第12話 フランツは、師匠と仕事する


 魔女とフランツが出会ってから長い月日が流れる。

 師弟の絆を結んでから数年、二人の生活は大きく変わっていた。


「師匠っ!」


 辺境の村の教会に、背の高くなったフランツが駆け込んで入ってくる。

 オリオンは聖堂の長椅子に寝かせた重病者から視線を外す。苦痛に呻く村人の前で治療をいったん止めてフランツに視線を向けた。


「鞄ならそこに置いてある。何本必要なんだい」

「五本貰っていきます!」

「ああ分かった。終わったら、こっちを手伝いに戻ってくるんだよ」

「はい、行ってきます……!」


 フランツは重病者を集めた教会を出て、村中を駆け回りに戻った。

 一方で魔女オリオンは土足のまま、診ている患者に処置を施していく。

 新たに流行した、拡散力の強い呪いは恐ろしいものだった。

 徐々に体内から血が溢れ出し、最悪の苦痛を伴って死に至る効果がある。必死に周囲への拡散を抑えているところで、二人とも三日以上寝ていなかった。


「助けて、息がっ。でき……げほっ! がはっ」

「大丈夫です。僕たちが必ず助けます」


 民家に入ったフランツは手早く薬を飲ませて、処置を施す。

 通常の医学の知識も身につけはじめていた。すると苦痛の声に混じって、別な村人からの恨むような言葉も飛んできた。


「どうして、もっと早く来てくれなかったんだ……!」

「それは……すみません。でも、もう大丈夫ですから」

 

 歯を食いしばって耐えながら治療に当たる。

 この家には生きている人だけでなく、死んでいる子供もいた。

 助けられなかったことを悔やみながら、今は助けることだけに心を注いだ。

 


