第8話 フランツは、薬作りの用意をする
魔法薬は、限られた人間だけが作ることができる。
世を蝕む呪いに対する唯一の特効薬で、他にも様々な魔法的効果をもたらすことができる。そしてそれは薬学の専門知識と、魔法の知識を組み合わせて初めて成立する希少な代物だ。
現在では、魔女オリオン・ニューアールだけが、その深淵にいる存在だ。
少女ニコルの依頼は、あまりにも無茶だった。
患者の見立てもやったことのない少年フランツが作れる代物ではない。
しかし、魔女を除いて、最も可能性があるのが彼であることも事実だった。
ニコルを家に残して、フランツはいったん宿に戻ることにした。
魔女が戻ってくるまでに魔法薬を作らなければならない。
しかし実際に取り掛かる前に、考えるべきことがいくつかあった。
「道具はどうしよう……」
レシピを持っている。材料も市場で買い揃えることができるだろう。
問題は薬作りの道具だった。
魔女の邸宅でないため、専門の道具はどこにも用意されていない。
街のどこかで道具を借りられる場所を探さなくてはならない。依頼を受けた時に、そのことが頭からすっぽりと抜け落ちていた。
「お帰りなさいませ、魔女のお連れ様」
フランツが頼ったのは、宿屋の大人だった。
貴族の邸宅かと見紛うほどの贅沢な敷地に戻り、大理石のフロントで待機していた執事に話しかける。
「お爺ちゃん。ここに薬作りの道具は置いていませんか?」
「申し訳ありませんが、そういったものはございませんな」
執事は首を横に振った。そしてこの時点で、フランツは八方塞がりとなる。
どこにもないのかな……。
軽はずみに依頼を請けてしまったことを後悔し始める。
薬草をすり潰すための乳鉢や、液体を蒸留させるためのパイプ。必要なものはいくらでもある。貰った小遣いではとても買い揃えられない。
「どうしよう……」
「僭越ながら、よろしいでしょうか」
すると今度は、執事のほうからフランツに提案があった。
「薬作りの場をお探しでしたら、薬師ギルドに伺ってはいかがでしょうか」
「やくしぎるど?」
「薬を供給している国家組織でございます」
初めて聞く言葉だったが、確かに薬を作っている場所なら道具もありそうだ。
そういえば、よく思い出してみると、魔女の家で何度か名前を聞いたことがあった気もする。薬師ギルド、確かに薬作りの道具もありそうだ。
「僕にも貸してくれるのかな?」
「オリオン様のお連れ様であれば、快く場を貸していただけるでしょう」
「ありがとう、お爺ちゃん!」
そうと決まれば行動あるのみだ。
場所を教えてもらって、さっそく薬師ギルドに向かった。
建物自体は離れていない場所に建っていた。目を輝かせて感動しながら、フランツは全体を見上げた。
「わ。すごくおっきいな」
薬師ギルドは、教会よりも立派な茶色の建物だった。
何棟か連なるような構造で、出入りする人たちは共通して上品な雰囲気を漂わせている。貴族の邸宅ほどではないが、普通の村人が出入りするような場所でもなさそうだ。
こんな場所に入ってもいいのだろうかと思った。
しかし、今はどうしても道具を借りなければならないのだ。
おそるおそる、正面から建物に入った。
「わ……」
胸躍る未知の世界が広がった。
教会のようなステンドグラスの嵌め込まれた天井が美しかった。
天使の絵が描かれて、特に中心には女性の像が建てられている。
物珍しさからあたりを見回している時、美しい出入口部の周囲からフランツに鋭く呼びかけられる。
「そこの子。ここは普通の人が立ち入ってはいけない場所ですよ」
びくっと背中を震えさせた。
モノクルを装備した白い衣装の女性が、厳しい口調で近づいてくる。
「えっ。あの」
「薬の購入は右側の建物。病気や呪いの相談は左側の建物です。病人でないのなら、ここはあなたのくる場所じゃありません」
薬を買いに来た人と勘違いされてしまったみたいだ。
