第16話 フランツは、師匠とデートする 前編


 休日を迎えた二人が訪れたのは隣国の街。

 フランツにとっては初めて魔法薬を作った土地で、薬師ギルドを通じて魔女の名前が最も知れ渡っている場所だ。

 普段と違って入国税を払って街の中に入ったあと、大きく伸びをした。


「何も用事がないのに街に来るのは、新鮮だねえ」


 魔女としてではなく、一般人として訪れるのは初めてだ。

 オリオンは用事もなく街に来たことは一度もなかったので、これだけでも新しい体験だった。


「ねえ師匠、どこに行こう。とりあえず歩いてみる?」

「何も考えずに、キミと過ごすというのも悪くないね。いいよ」


 オリオンは楽しそうに弟子の手を握りしめた。

 フランツは恥ずかしがった。


「手を繋ぐのは恥ずかしいよ……」

「はぐれないためには止むを得ないだろう。ボクについてきたまえ」


 弟子の手を引いて意気揚々を踏み出す。

 フランツは師匠の明るい表情を見つめる。


「今日は街が賑わっていて、楽しいねえ」


 世の深淵を知る、神算鬼謀の森の魔女ではない。

 瞳にはいつもと違って光が宿っていて楽しそうだ。無邪気な女性としての振る舞いを見て、フランツはときめいた。


「前に来た時と同じくらいだよ、師匠」

「そうかな。フフ、キミとこうしているおかげかな」


 甘い言葉を言うと、フランツは赤く染まった表情を逸らした。

 弟子の初々しい反応を楽しみながら、さらにオリオンの視線は周囲を向いた。


 無意味だからと、聴き流してしまっていたものが聞こえる。見える。

 元気に商品を売り込もうとする商人の声が響いてくる。

 街人の他愛ない会話も聞き取ろうとしている。

 急に世界が色づいて見える感覚に陥って、今は何もかもが楽しかった。


(ああ、恋というのは本当に楽しいものだ)


 彼がいるおかげで満たされる。

 握った手から幸せが伝わって、もう二度と離したくないと思ってしまう。

 惚れ薬の効果で、惚れる対象は間違いなく弟子を向いている。自分にこういう感情はないと思っていたけれど、そうでもなかったらしい。

 周囲の景色を楽しんでいる時、ふとオリオンは足を止めた。


「あれは何をやっているのかな」


 街の大広場で、大勢の町人が集まっている。

 人を集めている何かがいることに気がついた。隣のフランツが説明する。


「大道芸人の人だよ、師匠」

「そういう仕事ということかい?」

「うん、派手な演技で客を楽しませているんだよ。見るのは初めて?」

「そうだね。少し行ってみようか」


 二人で足を止めて、人混みから演技を見守った。

 緑色の服を着た男が腕を振るうと、大量の鳥が爆発するみたいに、いっせいに四方八方に飛び立った。

 観客の盛大な声援と拍手があがる。


「こういうのを見るなんて、珍しいね」

「だって楽しそうじゃないか。彼が何を成すのかとても興味があるよ」


 フランツは一人で買い出しに来た時に見たことがあった。

 しかし薬にしか興味を持たなかったオリオンにとっては初めての経験だ。

 大道芸人は一本の棒を取り出した。

 宙で回転させると、棒の端から青緑色の炎が吹き出して観客が悲鳴をあげた。


「見たまえふらぬ、あれはまさしく銅を燃やした時の炎色だ!」


 オリオンは興奮したように声をあげた。


「し、師匠、こんなところでネタをばらしたら駄目だよ……!」

「ああ、すまない。ついね」


 持ち前の技術から手品の種を見抜いたオリオンは、その後も目を輝かせながら子供のように大道芸を見守った。

 フランツは少し恥ずかしかったが、楽しんでいる魔女を見て嬉しそうだった。


「ありがとうございます、お客さん。どうもありがとう!」


 長いパフォーマンスを終えた後は拍手喝采。

 最後に置かれた帽子に、続々と銅貨や銀貨が投げ込まれた。


「へえ、料金は決まっていないんだね」

「芸だからね。みんな楽しめたと思った分を入れるんだ」

「魔法薬とはずいぶん違うんだね」

「僕たちもお金を入れないと」

「ああ、待ちたまえ。ここはボクに任せて」


 客がひととおり去った後。

 帰り支度を始めようとした大道芸人に、オリオンは一人で近づいていく。

 

