第5話 フランツは、極上の贅沢を知る
空の世界から降りていく。
雲を抜けると、地上に想像を遥かに超える大きさの街並みが見えた。
レンガの壁で囲われていて、他の街とは比べ物にならないほど丁寧に区画が整理されている。雑然としたところがほとんど見当たらない。
ホウキはゆっくりと高度を落として、離れた地上へ二人で降り立つ。
「ここからは歩いていくよ」
「うん」
騒ぎにならないように、飛んで街に入ることはしない。
フランツがホウキを片手に持ち、リュックを背負った白衣の魔女と並び歩く。
歳の離れた兄弟のようにも見える二人だが、顔も髪色も全く違うため、道中ですれ違う人からは奇妙な視線を浴びていた。
「止まれ!」
門をくぐろうとすると、二人の兵士から槍を持って止められる。
急な大声に驚いたフランツは、さっと魔女の後に隠れた。
「どこの者だ、目的は。身分を示す証を提示していただこう!」
「ああ。これでいいかい」
魔女は慣れた様子で一枚の羊皮紙を差し出した。
兵士は怪しげにフランツと魔女を見比べたあと、紙に書かれた内容を読んだ。
そして凍りついたように固まった。
「っ……! 失礼しましたっ!」
急に態度を変えて、恭しく全力で頭を下げた。
周囲の注目が余計に集まってしまう。
フランツはぎょっとしたが、魔女は気にせずに話を進めた。
「薬師ギルドと交渉に来たんだ。伝えておいてくれるかな」
「もちろんです。手続きはこちらの方で済ませておきます! どうぞお通りください!」
兵士たちに深々と頭を下げられる中、悠々と通り抜けていく。
まるで貴族にでもなったようだ。生まれて初めて敬われていることに興奮したフランツは、興奮しながら魔女に理由を尋ねた。
「さっきの紙はなに!?」
「ボクが偉いことを証明してくれるものさ」
「お姉ちゃん、やっぱり偉い人なんだ!」
「そうさ、この街では偉いんだ。これが読めるかい」
光のない眼を持つ魔女は、兵士にも見せた紙をフランツに渡した。
目を皿にするが、見たことのない複雑な形状の文字が多く混ざっていて、半分くらいしか読めなかった。
紙と睨めっこしあう少年を見て、クスリと笑みを浮かべる。
「まだまだ勉強が足りないよ。薬学以外の分野の学びを怠っていただろう」
「うう……」
「好きなことだけ学んでいればいい、というものでもないのさ。その紙はしばらくキミが持っていたまえ」
フランツは落ち込みながら、貰った紙を自分の小さな鞄にしまった。
新しい景色の中を手を引かれながら進んでいく。
そして宿に到着すると、落ち込んでいた気持ちが吹っ飛んだ。
「わぁ……!」
入り口には広い庭が広がっていて、噴水と花畑が広がっている。
今までの人生で見たどんな建物よりも贅沢な、貴族様の邸宅のような真っ白な建造物。ここが今日から魔女と泊まる宿屋だ。
今からこんなところに入るのか、入ってもいいのだろうか。
一人で恐れおののいているのに対して、魔女は顔見知りのような態度で、入り口で控えていた執事風の男に話しかける。
「やあ、久しぶりだね。泊まりにきたよ」
「オリオン様ですね。ようこそお越しくださいました。そちらの方は……」
「この子はボクの付き添いさ。そのように扱ってくれたまえ」
「畏まりました。本日は、私がご案内をさせていただきます」
ぼうっとした夢心地様子のフランツは、巨大な邸宅に連れて行かれる。
建物の中に入って絶句した。
教会よりもずっと綺麗で美しい、絵本の王宮のようだった。
「わ……わわわ……っ」
与えられた部屋も、昔暮らしていた村の家の五倍は広い。
椅子や机もすべて新品で、絵画や彫像が華を添えている。そして今のフランツは、この部屋の主人として振る舞うことが許されているのだ。
「お姉ちゃん、ベッド! つかっていい!?」
「いいとも」
「やったー!」
一目散に、ふかふかなベッドに飛び込んで、毛布にくるまれた。
村で暮らしていた頃は木製の硬い寝床だった。魔女の家の毛布も好きだったけれど、これは頬が勝手に緩んでしまうくらいの快適さだ。
荷物を置いた魔女は、快適の海に溺れる小さな助手に顔を向ける。
「早速ボクは出かけるよ。あとはキミの好きに過ごすといい」
「行っちゃうの?」
思わず悲しむ声が出て、それを聞いた魔女は小さく笑った。
「おや、寂しくなったのかい。ボクがいないと寂しいかな」
「そんなことないよ!」
「貴重な機会だ。自由なうちに色々と遊び、学んでくるといいよ」
ひらひら手を振りながら立ち去っていった。
豪華な部屋に一人で取り残される。
天上の心地の毛布にくるまれながら、ぼんやりと先のことを考えた。
「これからどうしようかな……」
このままぼんやりと過ごすのも悪くない。
しかし街で出歩けるチャンスを捨てるほうが勿体ない。
普段は必ず魔女と一緒に行動しているが、外で一人で行動する機会は本当に希少だ。言う通りに遊んで、学びにいくことが一番よさそうだ。
「今から外に行くぞ!」
フランツはベッドから起き上がって勢いよく部屋を出た。
執事の人に頭を下げられながら、石の階段を降って屋敷を出る。
目の前に新しい街が現れ、フランツの世界が拡がった。
「わぁ……!」
見たことのある『街』とは雰囲気が違っていた。
今までの何倍も人がいる。笑顔で活気があって、どこの店も盛り上がっていた。交通要所の通りなのだろう、荷物を入れておくための籠を持った人が行き交っている。馬車をそのまま使った屋台や、木製の露天がいくつも並んでいた。
やりたいことは考えてある。
まだ今は昼を過ぎないくらいの時間で、冒険を楽しむ時間はたっぷり残されている。お金も、貰ったものがたくさんある。
「行くぞ!」
外出用の小さなリュックを背負った、フランツの冒険が始まった。
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