第6話 フランツは、街を冒険する
魔女の言っていたことは正しかった。
新しい街で見るもの全てが、村の少年の常識を上書きした。
「あれが街の子なんだ。すごいなあ……!」
幼い頃に父親から危険だと教わった街だが、この土地は違う。
街を歩いているだけでも違いがわかる。同じくらいの年頃の子供が普通に駆け回って遊んでいる。巡回している兵士をよく見かけるので、昼間は危ない人がいないのだと分かった。
そんな風に、楽しそうに暮らしている人を見たフランツは思う。
「いいなあ……」
村で暮らしていた頃を思い出していた。
自由で、何も考えずに遊んでいた。麦畑を駆け回って怒られたり、村一番高い木に登って村を見渡したりした。今では遠い昔の思い出だ。
一緒に遊んだ仲間も、叱ってくれた大人もこの世にはいない。
視線を逸らして、別なことを考えようと思い直したとき。
くう、と、お腹が鳴った。
「おなかへったな」
朝ごはんを食べてから、かなり時間が経ったと思う。
ポケットに手を触れさせると、魔女に貰ったお金がたくさんあった。フランツにとっては大金だ。今ならなんでも食べられる。その事実に口元を緩ませた。
今度は周囲の食べ物屋を探して街を歩き回っていると、肉の美味しそうな匂いが漂ってくる。匂いを追いかけているうちに、露天が沢山建っているエリアが見つかった。
その一つ、肉の匂いのする露天に近づいていく。
フランツは両腕を伸ばして、懸垂のようにひょっこりと顔を出した。
「おばちゃん、ごはんちょうだい!」
太った中年の女性は幼い少年に気付いて、怪訝そうに見下ろした。
物乞いの類か、あるいは悪戯だと思っている顔だ。
「あんたどこの子だい。タダでくれてやる飯はないよ、帰った帰った」
「いくらなの? お金はもってるよ」
「……お使いかい。銅貨五枚、一枚もまからないよ」
「わかった!」
注意深く、周囲に袋の中身を見せびらかさないように銀貨を渡した。
子供の冷やかしではないと分かったのだろう。中年女性はじとりと見つめてきたあとに、「最初から言いな」と鼻を鳴らして作業にとりかかる。
手早く生地に、焼き立ての肉を包みこんでテーブルに置いた。
「ほら釣りだよ」
「ありがとう!」
「さっさと行きな、子供は嫌いなんだよあたしゃ」
邪険に追い払われながら、お釣りと、茶色の生地で肉を巻いた料理を持って退散した。大切に抱えて広場の石段に座りじっと見る。
「街の料理……」
美味しそうな匂いをさせる食事。
向き合って唾を飲む。
今まで両親や魔女に街に連れて行ってもらうことはあったけれど、露天の料理を食べたことはない。どんな味がするのだろう。
決意を定めて大口をあけてかぶりつく。ソースと肉汁、それに未知の香辛料の味が口いっぱいにひろがる。
あまりの衝撃に目を見開いた。
「おいしい!」
新しい感覚に、思わず声をあげて喜んだ。
今までの人生で一度も味わったことのない刺激だ。ワクワクしながら、握っている料理を観察する。舌の上でとろけるソースが最高だ。肉のうまみと絡んで、それが最高に美味しく感じさせる。
「わ、これなんだろう。材料を買って帰りたいなあ」
魔女の家で料理を担当しているフランツは、新しい刺激に魅了されて、強く興味を惹かれた。
そんな少年の頭の中には、魔女の薄い微笑みが浮かんでいた。
『食事は大切だけれど、ボクはあまり味は気にしないんだ』
魔女は放っておくと無機質な食事をとりはじめる。
村では飢饉に見舞われるなどして、貧しい暮らしを経験したことがある。そんなフランツでも顔をしかめるようなものを、放っておくと平気で食べるのだ。
しかし自分が料理を作るようになってから、それも変わった気がする。分かりづらいけれど、少しづつ笑顔が見られるようになった。
命を費やしている魔女に、少しでも美味しいものを食べてほしい。
まだ魔法薬に携われないフランツが、唯一助けになれることがそれだった。
「でもこれ本当に美味しい。僕も作れるようになるかな」
もう一口を噛み締める。旨味が凝縮された熱々の肉汁と、刺激的なソースの風味が口いっぱいにひろがった。これと同じものを作れれば、普段以上に喜んでくれるに違いない。
あとで色々試してみよう。
大切に最後のひとかけらを食べきって、飲み込む。