「ああ、片付けるのは少し待ってくれないかい」

「はい……?」


 老齢の大道芸人は不審そうにオリオンを見た。

 路上の芸とは縁がなさそうな、白衣をまとった異質な空気を漂わせる女性は、庶民的な場の雰囲気にはあっていない。

 しかしオリオンはそんなことは気にかけず、逆さになった帽子の中に迷いなく金貨を入れた。大道芸人は目玉を飛び出して驚いた。


「お客さん、これ間違ってるよ!?」

「間違ってないさ。ボクはいいものには金を払う主義なんだ」


 笑顔で平然と言ってのける魔女の裏で、フランツは背後で顔を抑えた。

 言いたいことはわかるが金貨はやりすぎだ。

 下手をすると、あの帽子に入っている金額よりも多い。


「キミはここで芸を披露しているのかい」

「ええ。もう二十年になりますか」

「僕もたまにこの街に来ているけれど、全然気付かなかったよ。もったいないことをした」

「ハハ……こうして多くの人に見てもらえるようになったのは、最近ですから。無理もありません」

「一つのことを極めるのには長い時間がかかるものさ。素晴らしかったよ」

「そう言っていただけると嬉しいものですね」


 二人は少しづつ打ち解け始めた。

 一つの道を極める者同士で、通じ合うものがあったのかもしれない。

 

「炎の演舞には感動したよ。あれは筒の内側で銅を燃やしているんだよね」

「そこまで見抜かれてたとは、お見それしました」

「仕事柄、炎の色を変える機会が多くてね」


 老人は首をかしげる。

 炎の色を変えることに意味のある仕事なんて、この世で大道芸人か魔女しか存在しない。


「他にも、白や黄、桃色に変える方法もあるが知っているかい」

「なんと……! そんなこともできるのですか」

「きっとよりよい芸を作ることができる。キミさえよければ方法を伝授しよう」

「是非!」


 それからしばらく話して、フランツのほうに戻ってきた。

 戻ってきたオリオンは、新しい研究道具を手に入れた時のような、心底楽しそうな表情を浮かべていた。今日はずっと笑顔だ。


「炎を変えるやり方は魔法薬作りの秘術だよね」

「そうだね」

「教えてもいいの?」

「ボクの知識が人を幸せにする助けになるのなら、惜しまないさ」


 返された言葉にフランツも苦笑いした。

 こういうところは、いつもの師匠と変わらない。

 すっきりとした気持ちで広場を離れた後、オリオンはあたりを見回した。

 

「楽しかったが、行くあてがなくなってしまったねえ。他に面白いものは見つからないかな」

「反対側の市場に行ったら、楽しいものが置いてあるかもしれないよ」

「それはいい考えだね。では行こうか」

「でも師匠、やっぱり手を繋ぐのは恥ずかしいよ……」

「まあそう言わないで。いいじゃないか、せっかくの休みなんだから」


 フランツの主張を聞いてくれる気配はなかった。

 子供のように手を引かれたまま、二人で市場にたどり着く。

 食事や家財、装飾品などが並んでいて、楽しげだが粗雑な雰囲気が漂っていた。フランツはよく知っているが、オリオンは初めて訪れたような反応で、注意深く周囲を観察した。


「売っているものにまとまりがなくて面白いねえ。何が置いてあるんだろう」

「ここには何でもあるけど、いつも必要なものはなかなか見つからないんだ」

「この乱雑さは、キミの部屋によく似ているねえ」


 悪戯っぽく言うと、フランツはむっとする。


「それを言うなら、僕が来る前の師匠の家でしょ。僕が全部掃除したんだよ」

「おや。キミも言うようになったじゃないか」


 クスクスと笑って弟子の言葉を聞き入れた。

 日常生活が苦手なので、フランツがくる前の家はひどく荒れていたのだ。今でもフランツが気を抜いたら大変なことになる。


「ここに来ると、ここで素材を買って薬を作っていたことを思い出すね」

「師匠の使う素材って、ほとんど薬師ギルドが買ってきたものじゃないの?」


 オリオンの言葉に首をひねる。

 意地悪な笑みを浮かべて、フランツを見た。


「キミの最初の薬作りのときの話をしているんだよ。あのときの素材は、どこのものとも知れない、市場で買った最低品質のものを使っていただろう」

「うっ……」

「あれを見たときは肝を冷やした。うまくいって本当によかったねえ」

「そのことは言わないでよ……」


 恥ずかしそうに視線を逸らした。

 フランツが初めて魔法薬を作り上げた日のこと。

 最低品質の素材を使って薬を作ろうとして、一度目に大失敗したことを思い出した。オリオンは悪戯に成功したように気を良くした。


「まあまあ、そう拗ねないで」

「……むう」


 頬を膨らませたフランツの頭を撫でてなだめる。


「それより他の店について教えてくれないかい」

「……うん」

「あの屋台に置いてある布の塊は何に使うんだい?」

「魔除けの人形。あれを置いておくと、病魔が近づいてこないの」


 からかわれたフランツは、ぶすっとしながら答える。

 気にせずにさらに深掘りして尋ねる。


「あっ。キミが部屋に置いている小物が売っているよ!」

「ここで買ったんだよ。あの露店はいつも、いいものが置いてあるんだ」


 店はたくさんあって、今のオリオンは全てに興味を抱いた。

 フランツも機嫌を治して師匠に熱心に付き合った。

 姉弟ほどの歳に見える二人だが、今は周囲から温かい目で見られていた。

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