第9話 フランツは、魔法薬を作る

 ニコルと共に材料を揃えたフランツは、その足で薬師ギルドに訪れた。


「お待ちしておりました、フランツ殿」


 入り口で、複数の大人が恭しくフランツを出迎えた。昨日とは真逆の対応に顔をひきつらせた少年の前に、とある職員が歩み出る。

 彼は昨日も対応を行った大人のイングリッドだ。


「あ、あの僕。道具を貸して欲しいだったんです……」

「ご要望のものは全て用意いたしました。部屋まで私がご案内いたします」


 昨日の疑わしげな態度は完全になくなり、敬語で接してくる。

 迷い込んできた子供ではなく、薬師として扱われているのを感じる。


「ちょっと、あなた一体何者なの……!?」


 王様のような待遇を受けるフランツに、ニコルが信じられないように迫った。

 彼女にとっては街で偶然出会った相手で、最初は薬師だとさえ思っていなかったのだ。それが薬師ギルドでこんな高待遇を受けるなんて普通じゃない。


「フランツ殿」

「なっ何ですか!?」


 胃を軋ませてたフランツは急に話しかけられて、飛び上がった。


「我々の数名が部屋に滞在させていただきます。よろしいですかな」

「あの、イングリッド……さん?」

「何ですかな」

「僕、薬を作るのは初めてで。うまくできないかも……」

「問題ありません。許可はすでに降りているので、存分にお使いください」


 失敗してもいいと言い切られては、後には引けなかった。

 全員から期待するような視線を感じていた。

 ますます失敗できなくなった。




 用意された部屋は、階段を登った先にあった。

 白い部屋に、木のテーブルと給水機が置かれている。その上には薬作りの道具と、薬の材料がずらりと揃っていた。

 魔女の研究室と謙遜ない設備だ。


(思い出すんだ。レシピは昨日、何度も見直したんだ)


 部屋の隅に置かれた給水機で手を清めながら、目をつむる。

 何としてもニコルの父親を救うためにと、頭の中でシミュレーションを行った。手順は完璧に暗記してある。その通りにやれば自分にも作れるはずだ。

 大きく息を吐き出して、震える手で準備を終えた。


「始めますっ……!」


 大勢の大人と、ニコルが見守っている。

 必要なものは全て揃った。

 フランツの魔法薬が始まった。


(大丈夫、大丈夫だから。落ち着いて)


 手の震えが止まらない。汗が滲んで、背中が気持ち悪い。

 背後から意識を逸らして歯を食いしばりながら、持って来た薬草を手に取った。

 今から作る魔法薬は、かなり単純な手順のみで生成できるものだ。


 乳鉢ですり潰しながら、小型の加熱ランプで水を沸騰させる。

 緊張しながら結晶欠を溶かしていく。一瞬たりとも気が抜けないが、集中しすぎると他の手順が頭から抜けてしまいそうになる。


「緊張しているみたいですね。私たちが見ているせいでしょうか……?」


 未熟な少年の薬作りを見守っていた、モノクルの女性がささやく。


「我々が口を挟む必要はない。見守らせてもらおう」


 上司のイングリッドは、それだけ言ってフランツを見続けた。

 不安になるのも無理はなかった。汗ばんだフランツの雰囲気は、非常に弱々しいものだったからだ。


「本当に、大丈夫なの……?」


 素人のニコルでさえ、焦りを感じて疑わしい表情を浮かべている。

 踏み台に乗って作業しながら、徐々に頭が真っ白になっていく。


「ええっと、次は、次はっ」


 自分が何をしているのか、分からなくなっていた。

 レシピ本は完璧に覚えたはずなのに、情報が泥水のように混濁していく。

 しかし信頼を失ってしまうかもしれないと思うと、レシピ本を開いて確認することもできない。迷走したまま、薬作りは最終工程に進んだ。


「あっ……」


 失敗を悟った。

 魔法を込める触媒を完成させた。しかし透き通った水色になるはずの液体が、赤色に染まっている。濁った液体を見たフランツはめまいがした。


(作れなかった)


