第14話 フランツは、師匠に反発する


 魔女の家に訪れた商人は、目的を果たして引き揚げていく。

 巨竜とともに倒れていった木々の方角に去っていくのを、師匠と弟子は玄関先で見守った。


「森を修復しなければいけないね」


 折り倒された森を見たオリオンがつぶやいた。

 見るも無残な有様だ。魔法の力があったとしても元通りになるまで数ヶ月はかかるだろう。しかし、そのことに特段の感情は持っていないように見えた。

 普段通り研究室に戻ろうとしていた。


「待ってよ、師匠っ!!」


 研究室に戻ろうとする師匠を、大声をあげて呼び止めた。

 弟子の呼びかけに足を止めて振り向く。


「どうかしたのかい」

「どうして、あんな大変な薬を渡したの……!?」


 フランツは納得いかずに詰め寄った。

 それに対するオリオンの態度は飄々としたものだった。


「別に大した薬ではないと思うんだけどねえ」

「そんなことない。心を変えてしまうなんてダメだよ……!」

「心を変えるというのは確かにその通りだね」


 既に薬は渡ってしまっているので手遅れだ。

 しかし、それでも分かって欲しいと思って必死に訴えかけた。

 それに対してオリオンは、逆に言い聞かせるように尋ね返す。


「つまりキミは、惚れ薬を禁忌に分類すべきだと思っているのかな」

「はい」

「でもね、それほど大変な薬だとボクは思っていないんだよ、フランツ」

「えっ」


 真っ向から対立する意見がかえってきて、思わず言葉を失った。

 こんなことは初めてだった。

 オリオンは懇切丁寧に自分自身の理屈を説明した。


「例えるなら、惚れ薬は酒と変わらないと思っている」

「お酒……?」

「ああ。引き起こす感情は特定のものになるけれど、高揚を促すという点で効果は同じだろう」

「それはっ、でも、だって……」


 反論しようとしたが言葉が思いつかない。

 魔女の言葉は間違っている。しかしこうまで『嫌だ』と思っているのに、自分自身で納得のいく説明ができなかった。

 恋心を引き出す薬なんて大したことがないのかもしれない。

 そう絆されそうになるが、それでもフランツは抵抗した。


「僕は、そんなの納得できない」


 ぎりりと歯を噛み締める。

 子供のわかままのような論理性の欠片もない反論。

 感情に任せて言っただけで、何の根拠も示すことができていない。フランツは自分のほうが間違っていると思い始めた。


「ボクの決めたことを否定するのは、これが初めてだね」

「…………」

「家の中で少し話そう、フランツ」


 オリオンは弟子を導くように家に戻っていった。

 二人は改めて食卓についた。客人の使ったティーカップが残っていたが、二人が気にすることはなかった。


 つい、反論してしまった。

 フランツは後悔したような表情を出しながら魔女の言葉を待った。

 それに対して、まずは弟子を安心させるように前置きする。


「まず最初に、別にキミを責めようと思っているわけじゃない」

「そうなの?」

「ボク自身にはない考え方を知りたいんだ。そのために、いくつか質問をさせてもらうよ」


 静かに怒られるか、最悪の場合は追い出されるかもしれないと思っていたフランツは、ひとまず胸を撫で下ろした。

 オリオンは自分自身の細い手先を見つめながら、まずは語った。


「ボクはこれまで数え切れないほど薬を作ってきた。呪いに対抗する薬だけじゃなく、特別な効果をもたらす魔法薬も山ほどある」

「……うん。それは分かっているよ」

「その中で、禁忌の薬については覚えているかな」


 もちろん知っている。弟子として学んできたフランツは頷いた。

 魔女の薬には『禁忌』とされるものが存在する。


 途方もない快感を得るかわりに、永久に心を壊す薬。

 身も心も、動物に生まれ変わらせる薬。

 他者に魂を移して人生を奪う薬。


 数々のおぞましい効果を持った薬が目録に載っていて、フランツでさえ知らないどこかに厳重に保管されている。


「あれらを禁忌とするのを決めたのはすべてボク自身だ」

「世に出してもいい薬かどうか、お姉ちゃんが決めてきたんだね」

「そうさ。だがボクも完璧ではないから、線引きを間違えることがある」


 そんなことがあるのだろうか、と思った。

 魔女オリオンはフランツの何十倍も長く生きている。

 自分の言うことなんかよりもずっと正しいはずだ。


「魔法薬のせいで不幸になる人間を出したくないんだ。だからキミに聞く」


 そんな人が自分に意見を求めている。

 真剣に話を聞いてくれているのだと思うと、逆にひどく緊張した。


「キミはあの商人は不幸になると思うかい」

「絶対に失敗すると思う。あんなやり方で成功するわけない」


 フランツは緊張しながらも、膝の上で拳をにぎりこみながら断言した。

 彼の態度から末路が簡単に想像できた。


「あの人はきっと薬を盛って飲ませる」

