第10話 フランツは、魔女に諭される

 

「このハッカ・ティーが絶品でね。お気に入りなんだ」


 ティーカップを掲げた魔女が、好みを教えてくる。 

 フランツは、仕事を終えた魔女とともに喫茶店へと立ち寄っていた。

 爽快な香りの中でフランツは憂鬱な表情を浮かべていた。自分の前に置かれた果汁ジュースにはまったく口をつけていない。


「勝手なことして、ごめんなさい。お姉ちゃん」


 フランツは、落ち込んだように謝罪した。

 引き起こした騒動は一日で全て丸くおさまったが、魔女に迷惑をかけてしまったことに変わりはない。


「フフ。勝手に依頼を受けたのは、確かに頂けないね」


 笑みを崩さずに、普段通りの声色で言う。


「キミはやり遂げた。立派に憧れを現実のものにしたわけだけれど……」

「…………」

「見えた景色は、思い描いていたものではなかったようだね」


 悠久の時を生きる魔女は、クスクスと鼻で笑いながら頬杖をつく。

 フランツは何も答えることができなかった。


「薬作りは、とても難しかっただろう」


 ゆったりと尋ねられる。

 フランツは弱々しくうなずいた。


「単にレシピ通りに作ればいいというものじゃない。他人の命がかかっている。その責任を背負うのも魔女の仕事なのさ」


 今まで、魔女の家で薬に触れさせてもらえなかった理由がわかった。

 ニコルの父親の責任を負った時と、薬作りに失敗した時。二つの恐怖が焼きついている。今のフランツには言葉の意味が理解できた。


「その後は無事に呪いが解けたんだ。キミは誇っていい」

「お姉ちゃんのおかげだよ」

「フフ。ボクは何もしていないさ」


 フランツは魔女に深く感謝している。

 そばにいてくれなければ一度目の失敗で挫折していた。

 それに最後、出来を確認してくれたおかげで自信が持てた。

 最後まで頼りっぱなしだった自分が情けなくて、弱気な気持ちがこぼれる。

 

