にしているらしい。
「師匠、今日はよく笑うね」
「そうかな?」
「うん、すごく素敵だと思う」
「おや、嬉しいじゃないか。キミも世辞がうまくなったねえ」
弟子の成長に表情がほころんだ。
薬の効果でフランツに惚れているせいか、特別な幸せが心を満たしてフワフワとした心地になった。こんなに喜ばせる相手が五歳の幼い子供だったなんて信じられない。
「ああ。今日は、本当に素晴らしい休日だ」
自分を考えてくれる弟子が愛らしく、そして誇らしい。
そうやってスープを飲み終えて机に戻したところで、フランツが見計ったように言った。
「師匠に聞きたいことがあるんだ」
「何だい神妙な顔をして」
急に、弟子の様子が変わった。
さっきまでの明るい雰囲気とはうってかわって、何かを悩んでいるような素振りを見せる。
オリオンが待っていると、フランツは思い切って尋ねた。
「師匠は、この世から全ての呪いを無くすんだよね」
「ああ、そのために魔法薬を作っているよ」
「もしそれを成し遂げられたら。そのあとはどうするの?」
「随分と先の話をするんだね……そうだね。考えたこともなかったよ」
弟子からの問いに軽く息をついて、想像してみる。
呪いを無くしたらどうするかなんて、イメージが湧かない。
きっと途方もない時間がかかるし、永遠に呪いが無くなる時なんて来ないかもしれない。自分が特効薬であり続ける姿がまぶたの裏側に浮かぶ。
「安心して役目を終えられるよ」
でも、もし本当に呪いがなくなったら、生き続ける意味はない。
フランツもその答えが返ってくるのがわかっていたのか、悲しそうにうつむいた。
「どうしてそんなことを聞くんだい」
「僕は、師匠に幸せになってほしいと思っているんだ」
急にそう言われて面食らった。
弟子の言葉の意図を理解できずに首をかしげる。
フランツは続けて言った。
「今日の師匠はずっと幸せそうで、僕は師匠にそうなってほしいんだ」
「……ボクが好きでやっていることだから、見返りは望まないさ」
弟子が何を言わんとしているのかは分かっている。
「師匠は魔女として尽くして、自分が幸せになれなくてもいいの?」
「そんな風に心配してくれるだけで嬉しいよ」
「いつも休まずに薬を作って、十年も経ってようやく自分のために休みをとって……明日になったらまた元の暮らしに戻っちゃうんだよね」
「フランツ」
弟子の訴えに対して、オリオンは悲しそうに微笑みながら言う。
「何があってもやることは変わらない、天命を全うするんだ」
「そんなの嫌だよ」
「仕方のないことだよ、ボクがそうすると決めたんだ。受け入れるさ」
フランツの目は水面のように揺らいでいた。
「僕、やっぱり師匠のところから離れたくない」
弟子が何を言いたいのかを察して、ゆっくり目を細める。
心が苦しくなるのを感じた。
永遠を生きることの責任を負った魔女として、悲しんでいるフランツに告げなければならなかった。
「気持ちは嬉しいよ。でもボクの歩く道には終わりがないかもしれない」
「はい……」
「永遠に終わりが来ない人生は苦しいよ」
オリオンは魔女として
永遠の時間を過ごすために、普通の幸せは全て捨て去っている。
自分の定めた使命を果たすために、永遠の苦悩を受け入れた。たった一人の大切な弟子を付き合わせるわけにはいかない。
「キミに、同じ道を歩ませたくないんだ」
「お姉ちゃんが一人ぼっちになっちゃうよ」
「仕方がないことさ」
「報われなくてもいいの……?」
「……ああ、いいよ」
繰り返される問いかけに、オリオンは次第に答えに窮するようになった。
即答するべきなのに心が痛い。胸に湧き上がってくる、心をつんと刺すような苦しい感覚のせいで躊躇ってしまう。
新しく感じる嫌な感覚に、心を見失っていた魔女は戸惑った。
「僕は、師匠を幸せにできないんだね」
フランツの言葉に、胸が打たれるような感じがした。
体の奥から熱い何かが込み上げてくる。
オリオンは唇を結んだ。
「ねえ師匠。今日はやっぱりいつもと違うよ」
「…………」
「こんな風に話してくれるなんてなかった。もしかして惚れ薬を飲んだの?」
「……キミはやっぱり、よくボクのことを見ているね」
泣きそうな顔をした弟子が察していることには、何となく気づいていた。
顔を赤くして、普段と違う行動をとって一緒にいたがったのだ。
当然、気付く。
「僕は師匠が好きです」
「……うん」
「でも僕は、師匠のもとにはいられない」
「…………」
弟子の思い悩む気持ちは痛いほどに伝わってくる。
昨日は全く分からなかった気持ちが分かるのは、きっと同じ想いを抱いているからだ。
今のオリオンは弟子に惚れている。
恋心は幸せだけではなく、辛い感情さえも引き起こした。
それでも師匠として言わなければならない。
「ボクに、付き合わせるわけにはいかないよ」
想うからこそ、突き放す。
自分の過ごしてきた人生を味わせるわけにはいかない。
「魔女になれば、森の奥で一人で暮らし続けなければいけない、薬を求める人にさえ嫌われる。どれだけ呪いを解いてもすぐに次がやってくる」
オリオンは初めて弱音を吐いた。
自分で決めたことだから、最後までやり遂げなければならない。そう思っていても、心のどこかには暗い気持ちが溜まっていた。
「キミとの時間が終わってしまうのは辛いよ。役割を終えた後に一緒に過ごせるなら、それはきっと幸福なんだろう」
フランツは拳を握りしめる。
師弟は心を交わし合って、お互いの気持ちをよく理解した。
「でも誰よりも大切なキミだからこそ、駄目なんだ」
泣き言一つ言わず、ここまでついてきた。
優秀な弟子に、報われない自分の生き方をなぞってほしくない。
オリオンは光の宿った瞳をつむる。
「どうか、外の世界で幸せになってくれたまえ」
あり得ない未来を見た魔女の目元から、一筋の涙がこぼれた。
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