第7話 フランツは、街の少女に頼まれる


 商人で賑わう通りを外れて、細道に入り込む。

 一人では絶対に訪れないような民家が立ち並ぶ地区にやってきた。

 軒先でテーブルゲームを楽しむ大人たちが、視線を外してよそ者のフランツをチラチラと見る。居心地の悪さを感じる場所を、うつむいて歩き抜けていった。


「そういえば、あなた名前は?」


 少女は何も気づいた様子はなく、平然と名前を尋ねてきた。

 萎縮しながら答えた。


「僕はフランツ……」

「あたしはニコル、よろしくね!」


 ニコルも勝気な笑みを浮かべて名乗った。

 さっきまで泣いていたとは思えない明るい声だ。

 なぜ、こんな場所まで連れてこられたのか。今なら答えてくれそうだと思い、前のめりになって尋ねた。


「ニコルは、僕に何をしてほしいの?」

「決まってるじゃない。お父さんのための薬を作ってほしいのよ!」

「お父さん……?」

「いいから。とにかくこっちに来て!」


 父親が病気なのだろうか。

 治せないのに、ついてきてしまってよかったのだろうか。

 色々な不安を巡らせているうちに、ニコルは古い家屋の前で立ち止まった。

 ここが彼女の家らしい。


「帰ったわ!」

「お、お邪魔します」


 続いてフランツも中に足を踏みいれて、おそるおそる家の中を観察する。

 大きなカマドが目立つ、村長の家よりも立派で綺麗な部屋。どこも薄暗くて、服や食器が置きっぱなしになっている。村に住んでいた頃は街での生活に憧れていたけれど、思った通り裕福な暮らしを営んでいるようだ。


「こっちよ、早く!」


 感慨深い気持ちを抱いていると、ニコルに狭い階段に連れて行かれた。

 二階の部屋の扉を開けたニコルは、ようやく手を離した。


「パパっ!!」


 ベッドで寝ている男の胸に飛び込んでいった。

 頬が痩せこけた大人の男性が眠っている。ニコルの父親だ。しかし起きる気配はない。フランツは様子がおかしいことに気がついた。

 ニコルは泣きそうな表情を浮かべて、父親にすがりついた。

 

「パパ、パパ。わたし帰ったよ。起きてよぉ」


 呼びかけられても、かたくなに目を開けない。

 単に眠っているわけではないようだ。眠りながら、ひどく疲れ果てたような表情を浮かべているのが分かった。気をつかいながら状況を尋ねる。


「この人が君のお父さん?」

「そうよ」

「お父さん、どういう状態なの?」

「わたしのパパは『呪い』にかかって、起きなくなっちゃったの」


 やっぱり、と思った。

 呪いとは病気の一種で、身体を侵す魔法の総称だ。

 魔法薬だけが治療できる。ニコルの父親は、魔女の薬なしでは助からない状態なのだ。


『魔法薬なんてのは、貴族様でもなければ手に入らない代物。うち程度の店なんかじゃ手に入らないよ』


 薬屋の店主の言葉を思い出す。

 魔女は日々進化する呪いのために薬を研究している。

 呪いは千差万別。いつどこで起きるかも分からないために、どうしても救いの手が行き届かないこともある。

 まさか彼女の父親もその一人なのだろうか。

 

「魔法薬が手に入らなかったの」


 ニコルは涙を抑えながら言った。

 父親がこの状態になってから長い月日が経っていることは、雰囲気や肌の色から、なんとなく察しがついた。フランツは罪悪感を募らせた。


「どうしようもないから諦めろって、みんな言うの。でも、そんなの嫌に決まってるじゃない!」

「どうしてお父さんはこんな風になったの……?」

「わかんない。パパ、急にこうなっちゃった」

「普通の薬じゃ治らなかったんだよね」

「魔法薬じゃないと、どうすることもできないって言われたわ。栄養を補給する薬でもたせるのも、お金がないから限界だって」


 泣きながら訴える少女を前に黙ってしまう。

 呪いによって両親と故郷を失ったフランツは、ニコルの気持ちは痛いほど分かった。彼女は今、どうすることもできない絶望を味わっているのだ。

 救いの手が届かない光景は、何度も見てきた。

 

(お姉ちゃんは、頑張ってるのに)


 休みなく働く魔女を傍で見てきたフランツは、誰のせいでもないことを知っている。

 この瞬間にも呪いで命を奪われている人々がいる。

 しかし材料も時間も無限にあるわけではなく、病人がどこにいるかも分からない。手の届く範囲を救っていても、どうしてもこうなってしまう。

 悔しそうな顔を絶やさないニコルを見ていると、何とかしたいと強く思った。


「お願い、お父さんのために魔法薬を作って!」


 涙を落としながら、フランツの手を握りしめてくる。

 一度も薬を作ったことがないと知っているのに、それでも縋ってくるほど、彼女は追い詰められていた。 

 一瞬だけ、魔女に頼るという選択肢が頭をよぎった。


(……だめだよ)


 助けたい。

 でも魔女の薬を求める人は世の中にたくさんいて、魔女は一人しかいない。

 定めた条件に当てはまる病状でなければ特別扱いはできないと、そういう決まりになっている。ルールを破ることはできない。

 しかし、だからといって見捨てる選択肢もなかった。

  

「ちょっと待って」


 駄目で元々。

 リュックを下ろしてノートを取り出す。ニコルも覗き込んできた。


「何を見てるのよ……?」

「呪いを解ける薬がないか、探しているんだ」


 どうやら彼女は文字が読めないらしく、首をかしげるばかりだった。

 魔女の英知が詰まっている。自分で作ったことはなくても、やり方さえわかればフランツにも同じものが作れるかもしれない。

 言葉を書き留めたページを探し当てた。


「あった」


 指先が止まる。

 魔女に与えられたレシピノートを書きうつしたページに、『眠り続ける』という病状に当てはまる記述と、薬の効能・レシピが連なっている。

 効果は非常に限られているものの、フランツに理解できない手順はない。


「これなら、僕にも作れるかも……」


 薬そのものは昔、母親に言われて作った経験がある。

 魔女の姿はずっと後ろから見ていたし、練習も欠かしたことはない。自分で作るぶんには許されるはずだ。


「パパを治す魔法薬が作れるの!?」

「いや、でも僕じゃうまくできないかもしれなくて……」


 ニコルが希望を見出して詰め寄ってくるが、自信がなかった。

 探し当てた薬が父親に効く保証はない。実力が伴っていないことも分かっていた。しかしニコルにとっては、フランツが唯一の希望だ。


「お願い、もうあなたしか頼れないの。パパを助けて」


 目の前の少年に見放されれば、今度こそ父親を助ける術はなくなってしまう。

 だから自信がなさそうな相手でも必死になってすがった。

 

「僕、一度も魔法薬を作ったことはないんだよ」

「それでもいいから、やって! お金、たくさんは払えないけど……」


 治ったとしても、お金をとる気は全くない。フランツはただ不安だった。

 しかしニコルの申し出を断りたくなかった。


(でもお姉ちゃんなら、きっと断らない)


 フランツは魔女を目指している。

 ルールが何も決まっていない自分なら許される。

 悩み抜いた末に、ここで逃げるわけにはいかないと結論を出した。


「分かった。僕でいいなら、できるだけやってみる」


 知識豊富で経験皆無のフランツは、たった一人でニコルの依頼を受ける決断を下したのだった。

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