第11話 フランツは、魔女と余暇を過ごす

 魔女と少年は、街中で途方に暮れていた。


「さて、せっかくの休日だが何をしようかねえ」

「…………」

「何かしたいことはないのかい」

「僕が何も考えていないせいで、ごめんなさい」


 これまで休日をとらずに日々を過ごしてきた。だから息抜きに何をしていいのか分からなかったのだ。

 せっかく街で一緒に過ごせるのに、このままでは時間を無駄にしてしまう。

 立ち尽くした状態のまま、フランツは申し訳なさそうに謝罪した。魔女は頭を優しく撫でた。


「謝ることはないよ。これから知っていけばいいのさ」

「でもどうしよう……」

「まあ、とにかく歩いてみよう。」


 死んだ目をした白衣の美人と、全く似ていない少年の組み合わせは、親子にも兄弟にも見えない。街を歩いているあの二人は何者だろうかと、住人からも商人からもチラチラ見られていた。

 周囲の目線を気にもせずに、魔女は言う。


「そういえばキミ、着るものをあまり持っていなかったねえ」

「僕の服?」

「ちょうどいい機会だ。服屋で新しく着るものを買ってあげよう」

 

 フランツは自分の体を見下ろした。

 簡素なシャツとズボン。どれも魔女に与えられた大切な服だ。


「今のでも大丈夫だよ、お姉ちゃん」

「キミが着ているのは適当に選んだものだからね。自分で選んでみるのは、いい気晴らしになるはずだよ」


 言われてみると魅力的かもしれない。

 街で見かけた同い年の子供のように、いい服を着て過ごしてみたい気持ちはある。魅力的な提案に頷いた。

 きっと街の服屋は綺麗なところなのだろう。

 魔女に連れられてきたのは、貧弱な村生まれの少年の想像を遥かに絶する、立派な洋装店だった。


「わわわっ……」


 薬師ギルドにも劣らない店構えで、宝石でも扱っているような美麗さだ。

 本当にここに入るのだろうか。

 ためらっているうちに魔女はまったく恐れることなく店に入っていく。


「いらっしゃいませ、お客様……これは魔女様っ!」

「やあ、久しぶりだねえ」


 扉付近で構えていた店員に頭を下げられた。

 村に住んでいた時に一度だけ古着屋に訪れたことがある。全く違う。ここには編み物をしている店主も、無愛想な服職人もいない。上等な服を着た若い女性が、何よりも魔女を最優先に出迎えた。


「本日はどのようなご用向きでしょうか!?」

「今日は覗きにきただけなんだけどね。店主はいるかな」

「少々お待ちくださいっ……!」


 店員の女性は、慌てて奥の部屋にすっ飛んでいった。

 笑顔を浮かべたまま、唖然とするフランツの頭を柔らかく撫でた。


「お姉ちゃん、ここに来たことあるの?」

「ボクは服をここで買っているんだ。こういう場所は慣れていないだろうけれど、いまは客だから緊張しなくてもいいよ」

「でも、こんな凄いところで服を買ったらお金が……」

「薬の素材に比べれば、大した金額じゃないさ」


 それは比較してはいけないと思った。

 魔女の魔法薬は、村が買えるくらいの値打ちの高級素材も平然と使う。

 さらに言えば、呪いを解くための魔法薬は無償で提供しているが、他の薬を貴族や金持ちに売りつけるときは、目を飛び出すような金額を取っている。

 

 そして、この店は同じくらいおかしい。

 そこらのマネキンの首元には大粒の宝石ネックレスが下がっている。貴族衣装も置いてある。どう考えても気軽な気持ちで来てもいい店ではない。


「固いことは考えなくてもいいんだ。キミはただ楽しめばいい」


 ぽんと頭に手を乗せられる。

 子供の頃に持っていた金銭感覚はだいぶ狂ったが、疑問を持たなくなるほどには壊れていない。それゆえにこの状況が恐ろしかったが、どうにもならないので何も言わなかった。


「大変お待たせいたしました」


 奥の部屋から一人の男性がやってくる。

 清潔感のある白髪の老人をみて、かすかに怯えているフランツは、いまいちど魔女の後ろに隠れた。

 

「オリオン様。本日はクラウス商会の洋装店まで足を運んでいただきありがとうございます。どのような御用向きでしょうか」

「この子の普段着を買いたくてね。見繕ってくれるかな」

「畏まりました。採寸をさせていただきたのですが、よろしいでしょうか」

「今日中に頼むよ。それじゃあフランツ、いってきたまえ」

「え、えっ?」


 訳がわからないまま、フランツは部屋の奥に連れられていく。

 疑問を抱えたまま個室で女性に背後に回り込まれて、体のサイズを測られた。

 そのあとは、指先で触れることさえ躊躇われるような綺麗な服に、次々着替えさせられ続けた。

 村で百年以上生きられるくらいの服を着せられた末に、ようやく、すっきりした雰囲気の白色の服を選んだ。


「せっかく買ったのに、新しいのを着て歩かなくていいのかい」

「うん」


 買ったばかりの服を布袋に詰めて、魔女と一緒に洋装店を出てきた。

 ちゃんと選べてよかった。

 