「ボクが来たからには、もう大丈夫だよ」

「師匠の薬はよく効くんです。きっと治りますから……!」


 なんとか、ひととおりの治療を終えて最悪の事態を乗り切った。

 周辺の村や街の巡回を終えて、これ以上呪いの拡散がないと判断したのは、さらに一日後のこと。

 目に深い隈を作ったフランツは、よろめきながらホウキで空を飛んでいた。


「これでやっと今回もおさまったね、お疲れさま」

「はい、師匠……おつかれ、さまです……」


 魔女は普段どおりの表情で。けろっとしていた。

 年季や経験の違いなのか、それとも体の構造が違うのか。眠気で頭がどうにかなってしまいそうなフランツは朦朧と悩んだ。


「飛び方が危ないね。落ちたら潰れて死んでしまうんだよ」

「ごめんなさい……魔力は残っているから、落ちないように気をつけるよ」

「昔みたいにボクの前に座るかい。それなら落ちる心配はないよ」

「もう一緒に乗れないよ……」

「冗談さ」


 オリオンはからかうように小さく笑った。

 十五歳になって成人したフランツは、すっかり体が大きくなった。身長では魔女に勝てないが、さすがに一つのホウキで空を飛ぶのはもう無理だ。

 しかし、そのかわりに一人で飛べるようになった。

 魔女に同行することができるようになったが、そのぶん忙しくもなった。


「師匠」

「何だい、助手クン」

「僕、また救えなかった」


 隣を飛ぶフランツから、暗い表情が剥がれない。

 眠気を覆すほどの無力感と後悔に襲われる。邪魔するものが何もない空の世界の向こう側を見つめながら、オリオンは短く答えた。


「仕方ないさ、ボクたちは全てを救えるわけじゃない」

「うん……」


 フランツは悔しくて、ホウキの柄を音が鳴るまで強く握った。

 魔女の作る薬は常に完璧なのに、いつも一筋縄ではいかなかった。

 受け入れてもらえない人達は救えない。


『お、お前っ。私にそんな薄気味悪いものを飲ませる気か!?』

『いてぇ、いてえよお』

『この村はもう終わりじゃぁぁ、殺してくれぇ』


 信じてもらえずに薬を振り払われて、割られたことは何度もあった。

 呪いの苦痛から逃れるため。あるいは大切な人を失ったゆえに、生きることそのものを拒否する村人もいた。

 救えたのに、どうすることもできない人たちはたくさんいた。

 恨み言葉と、絶望の声がフランツの心を苛んでいる。


「こぼれ落ちてしまう命があったのは事実さ。それでもボクたちが来た意味はあった」


 オリオンは光を宿さない目で、疲れ切ったフランツから視線を外す。


「キミはよくやっている。帰ったら全てを忘れてゆっくり寝たまえ」


 フランツの目に涙が滲んだ。

 優しく声をかけてもらえて、張り詰めていた心がほぐれていく。

 脂汗を流して苦痛に呻く人はもういない。呪いも国中に拡散せずに済んだ。


「僕、もっと頑張って、呪いで苦しむ人を減らしたい」  

「そうだね」

「お姉ちゃんに追いつきたい」

「フフ、早く辿り着いてくれたまえ。そうすればボクも楽ができる」


 白衣の袖で口元を覆って、感情の分かり辛い笑みを見せた。


 魔女オリオンの弟子になってから数年。

 必死に頑張ってきたけれど、いまだに憧れは遥か遠い彼方。

 背中を掴める気配はなかったが、それでも一番星を追いかけ続けていた。






 フランツの日常は、拾われた五歳の頃から変わらない。

 まずは、朝日と共に目覚めて部屋の窓を開ける。

 森の清々しい空気を取り込んで体を目覚めさせて、一日がはじまるのだ。

 

「んー……っ」


 胸いっぱいに深呼吸すると気持ちがいい。

 その後は濡れタオルで汗をぬぐうために、外の井戸に向かう。

 階段を降りると研究室の扉が閉まっているのを見つけた。中には人の気配がある。それを見たフランツは表情をしかめた。


「お姉ちゃん、今日も徹夜してるんだ」


 体に良くないと言っているのに全然聞いてくれない。

 部屋を明るくする魔法が使えるからといって、太陽と一緒に生活しないと体を壊してしまう。実際、自分もそれで何度か体調を崩している。

 魔女が体を壊したのは見たことがないけれど、それでも心配になってしまう。

 しかし、そんな魔女オリオンをサポートするのが仕事だ。


「今日はこれと、これを使って……」


 保存魔法のかかった食糧庫から野菜を取り出す。

 野菜スープを作り、パンを軽く焼きなおしたあと、研究室に向かって声をあげた。


「お姉ちゃん、ご飯ができたよ!」


 叫んでからフランツは数分待った。

 すると、ようやくオリオンが顔を出した。


「なんだい、もう朝が来てしまったのかい」


 光の消えた目を擦って、ボサボサの髪を撫で直しながら大あくびをかく。白衣には虹色の薬液が散っていた。


「作業が区切れるところで寝ないと、いつか死んじゃうよ」

「死なないさ。途中で手が止められなかったんだから仕方ない」


 白衣を脱いで、研究室の入り口の箱に放り込む。箱の内側から膨大な緑色の炎が吹き出して、薬液に汚染された白衣は瞬時に灰に変わった。

 部屋に熱風が吹いたが、二人はわずかに目をつむる程度。

 特別な反応することなく平然と食卓についた。 


「相変わらず、手が込んでるね」


 オリオンは机を見渡した。

 一見すると質素だが、スープには様々な野菜が入っていて、パンもしっかり暖かくて蜂蜜も塗ってある。すぐに食べられるようにという配慮だ。

 徹夜明けのオリオンは、それを齧りながら言った。

 