 恐怖で手が震える。作業を進めるはずが、動けなくなった。

 背後で見ている人に失望される。救わなければいけない命がこぼれ落ちる。

 何が悪かったのか、意識がドロドロに酩酊して分からない。


「ちょっと、どうしたのよ。大丈夫なの……?」


 動かなくなったフランツを心配して、ニコルが声をかけた。

 失敗したなんて言えない。

 もうとっくに、それでは済まされない事態になっている。

 

(ぼくじゃ、やっぱり、だめだったんだ)


 涙がこぼれて、机に水滴が落ちた。

 できもしないのに勝手に引き受けたことを心の底から後悔した。

 材料はまだギルドで用意してくれたものが残っている。しかしこれ以上やっても、うまくいくとは思えない。吐きたくなるような衝動に耐えていた。


「やり直して続けるんだよ、フランツ」


 聴き慣れた女性の声がかかった。

 フランツは思わず顔をあげて、泣きそうな顔のまま背後に振り向く。

 いつの間にかギャラリーに、新たな人が加わっていた。

 光のない眼差しを向けて微笑む白衣の魔女だ。


「お姉ちゃん……」

「ま、魔女殿!」


 薬師ギルドの人間は、恐れ慄くように頭を下げる。

 ニコルも偉い人だと分かったのか、慌ててその場から立ち退いた。

 魔女は、悠々と歩み寄って距離を詰めてくる。フランツが作り出した赤色の溶液を眺めたが、薄い笑顔は全く崩れなかった。


「やめたいと思っているのかい」

「ごめんなさい、僕……」

「やり直して続けるほうがいいと思う。けれど投げ出して逃げ出すことも否定はしない。選ぶのはキミ自身だよフランツ」


 魔女は少年を縛らず、手も差し伸べなかった。


「失敗して、怖くなってしまったんだよね」


 感情の読めない表情で、心が折れかけている少年に問いかける。

 怒っていないことは伝わってくる。

 勝手に依頼を受けたのに何もできない、不甲斐なさに歯を食いしばる。


「ボクは、キミを責めないよ。どうしたいのかな」

「やめない……」


 拒むように首を横に振った。

 信頼を失ってしまうことが怖かった。

 頼まれたとしても、ニコルの父親を救うことを受け入れたのは自分だ。

 投げ出してしまったら夢が終わる。

 二度と憧れを追いかけられなくなってしまう、そんな気がした。


「一人で責任を持ってやり遂げるかい」

「うん」


 涙をぬぐう少年を見て、僅かに魔女の表情がほころんだように見えた。

 手を貸すこともせずに、踵を返して観客に戻る。


「それならボクも背後から見ていてあげよう。頑張りたまえ」


 フランツは目元から袖を離す。

 すぐさま、作った赤色の溶液を廃棄箱に流し捨てた。


「ちょっと、何してるのよ!?」

 

 薬を台無しにしたのを見たニコルが悲鳴をあげた。

 薬師ギルドの人間は静かにフランツを見守る。彼らには魔法薬の知識はないが、それが使い物にならないことは分かっていた。

 だから、少年の決断に僅かに感心を見せるものもいた。


(今度は成功させる、僕は絶対に薬を作るんだ)


 見守ってくれてる魔女のおかげで、もう一度だけがんばれそうな気がした。

 ぼんやり曇っていた思考が冴えていくのを感じる。

 レシピ通りに作れていなかったのか、道具の使い方が悪かったのか、火にかける時間が間違っていたのか。失敗の理由は今は見当もつかない。

 しかしたった一つだけ、二度と失敗しないために思いついたことがあった。

 