「これはうちで大事に着るんだ」

「ボクの白衣に似ているものを選んだんだね。それが一番気に入ったのかい」

「そっそんなことないよ……」


 恥ずかしそうに視線を逸らした。

 白い服は汚れが目立つ。使い捨ての白衣と違って一着きりだ。せっかく買ってもらったのに、外で着て汚すのはもったいないと思ったのだ。

 こっそり大切に着ようと心に決めていた。


「お姉ちゃんは、普通の服は買わないの?」

「ボクは普段の服で十分さ」


 お金持ちのはずの魔女は、あまり服装にこだわらない。

 研究着の白衣か、普段着のノースリーブ以外を見たことがない。

 他の服でもきっと似合うのに勿体ないとフランツは思った。

 

「ねえお姉ちゃん、ご飯を食べにいかない?」

「それはいいね」


 フランツの提案に乗り気でかえしてくれた。

 喫茶店でクッキーを食べたとはいえ、それほど量があったわけでもない。昨日はずっと食欲が沸かなかったので、その反動でお腹がぺこぺこだった。

 一緒に石畳の通りを進んでいくと、徐々に人が多くなってきた。

 荷物を山ほど積んだ馬車ともすれ違う。

 

「なかなか、歩くのが大変そうな場所に出てきたね」


 魔女はそんな風に言った。

 この先は市場の地区で、庶民のフランツにも慣れ親しんだ店構えが並んでいた。先ほどの洋装店のような高級店はなくて安心できた。

 商人と客の値切り攻防や、宣伝の叫び声が聞こえてくる。森の奥で暮らしているあいだには感じられない雰囲気が好きだった。

 逸れないように、手を繋いで並び歩く。


「市場には久しぶりに来たけれど、ずいぶん様変わりしたようだ」

「お姉ちゃんの好きなものが見つかるかも!」

「面白いものが見られるかもしれないね。ゆっくり歩いてみようか」


 フランツは市場を少しだけ知っていた。

 先日、薬を作った時にニコルと市場を回って材料を探したからだ。しかしまじまじ見るのはこれが初めてで、旅人だと一目でわかるように興味を振りまいた。

 出店されている品物は食品、アクセサリー、怪しげな書物など。

 中には動物を売っている店まであって、統一感はない。


「フランツ!」


 そんな市場を楽しんでいると、雑踏の中から知った声が聞こえてきた。

 はっと顔を上げて周囲を見回すと、大きく手を振っている少女ニコルを見つけた。その隣には頭を下げる母親の姿もある。


「あれは薬を渡した時の子だね」

「行ってもいい?」

「もちろんさ」


 魔女と二人で、パンを売っている露天に歩み寄った。

 カウンター越しに、ニコルが身を乗り出して詰め寄ってきた。


「よく来たわねフランツ!」

「ニコル、どうして市場にいるの?」

「ここはうちのパン屋よ!」


 腕を広げて示した。

 テーブルの籠の中にはバケットが何本も入っている。他にも丸パンや、蜂蜜の瓶が置いてあった。焼き立ての香ばしい香りが漂っている。


「こんにちは、フランツさん。そちらの方は……?」


 一緒に働いていた母親は、後ろからやってきたオリオンを不思議そうに見る。

 フランツは自慢げに紹介した。


「お姉ちゃんだよ!」

「フランツのお姉さんよ、ママ」


 二人が口を揃えるが、母親は首を傾げた。

 姉というには似ていなさすぎる。

 オリオンは、口元を手の甲で隠しながら名乗った。

 

「この子を養っている者さ。オリオン・ニューアールだよ」

「あっ……しっ、失礼しました!」


 母親もやっと気付いた。

 態度を変えて、貴族にそうするように頭を深々と下げた。

 オリオンは有名な魔女の名前。限られた人間しか容姿を知らないために、最初は気づかなかったのだ。怯えたように言った。


「この度は主人が大変お世話になりました」

「礼はフランツに、ボクは何もしていない。薬を作ったのは彼の意思だ」


 魔女は軽く流したが、母親は怯えたまま戻らなかった。


「ところで、せっかく来たんだからうちのパンを持って行きなさいよ。パパとママの焼くパンは世界一美味しいんだから!」


 一方でニコルは、まったく何も気にすることなく露天のテーブルを示した。

 何の気兼ねもなく感謝を前面に押し出してくる。

 フランツは居心地がよくて、少し照れ臭い気持ちにもなった。


「ちょうどお腹が減ってたんだ。ニコル、いくつか買うよ」

「お金はいらないわよ! あなたから取ったらバチが当たるわ! ね、ママ!」

「もちろんです。どうかお納めください魔女様、フランツさん」

「何なら全部持っていってもいいわよ」

「あはは……お姉ちゃんと一緒に食べるぶんだけでいいよ」


 母親は恭しく頭を下げた。

 布袋から銀貨を取り出そうとしたが、やめて懐にしまう。


「お父さんは元気になったかな」

「まだよ……あっ、フランツのせいじゃないわ! ずっと寝ていたせいで、起き上がるのはまだしばらくかかるんだって」

「そっか、大変だね」

「でもすぐに良くなるわ! 生きていてくれているんだもの!」


 ニコルははにかんだように笑う。

 それを見たフランツも嬉しく思って、同時に羨ましくも思った。

 魔女との暮らしは素晴らしい日々だけれど、家族がいなくなって寂しく思う気持ちは消えていない。今でもたまに全てを失った日のことを夢に見る。

 