厳格な雰囲気にあてられて慌てながらも、なんとか弁明した。
「僕、薬を作る道具を貸してもらいにきたんです」
「……冗談はよしなさい。字も読めないくらい小さい子供が、薬を作れるはずがないでしょう」
モノクルの女性は怪訝な表情を浮かべながら、怪しげに見てくる。
「貸してもらえないんですか?」
「薬師ギルドは命を扱う聖域。子供の遊び場じゃないの。勉強して大人になってから出直してくることね」
モノクルの女性は、フランツを追い出しにかかる。
しかし出直せと言われても困る。この場所しか薬作りの道具を借りられるあてがない。ニコルの父親を助けるためにも、引き下がれない。
「道具を借りに来たんです」
「聞こえていなかったのかしら。ここは子供の来るところじゃないの」
もう一度、しつこく言うと、女性も苛立ったように言葉を返してくる。
「宿の人に、貸してもらえるって聞いたんです!」
「貸してもらえません。薬師として登録された人以外の入場は許可されないの。いいから子供は素直に帰りなさい」
フランツも女性も一向に譲らない。
他の職員も気がかりな様子で二人のやりとりを見守っていた。
こうなったら仕方がない。道具を貸してもらうため、姉と慕う魔女の力を少しだけ借りることにした。
「ちょっと。何をしているの?」
「これで道具を貸してください」
注目を浴びる中で、フランツはリュックから一枚の紙を取り出して渡した。
女性は渡した紙を片手で雑に握る。
「何よこの紙。だから薬師じゃないと貸せないって」
言葉が止まる。
目を何度か擦って、女性はもう一度紙を見る。
それから、わなわなと両手で握り直して、そして。
「こ……れぇぇっ、え、えっ!?」
目を丸くした状態で素っ頓狂な声をあげる。
すると痺れを切らしたのだろう。周囲で見守っていた人のうち、かつてのフランツの父親くらいの男性が、女性の肩を軽く叩いた。
「子供相手に何をしているんだ。いったい何の騒ぎだ」
「い、イングリッドさん、こっこれ……」
それに対して、女性は震えながら紙を差し出した。
男性のほうも空気が変わった。
問い詰めるような怖い雰囲気で、フランツにじっと向き合ってくる。
「坊主、この紙をどこで手に入れた」
「お姉ちゃんに借りたんだ」
「おね……? む、誰かから貰ったということだな。その者の名は分かるか」
「魔女のオリオン。字も書けるよ!」
字も読めない子供と侮られたが、読めるし書くこともできる。
フランツは胸を張って自慢した。しかし二人は戸惑うばかりで驚いたりはしなかった。むしろ疑わしさは増したみたいだった。。
「魔女とはどういう関係だ」
「お姉ちゃんの家で一緒に暮らしてるんだ」
「もう一度確認するが、拾ったわけじゃないんだな。魔女に渡されたんだな」
「うん」
困ったように頭を掻いたあと、イングリッドは続けて聞いてくる。
「そうだとして、ここには何をしに来たんだ、坊主」
「薬を作る道具を貸してもらいにきたんだ。お姉ちゃんからは、何かあったら名前を出せばいいって言われたの」
「ううむ……」
すべて正直に答えた。
薬師ギルドの二人は、微妙な表情を浮かべて顔を見合わせる。
「イングリッドさん、どうしましょう……?」
「確認を取る必要がある。坊主、悪いが何にせよ今日は駄目だ」
「どうして……?」
「実験室は、もう埋まっていて使えん。明日の予約ならまだ間に合うぞ」
「お願いします、使わせてください!」
「それなら手続きをしなきゃならん。こっちに来るんだ」
ぺこりと頭を下げて頼み込んだ。
手招きされるまま、薬師ギルドの大人達に連れられてカウンターに向かう。
まず身元を確かめるような質問から始まった。
魔女と出会った経緯、普段の生活の話などを根掘り葉掘り聞かれた。
何を作ろうとしているのか、どんな道具が必要なのかを聞かれたのは、本当に最後のほうだけだ。書類にサインして解放されたのは夕方のことだった。
「うう、疲れたよ……」