「もう一回、僕にやらせてください」

「ああ、やるといいよ」


 魔女の赦しを受けたフランツは、最初からやり直す。

 鞄から自分のノートを取り出して開く。今度は記憶頼りではなく、レシピのページを確認しながら慎重丁寧に作業を進めた。

 魔女はいつも何も見ずに薬を作る。自分はできないから仕方がない。


「これが魔女殿の弟子か」

「すごい……」


 昔、母親に教わった手つきで、丁寧に薬草をすりつぶした。

 時間は正確に砂時計で測り、液体を抽出する。

 さっきまでとは別人だ。冷静で鬼気迫る様子に、見学していた薬師ギルドの人間は目を見開いた。不安げだったニコルでさえ食い入るように見つめていた。

 魔女オリオンは、笑みを浮かべたまま壁によりかかって佇んでいる。


「できた……!」


 フランツが手にしたのは、透き通るような青色の溶液。

 レシピ通りの色合いだった。

 しかしまだ完成ではない。魔法薬にするための仕上げが残っている。


「ニコルのお父さんを治す薬になって……!」


 瓶を両手で握りしめながら、フランツは祈りを捧げた。

 握った手の中から光が溢れる。

 薬師ギルドの面々とニコルは、その光景を食い入るように見ていた。


「あれは、魔法……!」

「うそ……!?」


 限られた人間しか使えない技術を、少年は披露してみせた。

 魔法の使い方は魔女から学んでいる。

 一人で練習もしてきた。その成果が遺憾無く発揮されて、溶液の表面が太陽の光を反射する湖面のように輝きを見せはじめた。


「っ、はぁっ。はっ、はーっ……」


 フランツは、大汗をかいて膝をつく。

 早朝の湖のように、美しく輝く液体ができあがった。

 その魔法薬を作るために注いだ魔力の代償は大きく、体力を大きく奪われた。

 

「完成したようだね」


 魔女が近づいてくる。

 フランツはふらふらと立ち上がって瓶を手渡す。手元でしばらく観察した魔女は優しく微笑むまま、不安げな少年に小瓶を返した。


「完璧ではないけれど、今回の呪いを解くには十分な出来だろう」

「ほ、ほ、ほんと……!?」

「ボクも話は聞いているし状況も知っているから大丈夫さ。持っていく間に瓶を割らないように注意するんだよ」

「うんっ……!」


 心からの喜びを表情に表した。

 上気した表情でニコルを見る。この世のものとは思えない光景を見たからか、それともフランツの変わりようを目の当たりにしたからか。彼女はへたりこんでいた。


「何かあれば遠慮なくボクを呼ぶんだよ」

「お姉ちゃん、ありがとう! 行ってきますっ!」


 魔女に目をかけられることが、どれほど貴重なことか分かっていないフランツは、大切そうに自分で作った魔法薬を握りしめて、ニコルと駆け出していく。

 借主がいなくなった薬師ギルドの研究室は静まり返った。


「魔女殿」


 沈黙を破ったのは、薬師ギルド年長者のイングリッドだった。

 魔女オリオンは廊下から視線を戻す。


「昨日は驚きましたよ。弟子をとられていたとは知りませんでした」

「彼は弟子ではないよ。ちょっとだけ魔法を教えたけどね、それだけさ」

「違うのですか?」

「ボクの家にいることを選んで、自分の力で学んでいるだけの子供さ」


 魔法の習得以外のことで、直接手は貸していない。

 勝手に学んで、ここまでついてきたのはフランツの意思。道筋は示したが、何かをやれと指示したことは一度もなかった。

 イングリッドは遠い目をしたあと、対等に軽く笑った。


「魔法薬を作る人材が増えたことは、本当に喜ばしいことだ!」

「こういう風に育つとは思わなかったけれどね。自分の意思で薬を作ろうとしているところが、とても気に入っているよ」

「あなたがそうまで言いますか。彼は将来、我がギルドと懇意にしていただけるでしょうか」

「それは本人に聞いてみるといい。大人に認めてもらえたと知れば、彼も喜ぶだろうからね」


 命を背負って仕事を果たす者同士、未来が明るくなったことを喜んだ。

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