「蜂蜜もつけてくれるの?」

「勿体ないくらい、たっぷり塗ってあげる!」


 母親が丸パンを切り、ニコルが蜂蜜を挟み込む。

 受け取ったあとは軽く言葉を交わして露天を離れ、また魔女と一緒になった。

 広場の石段に座って、貰った食事を口に含む。


「焼きたてのパンを口にするのは初めてだけれど。食感が違って面白いね」


 隣に座った魔女が感動した様子で言った。

 表面がパリパリで中身が柔らかい。焼き立てだとこんなに違うんだとフランツは初めて知った。ただのパンとは思えないくらい美味しかった。

 しばらく無言で食べていたが、その最中にフランツは訪ねた。


「お姉ちゃんに聞きたいことがあるんだ」

「何かな」

「どうして、あんなに怖がられているのに魔法薬を作るの?」


 フランツには不思議だった。

 ニコルの母親のような反応は珍しいものじゃない。

 昔に憧れた騎士団は多くの人から尊敬されていたけれど、魔女は多くの人から嫌われている。罵倒されるのは日常で、それなのに見返りがあるわけでもない。

 なぜ、そうまでして魔法薬師である『魔女』を続けているのだろう。


「この手が動く限りは救い続けると誓って、今までやってきたからさ」


 オリオンは死んだ魚のような目で、遠い過去を見る。

 視線の先に何があるのか、フランツには見ることができなかった。 


「ボクはこれ以外の生き方を知らない。それだけのことさ」

「お姉ちゃん……」

「この世から呪いを無くしたいと願った。そのために生きてきた。やり遂げるまで必死に足掻いているのさ」


 薄い笑みは変わらず、声のトーンも動いていない。

 しかし商人や客とのうるさいやりとりは、全く聞こえなくなった。

 フランツの耳に魔女の言葉だけが聞こえた。

 魔女の本心を知って、フランツは思わず言葉をつむぐ。


「僕、やっぱり、お姉ちゃんみたいになりたい」


 失敗で落ち込んでいたことも忘れて、道を選んだ。

 憧れている人に追いつきたい。

 魔女のような大人になって、不幸になる人を減らしたい。

 あらためて、フランツは強固な夢を抱いた。 


「今日のように褒められることなんて滅多にない。辛いことばかりだよ」

「うん、知っているよ」


 魔女、オリオンと視線がかわされる。

 ずっと一緒に活動を見てきたのだ、そのことは分かっているつもりだ。

 灰色の死んだような瞳に刹那の間だけ感情が宿った。


「キミはすごいな」


 うつむいたオリオンは、小さな声で笑った。


「それがキミの夢なら、なるといい」


 普段の笑い方と違う静かな声色。

 それを聞いたフランツは不思議な気持ちになった。

 

「頑張って、お姉ちゃんを助けられるくらいの魔女になる」

「ボクを……そうかい。それは楽しみだ」


 魔法薬を作って多くの人を救い出す。

 そんな大人になれるのなら、絶対になりたい。

 しかし、それにはまだあまりにも多くのものが足りなすぎる。

 フランツは選んだ道を先に進むために、魔女にあることを頼み込んだ。


「僕を、お姉ちゃんの弟子にしてほしいんだ」


 オリオンは虚ろな目を少年に向ける。フランツは本気だった。


「意味は分かって言っているのかい」

「うん」

「……そうかい。それなら野暮なことを言うのはよそう」


 小さく息をこぼして微笑んだ。

 弟子になるということは、今までと違った関係になることを意味する。今までは守られてきた辛くて厳しい現実にも、きっと直に触れることになる。


「キミは今日から弟子だ、よろしく頼むよ」


 育ててきた少年がそれを理解していると思ったからこそ、オリオンは認めた。

 石段に座っていたフランツは身を乗り出した。


「いいの?」

「ああ、今までよりもたくさんのことを学ぶといい。研究室も使わせてあげよう。辛くて厳しいことも任せるけれど頑張れるかい」

「僕、頑張るよ、お姉ちゃん」


 弟子は、師匠のために全てを捧げる。

 師匠は、弟子の成長に責任を持ち、守り育てる。

 茨の道を二人で歩いていきたいと、フランツは心から思った。


 二人は師弟の絆を結んだ。

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