第13話 魔女オリオンは、来客と交渉する
フランツが自身の将来に悩み、モヤモヤと考えはじめてから数日。
魔女の家で、とある事件が起きて悩みが吹き飛ぶことになる。
突然、家全体が揺れる重い地響きがやってきた。
自室で本を読んでいたフランツは、激しい音を聞いて飛びあがった。
持っていた羽ペンを床に落として、慌てて窓の外を覗く。
「な、なな、なにっ!?」
異変の元凶はすぐに見つかった。
小山のように大きな、正体不明の灰色の巨体。
木々をなぎ倒しながら、真っ直ぐに魔女の家に迫ってきているではないか。
フランツは悲鳴をあげながら、転げ落ちるように階段を降りる。初めてノックもせずに研究室の扉を開けはなった。
「ししし、師匠、大変! 大変っ!」
「何だい騒がしいね。集中が乱れてしまうじゃないか」
視線を向けず、冷静に薬瓶に意識を集中し続けている。
研究室に振動は伝わっていない。静かな環境を保つ魔法がかけられていて、家の中の音以外は聞こえないようになっているのだ。
「このままだと家が潰されちゃう!」
「何だって?」
「僕たち死んじゃうよ、すぐに逃げないと!」
オリオンはまだ異変に気付いていない。
薬作りをしている場合ではないと、なんとか伝えなければいけない。
あわあわと、うわごとのように言葉を繰り返す弟子に怪訝そうな視線を送る。
「外で何かがあったのかい」
「そ、そうなんだ! 外から……」
フランツが言い終える前に軽く指を振る。
研究室のカーテンがひとりでに動き出して開いて、様子があらわになった。
窓の目の前に、灰色の鱗。
「ひえっ」
「おやおや」
得体の知れない超巨大な生物が、数メートルの距離まで迫っていた。
気を失いそうになるフランツに対してまったく冷静な態度が崩れない。じっくりと観察した後に正体を掴んだようだ。
「竜種が来るとは、珍しいねえ」
「竜!?」
「この様子だと野生じゃないね。どうやら久しぶりに客が来たみたいだ」
「竜が家に来ることなんてあるの!?」
「ああ。その証拠に落ち着いて耳を澄ませてみたまえ」
促されるまま耳を澄ますと、外から人の声が聞こえてきた。
防音魔法もいつのまにか解かれていたようだ。
しかし人ということは、つまりこの竜に誰かが乗ってきたのだろうか。
フランツは信じがたいという顔で、師匠を見つめ返す。
「でもわざわざ、ここまで来る人がいるの?」
「どうしても薬が欲しいという物好きがたまにいるんだ。実際に来たのはかれこれ三十年ぶりくらいかな」
「こんなこともあるんだ……」
「ボクは手が離せないから、対応しておいてくれたまえ」
「えっ」
フランツは固まった。
誰とも知れない、竜に乗ってくるような相手の矢面に立つのか。
あからさまに不安な様子を見せると、オリオンは笑顔を浮かべた。
「なに、向こうも手荒なことはしてこないさ。終わったらすぐに行くよ」
「分かったよお姉ちゃん」
頼まれては仕方ない。
誰かも分からない、強引に魔女の家まで突っ走ってきた竜の一団を相手にするのは気乗りはしなかったが仕方ない。
研究に戻ったオリオンから視線を外して、部屋の扉を閉じて息をつく。
固唾を飲んで玄関のドアに手をかけた。
(絶対、面倒な人なんだよね)
魔女の薬を求める人には、呪いにかかった人と、それ以外の二種類がいる。
後者はほとんとが貴族か商人。フランツの苦手なタイプだった。
きっと厄介事に違いない。
少しだけドアを開けて様子を伺う。
「うわ……」
灰色の巨体の全貌が見えた。
たまに窓に張り付いているトカゲを巨大化したような姿だった。
背中には篭のようなものがついていて、今はそこから人が降りてくる最中らしい。全員が何かしらの武装をしている。彼らは一体何者なのだろう。
「あ、あのー……」
勇気を出して、おそるおそる声をかけた。
武装した集団はフランツに気づく。一斉に鋭い視線を浴びて震え上がった。
「こっこの家に何の用でしょうか」
「子供?」
顔を見合わせて訝しがる。
魔女を知っているようでも、フランツが誰なのか分かっていない様子だ。
「ここに森の魔女が住んでいると聞いてきた。お主は誰であるか」
待っていると一人の男が前に出てくる。
高慢な雰囲気の小太り中年男は、見定めるようにフランツを睨む。
しかし相手は客で、なんとか友好的な雰囲気に戻さなければならない。唾を飲んでから精一杯に言葉をつむいだ。
「僕はこの家で暮らしている、魔女の弟子です」
「弟子? ……ふむ、まあよい」
小太りの男は疑念の声をあげた。
たまに薬や金目当てで無理やり襲ってくる盗賊もいるが、彼らとは違う雰囲気だ。殺気は感じられなかったので一安心だ。
「魔女の家に何の用でしょうか」
相手が貴族かもしれないので、できるだけ丁寧な言葉で問いかける。