フランツはげっそりした様子でギルドを出る。
しかしまだ、暗くなる前に用事を済ませてしまわなければならない。
気力を振り絞ってニコルの家に向かった。
「あ、ああ、あなた、薬師ギルドに行ったの!?」
「うん」
彼女はフランツの報告に、大層驚いた様子であった。
どうしてそんな驚いているのだろう。
ニコルは唾を飛ばしながら、テーブルに両手を思い切りついて迫ってくる。
「あそこは普通の人が入れるような場所じゃないのよ!」
「そうなんだ……?」
「お金持ちか貴族様か、特別な薬師の人しか入れないの。あなた、やっぱりすごい人なんじゃない!」
「僕じゃなくて、お姉ちゃんが凄いんだよ」
褒められて、やっぱりお姉ちゃんはすごいんだと改めて思った。
魔女の証明書がなければ、話を聞いてもらうことさえできなかっただろう。
「けどあんた、道具のことを忘れるって結構抜けてるわね」
「うう……」
「それで、薬の材料はどうするの?」
「今日は無理だから、明日の朝に買い出しに行くよ。この街のことはよく分からないから案内してもらえないかな」
「仕方ないわね。このわたしに任せなさい!」
待ち合わせの約束を交わして、それから暗くならないうちに宿に戻った。
一人きりになって、ようやく心が落ち着いた。
貴族が使うような超高級ベッドに包まれる。
フランツは生まれたての赤子のように身体を丸く縮ませた。
(明日は、僕が薬を作るのか)
広い部屋に一人ぼっちで横たわりながら考えてしまう。
魔女のように人を救うことができるだろうか。
成功するか、失敗するのか。
明日の自分自身、未来でありえる光景が次々に浮かんでくる。
その日は、なかなか寝付くことができなかった。
翌日の朝。
フランツはよく眠れず、少し調子が悪い状態で約束の場所に向かった。
ニコルとは家の前で待ち合わせていた。しかしニコルの傍に、今日は知らない人が立っていた。疲れたような表情を浮かべた年上の女性だ。
「本当に、娘がご迷惑をお掛けしてしまいました」
「ママ、どうして謝るの!?」
近づいたフランツに気づくと、すぐさま頭を下げた。出会い頭にそんな風に言われたので、ぎょっとした。
彼女はニコルの母親だ。
急に強い感情を向けられて、大慌てするほかなかった。
「僕、まだ何もしてないですよ……!?」
「夫を気にかけていただいて感謝しております。ですが魔法薬なんて貴重なものに、お支払いできる対価がありません」
「ママ! お金はかからないって言ったじゃない!」
娘の言葉を無視して頭を下げ続ける。母親は十歳のフランツを大人と同等に扱った。一方でフランツは逃げ腰になっていた。
「その、僕。自分で薬を作ったことがないので、失敗するかもしれません」
「力をお貸し頂けるだけでも存外の喜びです、フランツさん」
冷や汗をにじませながら、震え声でニコルに伝えたのと同じ予防線を張った。
子供にかけるには、あまりに重すぎる想いがフランツにかえされた。
「私たちのような庶民には呪いを解く術がありません。医者には諦めろと言われ、どうしようもありませんでした」
「あ、あの」
「夫はもう死を待つだけの身。それでもやっていただけるのでしたら、どうかよろしくお願いします」
魔女が普段から感じているものを、このとき肌で実感した。
フランツにとって呪いはいつの間にか、解くことができる身近な病気の一つになっていた。村が滅びたものの、避けられない運命という実感は全くなかった。
しかし実際、魔法薬を作れる人間は、運命を司る神のように見られていた。
土下座するように頭を下げる母娘の期待がかかる。
必ず応えなければならない。救わなければならない。しかしフランツにその実力はない。
一緒に暮らしてきた憧れの存在が、遥か遠い世界の住人だと気付いた。
フランツは、震えながら頷いた。
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