「ボクは味を気にしない性格だから、こだわらなくてもいいんだけれどね」

「美味しくなかった……?」

「美味しいさ。温かいものは特に好みだよ」


 湯気の立ったカップにスプーンを入れて口に含む。

 うん、と頷いたのを見てフランツは安心した。

 香ばしくなったパンを齧ると小気味良い音が響いた。保存魔法のおかげで、いつでもできたてが味わえるのだ。口の中で甘い蜜の味が広がった。


「美味しい」

「確かにこの食感はいい、癖になる音だ」


 しばらくは無言で食事を進めていた。

 その後に、オリオンが先のことを話しはじめた。


「この後ボクは寝るけれど、あとのことは任せても構わないかな」

「うん」

「それと着替えを切らしているから、起きる前に忘れずに部屋に置きに来てくれたまえよ」

「えっと、お姉ちゃん。そのことなんだけど」

「歯切れが悪いね。もしかして洗濯物の仕事が滞っているのかい」


 言い澱んだのを見て首を傾げる。

 フランツは首を横に振った。


「今のうちに言っておかなきゃいけないことがあるんだ」

「何かな?」

「いくら自分の部屋でも僕が入るんだから、裸で寝るのはやめてくれないかな……」


 言いづらいことを口にした。

 フランツは頬が赤く染まっている。それに対してオリオンは悪戯をする前の子供のような表情で口角を吊り上げた。


「そうかい。キミもそういう年頃になったということなんだね」

「っ!」

「見たいなら構わないよ。ボクはそういうのは気にしない性質でね」

「そっ、そういうことを簡単に言わないで!」


 顔を真っ赤にして怒るフランツをあざ笑って、立ち上がる。


「フフ。ボクの家なんだから、そのあたりは好きにさせてもらうよ」


 食事を終えたオリオンは、手をひらひらと振って階段を登っていった。

 背中が消えた後に、深いため息をついた。


「はぁ……お姉ちゃんは、ほんとに……」


 だらしない。

 魔法薬に人生の全てを注いでいるせいか、他のことが適当だ。辺境に一人で住んでいたせいか羞恥心というものが一切ない。

 一方でフランツはもう拾われたころの子供ではない。

 徹夜明けの日に、かなり高い確率で丸裸に遭遇するのは本当に心臓に悪いのでやめてほしかった。


「ごちそうさま」


 自分も食べ終えたあとは井戸に向かって、二人分の食器を洗いにいった。

 その最中、ふと手を止めて考える。


「いつまで、ここにいられるのかな」


 目の前にそびえ立つ魔女の家を見る。

 こんな森の中に建ってるのに劣化しておらず、初めて訪れた時とほとんど見た目が変わらないのは、そういう魔法がかかっているためだという。


 感傷にふけっていたのには理由がある。

 フランツは最近になって、魔女からとある事実を聞かされていたのだ。


『ボクは歳を取らないんだよ、フランツ』


 フランツはようやく真相を聞かされた。

 十年経っても子供の頃と、魔女オリオンは見た目が全く変わらない。

 ずっと疑問に思っていたことだったが、その理由は、不老薬と呼ばれる最上級の魔法薬の効果によって寿命の枷を外しているかららしい。


『僕は、師匠のもとでずっと働きたいんだ』

『どんなに成長しても、キミはいつか死ぬ。だからやめたほうがいい』


 永遠にオリオンと一緒に暮らしていけると思っていた。

 しかし、魔女の命は永遠で、フランツの寿命は有限だった。

 歳の差もかなり縮まっていて、あと数年もすればフランツの方が大人になってしまうことだろう。その先は老人になって先に死んでしまう。


『じゃあ僕も不老薬を飲む!』

『それはダメだ』


 別れるなんて嫌だったので、そうはさせまいと涙をこらえて叫んだ。

 魔女はそれをはっきりと拒んだ。


『永遠を得ても不幸になるだけさ』

『でも、僕はまだ全然お姉ちゃんみたいになれてない!』

『キミがよくできた弟子だ。だからこそ終わりのない目的に、摂理に逆らってまで付き合わせるわけにはいかない』


 頭を撫でながら諭された。

 事実上、あと数年で出ていけと言われているようなものだった。


『ここにはずっとボクがいるけれど、他には何もないんだ。離れて広い世界で暮らす方が幸せになれるよ』

『そんなはずないよ……』

『離れても、ボクが教えることを忘れないようにするんだよ』


 弟子は納得できずに涙をボロボロ流し、師匠は少年を撫でた。


 オリオンの言う通り、フランツは立派に成長した。

 すでに独り立ちできる能力は十分にある。

 薬師ギルドから信じられないほど高待遇の勧誘も受けている。その気になれば、かつて住んでいた村を買えるほどのお金を手にできる身分だ。

 でも、そんなものはいらないと思った。


「師匠は、僕のことなんて何とも思ってないのかな」


 一人でつぶやいてみると苦しくなった。

 タライに浸けた食器を握りしめながら、蹲って動けなくなる。


 師匠も自分と別れるのが嫌だと思っていてほしい。

 しかし、もしも今すぐ出ていくと告げたら、いつもの薄い笑顔で送り出してくれるだろう。それを想像するのも嫌だった。


「出ていきたくないよ、お姉ちゃん」


 もっと学ばせてほしい、支えさせてほしい。

 大好きな魔女のもとを離れなければいけない時が、刻々と迫っていた。 

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