「お姉ちゃんみたいに、なれないのかな」


 憧れが遠いことが分かった。

 憧れの魔女は罵倒を受けても人々を救い出してきたのに、自分は少し失敗しただけで逃げ出したくなった。

 がむしゃらに努力すればいいと思ってきたものが、通用しなかった。

 普段の薄い笑みを崩さずに言う。


「キミには、なりたいものになれる力があるよ」


 フランツの言葉を聞いてなお、魔女オリオンはそのように告げる。


「でも、僕は全然うまくできなかったよ」

「それは成長すればいい」

「できるかな」

「キミは特別な才能を持っているから、大丈夫さ」

「そうなの……?」

「過去に魔法薬師になりたいと願う者はいたけれど、キミはその誰とも違う」


 魔女オリオンは遠い目を浮かべながら語った。

 過去に魔法薬師を目指した人はいた。

 しかし現在、魔法薬を作ることのできる人間はほかに存在しない。


「才能がないか、途中で諦める人がほとんどだったのさ」


 永い時を生きる魔女は、技術を隠匿しているわけではない。

 人々を救いたいと願う者。

 純粋に、魔女の称号に憧れる者。

 金や名誉を欲する者。

 それぞれの理由で魔法薬師を目指した人間はいた。しかし、誰一人として魔女の領域に至れなかったのだ。


「でもキミは違う。初めて、ボクの領域に入ってきたんだ」


 唯一、フランツだけが初めて魔法薬を作り出してみせた。

 偶然の力は大きく、そもそも魔女のレシピありきの完成品だ。しかし完成させて、人が救われたこともまた事実。


「夢を叶えることができる能力が備わっていると、ボクはそう思ったよ」


 薬師の知識を受け入れる心構えがあり、魔法の才能を持っている。

 それは間違いなく少年自身の実力だ。

 それでもフランツは言い淀む。


「でも、僕は……」


 なりたくても、なれる自信がない。

 何をやっても、魔女という遠い憧れに辿り着ける気がしなかった。

 頬杖をついた魔女は、チェック柄のクッキーを摘んで口に運ぶ。


「僕、どうすればいいのかわからないんだ」

「そうさ。人生には往々にして、重大な選択をしなければいけない時がくる」


 じっと見つめるフランツの前で噛み砕いて飲み込む。


「人生の分かれ道で、片方は切り捨てなければいけない。どの道を行くかは自分で選ぶんだ」

「僕にはそんな大変なこと選べないよ」

「キミはもう何度も選んでいるよ。今までと同じことをするだけさ」

「同じ……」

「大切なのは、本質を見失わないことだよ」


 機嫌がよさそうに、悩んでいる少年に微笑みかける。

 見つめるオリオンの光のない瞳が、フランツの心を見透かした。


「魔法薬師になるのが、怖くなったんだろう」

「それは……」


 図星だった。

 オリオンのつむぐ言葉は、薬のように染み入ってくる。

 

「薬師を目指すのなら同じ絶望を味わうことになる。魔法薬でなかったとしても同じだ。その事実からは目を逸らしてはいけないよ」

「…………」

「負の面を受け入れて、それでも夢を追いかけたいのか、考えてみるといい」

「でも、僕が止めちゃったら、お姉ちゃんが……」


 途中まで言いかけたフランツの口を、魔女が指先で塞いだ。


「キミが何を選んでも構わない。ボクを言い訳にせずに、自分の気持ちだけを探すんだよ、フランツ」


 何年も魔女にお世話になって、ここで辞めてしまったら迷惑ではないか。

 そう思ったが、魔女は全く気にしていない様子だ。

 フランツは素直にうつむいて考える。

 

 分からない。

 辞めたいと思えば、心が、辞めたくないと悲鳴を上げる。

 続けたいと思えば、心が、あんな目に遭うのは嫌だと悲鳴を上げる。

 どちらもフランツの正直な心だった。

 

「お姉ちゃんは、怖くないの?」


 フランツはふと思いついた疑問を口にした。

 自分がこんなにも怖いのに、魔女は全く怖くないのだろうか。魔女は遠い場所を見るように視線を上向ける。


「ボクも昔、同じことで悩んだことがあるよ」

「そうなの?」

「でも長く続けてきたせいか、いつからか怖くなくなってしまったよ」


 わずかに遠い目を浮かべたあとに軽く息を吐いた。

 大切な何かを過去に置いてきてしまったような哀愁を感じる。参考にならなくて悪いねと苦く笑って、首をかたむけた。


「とにかく大切なことだ、時間をかけて考えたほうがいいよ」


 そう言って表情を戻し、ティーカップを持ち直して口をつける。

 しかし、やっぱり答えはすぐに出てこなかった。


「とはいえ、一人で唸っていても結論を出すのは難しいかもしれない」

「……うん」

「せっかくの機会だ。ボクと気晴らしに行ってみないかい」

「えっ?」


 急な魔女の提案に、フランツは首をかしげた。


「一日だけ滞在期間を延ばすんだ。普段と違うことをすれば、自分の気持ちも整理できるさ」

「でも、お姉ちゃんがお仕事できなくなっちゃうよ」

「ボクはもともと休みなしで働いているからね。年に一日きりの休暇日を取るくらい、魔法薬を求める人も許してくれるさ」


 魔女の薬を求める人間は多く、全ては行き届いていない。

 休んでいるところを見たことがない。年に一度どころか、これが初めてだった。

 

「もっとも薬作り以外で、ボクなんかと一緒にいても面白くないかもしれないけれどね」

「僕、お姉ちゃんと一緒にいたい!」

「おや」


 魔女は珍しく、きょとんとした表情を浮かべた。

 不思議なものを見るように首を傾げたが、「キミは本当に変わっているねえ」と言いながらクスクスと笑う。


「では今日は一緒に過ごすことにしよう」

「本当!?」

「ああ、薬作りを頑張った報酬だと思うといいよ」


 落ち込んでいたフランツの目が輝いた。

 

 フランツは薬師を一直線に目指している稀有な子供だ。

 しかし普通の子供らしい一面もあるのだと知って、可愛らしく思う。魔女が他人のために時間を割くのは久しぶりだが、悪くない気持ちだった。

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