「同意を得て飲ませるように忠告したけれど、彼はそれを破るということかな」

「そもそも、自分の恋心を変える薬を知っていて飲む人なんていませんよ」

「そういうものかい」

「絶対にそうだ」


 首を傾げながら話を聞いていた。

 オリオンが妙なところで感情に疎いことを知っていた。鈍感な師匠に、何とかして伝えようと声に力が入る。


「禁忌の薬ほどじゃないかもしれない。でも師匠の薬のせいで傷つく人が出るのなら、僕は止めたかった」


 男女とも報われない結果になる。

 惚れ薬で恋心が生まれたとしても、続かなければいい結果にはならない。

 オリオンは弟子の言葉を最後まで聞いた末に言う。


「否定した理由を推測してみた。でもキミの言うことは理解しきれない」

「っ……」


 人差し指の先を立てて言う。

 フランツは師匠分かってもらえなかったが、続く言葉を聞いた。


「判断に相違があるのは、キミにあってボクにないものがあるからだと考えるべきだろう」

「それは、そうなのかな」


 そんなものがあるのだろうか。

 完璧な師匠は、自分が持っているものなんて全て持っているはずだ。


「実のところボクは、人と比べて感受性が低いようでね」


 椅子に背を預けたオリオンは目をつむって告げる。


「それってどういうこと?」


 聴き慣れない言葉に、フランツは首をかしげる。


「他人の心を理解できても、納得はできないという感じだね。長く生きるうちにキミのように豊富な感受性を無くしてしまったんだ」

「……?」

「まあ要は、キミの方が優れているということさ。そして今回の場合は、まさしくそれが表に出たわけだね」


 褒められたのか、そうでないのかも分からなかった。


「惚れ薬の効果は覚えているよね」

「飲んだ人の恋心を引き出すんだよね」

「キミも同じ感情をボクに抱いているから、共感できたんじゃないのかい」


 フランツは一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

 あまりに平然と言ってのけたので固まったが、次の瞬間には顔が茹でられた蛙のように赤くなった。


「な、何を言っているのさ!?」

「キミはボクに対して愛情を抱いているだろう」

「お姉ちゃん、絶対それ意味わかって言っていないでしょ!」

「特定の相手を好ましく感じて、傍にいたいと思う感情のこと。いわゆる男女の親愛のことを指したつもりだよ」


 こうまではっきりと言われては、逃げ道はない。

 平常心を保っていられなくなり、口を開けては、閉じるのを繰り返す。


「ボクの体は若いままだから無理もないね。何もおかしなことじゃないさ」

「…………」

「フランツ?」


 微笑んでいた魔女は、目をまばたかせた。

 弟子の表情が悲しみに暮れていく。俯いて消沈していくのだが、オリオンにはその理由が分からない。


「それ以上はやめてください、師匠」


 フランツは自分の腕を握り締めながら、言葉を絞った。

 明確な拒絶がかえってくる。

 それを聞いたオリオンは、口を閉ざしてうつむいた。


「悪いことを言ってしまったようだね」

「あっ……」


 師匠の消沈する声を聞いて、焦ったのはフランツだ。

 慌てて自分の言葉を取り消そうとしたが、もう遅かった。 


「す、すみません師匠、僕っ」

「いいさ。キミの心に無遠慮に踏み込みすぎてしまったようだ」


 死んだ生物のような濁った眼を天井に向けて、背もたれに体重を預ける。

 二人の間に気まずい空気が流れた。


「この話はまた今度にしよう」


 そう言って、オリオンは席を立った。

 フランツは慌てて引き留めようとしたが、言葉が見つからない。


「師匠、僕……」

「無理はしなくていいよ」


 研究室に戻る前に振り返って、扉に手をかけながら言う。


「否定の判断を下した理由は腑に落ちていないけれど、キミを傷つけてまで納得したいことじゃない。ボク自身で導き出してみせるさ」

「……ごめんなさい」

「今回はボクに非があるんだ。今日も、後のことは任せたよ」


 研究室に去った後は扉がしまる。

 立ち入りが禁じられているわけではないが、追いかける気力は湧かなかった。

 フランツはその場から動けない。

 机の上に両腕を組んで、顔を伏せた。


「僕は、馬鹿だ」


 こんな形で知られるなんて思わなかった。

 幼い頃から特別に育てられて、常に一緒に過ごしてきた。

 いつも優しく接してくれる師匠が好きだった。

 世界で一番、尊敬すべき人に知られた。


「僕なんかが、師匠と釣り合うはずがないのに」


 いつか出ていかなければいけないと知ったとき、真っ先に嫌だと思った。

 理由は師匠と離れたくなかったからだ。


 そんな気持ちのせいで、師匠を悲しませてしまった。

 フランツの心は後悔で満たされた。

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