「ふぅ……次はどうしようかな」
このままどこかで遊ぶのもいい。
でも魔女は学ぶことがあると言っていた。フランツは魔女が言っていた場所について、自分なりの心当たりがあった。
魔女を目指すなら、いずれは薬を作ることになる。
こういう大きな街には薬屋がある。そこに行ってみようと考えていた。
「……?」
歩き始めてから少しして、薬屋を見つけた。
しかし、店の前の様子がおかしいことに気づく。
薬瓶の絵が描かれた看板の店舗から、同じくらいの年頃の女の子がしゃくりあげながら出てきたのだ。ボロ泣きである。そしえそんな風に泣いているのに、誰も少女のほうを見ようとしない。
フランツは、気になって少女のほうに駆け寄った。
「どうしたの?」
声をかけると、金髪を左右に結った彼女は、顔を上げた。
フランツと視線を合わせた最初は悲しそうにぼろぼろと涙がこぼれていた。
しかし、急に強気な態度に変わって睨みつけてくる。
「あなただれ、なんの用」
怖くなって思わず怯んでしまう。
泣いているとは思えない鋭い声に対して、おそるおそる言葉を返した。
「大丈夫、目が腫れてるよ……?」
「いいの。あたしのことはほっといて!」
少女はそっぽを向いて、唇を噛みながら悔しそうに泣いた。
何があったのだろう。村の人から『助け合うことが当然』と教わってきたフランツは困った。理由を話してくれない以上は、力になることもできない。
しかし、今のフランツは部外者だ。
求められていないければ、彼女の事情も何も知らない。
「ごめんね……」
悲しかったが、首を突っ込むべきではないと思い、一言謝って視線を外す。
数日しか滞在しない自分が力になれることはきっとない。
少女を置いて、元々の目的通りに薬屋の中に入った。
静かな部屋にチリンとベルが鳴った。
「何だい坊主。ここは子供の来る店じゃないぞ」
重い扉が閉じると、カウンターに座っていた白髪老齢の店主が目を細めた。
無遠慮な態度。
あからさまに面倒だという気持ちが伝わってくる。それにたじろいだが、自分は薬について学びにきたのだと思い直して気を取り直した。
(街では、薬をどうやって売っているんだろう)
まず、周囲を観察することにした。
フランツの想像では、薬屋は魔女の研究室のように、薬の入ったガラス瓶がひしめいているものだと思っていた。
しかし実商品は非常に少なかった。
黒板にたくさんの薬の名前が書いてあるほかには何もない。唯一、カウンター向こう棚にガラス筒や丸薬がいくつか置かれているくらいだ。
「ここは薬を売る場所だ。字も読めない子供は帰って遊んでいなさい」
老齢の店主は、出ていかないフランツを手で払った。
それに対してフランツ黒板に視線を向ける。
「僕、字を読めるよ。薬を見にきたんだ」
怪訝そうにする店主の前で、魔女のメモや本で学んだ知識を駆使して、知っている名前の薬を指差してみせる。
「あれも、あっちも知ってるよ!」
「子供に字が読めるはずないだろう」
「邪魔はしないよ。お店を見せてほしいだけなんだ。だめ……?」
「ったく、最近の子供は…」
店主はフランツを全く信じていない様子だったが、手元の本に視線を落とす。
こっそり盗まれるようなものがないためか、ありえないほど大らかだった。
そしてフランツは学んでいく。
(少しづつ分かってきたぞ)
黒板に書かれている薬には、法則があることに気付いた。
材料が希少な薬、病気に関する薬、怪我に関する薬。分かりやすく簡単な字と絵で描かれた一覧が、各板ごとに別れている。
目当ての薬をここから探して、作ってもらうよう店主に依頼するのだろう。
「あれ?」
売り方に感動していたフランツは、あることに気づいた。
普通の病気の薬ばかりで、いつも魔女が作っている魔法薬の名前がどこにも見つからない。店を一周しても、一つも見つからなかった。
「おじちゃん、魔法薬はないの?」
「魔法薬なんて代物はうちには置いてないよ」
尋ねられた老齢の店主は深く息をついた。
「そんな大層な代物、魔女しか作れない。この街ではまだ手に入るが、それでもうちみたいな小さな店には降りてこないさ」
「お姉ちゃんしかつくれない……?」
フランツは首をかしげた。
魔法役が珍しいものだということは何となく分かっていたけれど、魔女しか作れないというのは初耳だ。