貴族風の小太り男は呆れたようにフランツを指差した。
「お前に要はない。魔女を呼びたまえ」
「師匠はまだ忙しくて、時間がかかると思いますが……」
「来ないのか?」
「じきに作業を終えると思いますので、とりあえず中にどうぞ」
言いつけ通り、フランツは彼らを家に招き入れた。
後ろの武装した屈強な男たちはどうするべきかと顔を見合わせていた。
しかし雇い主らしい小太り男が命令すると、ゾロゾロと中に入ってくる。
リビングのテーブルは二人が座れるくらいの大きさしかなかった。
普段は魔女と二人で暮らしているうえに、来客は想定されていない。貴族風の男は自ら深く腰掛けて座り、護衛の兵士は壁際に立った。
フランツは魔法で湯を沸かしたあと、二杯の紅茶を煎れて戻ってくる。
「どうぞ」
「うむ」
代表の小太り男は、尊大な態度で頷きながらも微動だにしない。
護衛風の男が一礼して横から入ってきて、フランツに一礼したあとに先に口をつけて毒味を行った。一口目から僅かに驚いた様子を見せた。
「変わった味だが、美味いな」
師匠お気に入り、ハッカ味の紅茶だ。
小太り男はそのまま毒味を終えたカップに口をつけて喉を潤した。
大きく鼻を鳴らして背もたれに体重を預ける。
フランツは怒らせないように、おそるおそる尋ねた。
「あの、師匠にどういった用事でしょうか」
「お前に話しても意味はない。さっさと魔女を呼んでくるのでる」
男は冷たくあたった。取り付くしまもなく、ひたすらに魔女を待つしかない無言の時間が始まってしまう。
オリオンは研究室から姿を現さない。
男は徐々に苛立っていく。
フランツはいたたまれない気持ちになった。
「魔女の弟子よ」
「は、はいっ」
急に呼ばれて飛び上がる。
男は苛立ちを隠しもせずに言う。
「客を待たせて、魔女は一体何をしているのであるか」
「薬作りで手が離せないんです。途中で作業を止められないこともあって……」
「むぅ」
冷や汗をかきながら説明したが、意外にも反論してこなかった。
怒鳴られなくて少しだけ気が抜けたが、それも長くは保たないだろう。お姉ちゃん、早く来てくれないだろうか。一日千秋の思いで待ち続けた。
「待たせてしまったね」
研究室が開いたのは、それから数分後のことだった。
この場にいる全員が待ちわびていた人物だ。
フランツは深々と頭を下げて出迎える。来客は全員が、初めて魔女を見て表情をこわばらせた。
光のない目であたりを見回した後に、椅子に座って待つ男に視線を定めた。
「お前が森の魔女であるか」
魔女が言うよりも前に尋ねた。
無礼な言い回しだったが、オリオンは気にも介さずに自己紹介する。
「ボクこそ森の魔女、オリオン・ニューアールだよ。キミは何者かな」
「儂こそが、両国から認められた大商人のハザークである」
「へえ。どうりで、竜を持っている。ボクのところまでたどり着けたのも誰かの協力があったんだね」
「問題あるか?」
「いいや。よくこんな場所まで来たと、素直に感心するばかりさ」
珍しものを見たとでも言いたげな表情で笑み、悠々と対面席についた。
ひりついた空気が流れ始める。それはフランツには耐えがたく、青ざめながら動揺を必死に隠していた。
「果てなく続く国境線の森。魔女の住む地を探し当てるまでには苦労したぞ」
「その大商人は、ボクのところに何をしにきたのかな」
「其方は何でも願いを叶えられると聞いたのだが、本当か」
「個人的に薬を作ってほしいということかな」
濁った目を細めて目的を見定める。
交渉に入ったことを悟った男も、徐々に前のめりになってくる。
「人の身に過ぎた願いを叶えられるのは本当さ。万能ではないけれどね」
「過ぎた願いとは、どういう意味であるか」
「例えば、永遠の命。憎い敵の破滅……あと多かったのは死者の蘇生だね。そういう自然の摂理に反するような効果をもたらす魔法薬のことさ」
「そんなこともできるのであるか?」
「願いに見合うものを差し出せば可能さ」
商人ハザークの目の色が変わったのを無視して、オリオンは湯気の立ったカップを口元で傾けた。フランツが煎れたハッカ・ティーが魔女の口元を緩ませる。
「ここに訪れた者たちは強欲な願いを突きつけてきた。キミはどうかな」
カップをソーサーに置き直して、じっと来訪者を見つめた。
「欲望に満ちたキミは、どんな薬を求めているんだい」
「女を、儂に惚れさせる薬は作れるか」
「えっ」
要求を聞いたオリオンは、目をまたたかせる。
フランツもわずかに反応した。
思わずといった風に、尋ね返す。
「そんなものが欲しいのかい……?」
「できないのか?」
「できるさ。でも、そのためにこんな場所までやってきたのかい。ずいぶんと変わっているねえ」
フランツもまったくの同意見で、心の中で頷いた。