「魔法を使える人はいるんだよね、どうして?」
「戦争や魔族狩りのほうが、よほど楽に金になるからさ」
「お金……」
魔法を使える人は自分の他にもいると、魔女から聞いたことがある。
だから魔法薬を作れる人も、外の世界にはたくさんいるんだと思っていた。
しかし、どうやらそうではないらしい。
「魔法薬を作るには深い英知が不可欠だ。特別な才能を持った人間は、この世にただ一人、魔女しかいないんだ」
常識を知らないのかと、店主は呆れ顔だ。
毎日のように顔を合わせている人は、そこまで凄いとは思っていなかった。他人の口から聞かされたフランツは不思議な心地に陥った。
「それを聞いてくるってことは坊主、やっぱりさっきの嬢ちゃんの知り合いか」
「えっ?」
急に、身に覚えのないことを言われて戸惑った。
「魔法薬なんてのは、貴族様でもなければ手に入らない代物。うち程度の店なんかじゃ手に入らない」
「あ、あの……」
さっき外で泣いていた女の子と知り合いだと思われているのだろうか。
何か勘違いされている。
そう言おうとしたが、店主は今度こそフランツを追い出す姿勢になった。
「出て行くんだ。ここに坊主の求めているものはない」
まだ他に聞きたいことがあったが、こうなっては話を聞くどころではない。
居座るのは無理だった。
追い出されるように店を出たフランツは、深いため息をつく。
「はぁ。追い出されちゃったけど……でも面白かったなあ」
まだ見たいものも聞きたいこともあったので残念だったが、商売のやり方を学べただけでも十分に収穫があった。魔女以外に魔法薬を作れる人がいないというのも知らなかったので驚いた。
お姉ちゃん、教えてくれればよかったのに。
そんなことを思っていたフランツのそばに、誰かが近づいてくる気配があった。気配を感じて横を見ると、さっき泣いていた女の子だった。
「きみはさっきの……」
「どうして、わたしが魔法薬を欲しがっているのが分かったの」
邪険に怒って追い払おうとしていたのに、今は興味を持って近づいてくる。
急にそんなことを言ってきたので首をかしげた。
そんな悠長にしていると、詰め寄ってきて両手で首根をつかまれた。
「答えなさいよ! 盗み聞きしていたんでしょう!」
「ち、ちがう。誤解だよ!」
がくがくと震わせられているうちに、一つだけ察した。
どうやら彼女は、自分と店主との会話を盗み聞きしていたらしい。
「僕は魔法薬を作るために、街の薬屋に勉強しにきていたんだよ!」
「作るですって……!?」
「う、うん」
やっと手を離されたフランツは、自分の鞄を探って一冊の本を取り出した。
タイトルも装丁もない紙束。勉強のために使っている自分用ノートには、魔女の家で学んだ魔法薬のレシピなどが全て記されている。
「もしかしてあなた、魔法薬が作れるの!?」
だが少女は、フランツの希少なノートには目もくれなかった。
大声をあげて詰め寄ってくるので、こういう勢いに慣れていないフランツはたじたじだ。
「う、ううん。つくったことはないよ」
「なんだ……」
「でも、いくつかレシピは知ってるよ」
「えっ。レシピを知ってたら、お薬も作れるじゃない!」
一度は落胆した少女だが、勢いを取り戻した。
ぐいぐいと壁に追い詰められていく。フランツは戸惑いながら返した。
「……作れるのかな?」
「作れるわよ!」
少女は押されっぱなしのフランツの腕を掴んだ。
どこかに連れて行かれようとしていることが分かって、フランツは慌てて抗議の声をあげた。
「ちょっと、どこに行くの!?」
「いいから。今すぐにわたしと一緒に来て!」
まだ街を回っていないのに、何のつもりだと怒ろうとした。
だが、名前もしれない少女の顔を見て言葉が引っ込んだ。
呪いが広まって、両親を失った時の自分と、目の前の少女の姿が重なった。
他にも、街で助けてくれと魔女に懇願してきた人達を思い出した。
必死な雰囲気を感じて言葉を飲み込む。
「……わかったよ」
強引に走っていく彼女に、いったんは身を任せることにした。
フランツは、そうしなければいけないと思った。
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