三十年間誰も自力で来ることのなかった魔女の家に来訪した客の申し出にしては、可愛らしい。
人間を好き勝手に惚れさせる。
それは禁忌に触れる効果の薬である。
しかしてっきり自身の不死性獲得や他者の虐殺、洗脳などの恐ろしいものを望むと思っていた。
「この大商人ハザーク様が目をかけてやっているというのに、ちっともワシに心を向けない娘がおるのだ」
「そのために魔法薬の力を借りたいと?」
「あの強情な娘を堕とすためには、それしかない」
男は憎々しげに語った。
こんな場所に来るからには、相手によほどの思い入れがあるのだろう。
「そこで少し待っていたまえ」
成り行きを見守っていると、オリオンが席を立って研究室に戻る。
何をするつもりだろうか。
一分も経たないうちに戻ってきた。
桃色の液体が詰められた、ガラス製の薬瓶を手にしている。
「えっ……」
フランツは僅かに動揺して声を出した。
まさか薬を売るつもりか。
一方で、他の客は目を見開いて注目する。
「キミは運がいい。要望に叶う薬が残っていたよ」
座り直したオリオンは、机の上に薬瓶を置いてみせる。
液体は妖しく光り輝いている。
ハザークは欲望を一層剥き出しにする。
「これが魔女の魔法薬か」
「三十年ほど前に貴族の要望で作った」
蠱惑的な雰囲気が漂う珍妙な薬を、ハザークは受け取るように手を伸ばす。
だがその前に、オリオンは取り上げるように持ち上げる。
「名前は惚れ薬。効果は親愛欲求の増福。この薬を飲んだ者は、強く『愛』を求めるようになるんだ」
瓶を指先でクルクルと弄った。
ハザークは気を取り直して尋ねた。
「これがあれば、娘は確実に儂に惚れるということか」
「惚れている相手がいるなら愛情を深めて、そうでない場合は愛を求めるようになるのさ」
「では、確実にワシに惚れさせる薬ではないのか」
「ああ、そうだね。理解が早くて助かるよ」
「それでは意味がないのである!」
ハザークは、怒ったように机を両手で叩いて立ち上がった。
乱暴な気配を見せた様子に応じるように、護衛の男達も殺気を放つ。かすかに腰を浮かしたのを見たフランツは、慌てて師匠の間に入ろうとした。
「うぬぼれてはいけないよ、客人」
オリオンは表情を全く変えず、子供を諭すように続けた。
ぞっとするような声に全員が手をこわばらせた。
「仮にキミに確実に惚れさせるような薬を作ったとしよう。対価はどう支払うつもりなんだい?」
「そのような例え話では誤魔化されないぞ魔女よ!」
「少し考えれば分かることだよ。例えば、その薬を王族に飲ませたとしよう。確実に王族を惚れさせた後は、キミの身分はいったいどうなるかな」」
一つの問いに、ハザークは喉をつまらせる。
考えてもいなかったという表情だ。
「それは……」
「王族の地位も財も手に入る。今持っている財産をゆうに超えるほどだ。今払える財産で足りると本気で思っているのかい」
「…………」
「強欲な願いは身を滅ぼすよ。今までボクは、そういう相手を何度も見てきた。悪魔の所業に手を染めるのはやめたほうがいい」
端的な忠告に反論の余地はなかった。
望む薬が手に入らないと分かったハザークだが、かろうじて言い返す。
「だが魔女よ、お主はこの大商人ハザークの願いを聞くと言ったはず」
「だからこれを持ってきたんだ。これならボクは、キミに売ることができる」
指先で弄っていた薬瓶目の前に掲げてみせる。
恋させるわけではなく、恋心を引き出す効能。ハザークが望んだ品に最も近い薬だ。しかし諦め切れないのか、葛藤した様子で言い返した。
「だが、それでどうすればいいんだ!」
「キミが真に他者の心を手に入れたいと思うのなら、求められるように努力しなければならないよ。信頼を築くのが何よりも先決さ」
「ううむ……っ」
「あとは、成功の可能性を広げるこの薬に価値を見出すかどうかだね」
オリオンは待っていたかのように対価の契約書を渡した。
ハザークは唸った。魔女の薬の値段を見て動揺しているようにも見える。しかし結局、法外な値段を男は一蹴しなかった。
反対に、フランツは心の中で訴えかけた。
(師匠、そんな薬を売っちゃ駄目だよ……!)
惚れ薬は勉強していないレシピの一つだ。
存在自体は今、初めて知ったのだが、受け入れがたいものだった。
そんなものを渡さないで。
駄目だと叫びたかったが、オリオンに思いは通じない。
「対価を支払おう」
「交渉成立だね。それならキミに、すぐにこの薬を渡そう」
願い虚しく、ハザークは頷いて契約書にサイン。
その書類を受け取ったオリオンは笑顔を深めて、薬瓶を差し出した。
交渉が成立した最後の瞬間まで、魔女の弟子は表情を歪めて見守っていた。
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