第4話 フランツは、魔女と旅に出る
初めて入る魔女の研究室は、知らないものばかりだった。
金属やガラスで作られた変な形の機材。妖しく輝く液体、乾燥させた草束、角や牙などの動物の一部。中にはガラス瓶に封印された血液や、臓物などの生理的嫌悪を引き起こすものもある。
それらの品々は、幼いフランツを大いに怯えさせた。
「おねえちゃん。なに、あの赤くて気持ち悪いの」
「牛鬼の心臓だね。隣が淫魔の尻尾で、その次が吸血鬼の血液だ」
どれも聞いたことがない生物の名前ばかりだ。
魔女は全く平気そうだったが、それらが危険なものだというのは一目で分かった。
「許可があるもの以外は、触れてはいけないよ」
言われなくてもそうする。
いくつか注意事項やルールの説明を受けて、それが終わると、魔女は普段通りの作業ルーティンに入っていった。
少年は怯えながらも、後ろから魔女の仕事の様子を見守った。
魔女の仕事は『魔法薬』を作り出すことだ。
ホウキで空を飛んでいるのと同じ力で、呪いに対抗する力を薬に宿す。
そうして作ったものを配り歩くことで命を救っているようだ。
フランツは、魔女を見ていた。
透明色の液体を、緑色の炎で沸騰させる。瓶が虹色を帯びていく。
常識外の光景が繰り出されるが、薬を作り出す魔女はとにかく格好よくて、いつまでも惹きつけられっぱなしだった。
繊細に指先を動かしている魔女は、背を向けながら尋ねる。
「見ていて面白いかい」
「うん!」
見ようによっては不気味に見える景色だ。
だが、さんざん怖がってきたフランツは魔女を全く恐れてはいなかった。
その日からフランツは実践的な薬作りについても学び始める。
いつか魔女の仕事に関わるために、夜中にも時間を使って白紙の本を開いて、学んだことや見たものを書き込んでいった。
少年の心の中には、強い想いがあった。
『お前のような魔法使いのせいで、これだけの人が死んだんだ!』
呪いにかかった街で理不尽に受けていた罵倒が、ずっと心の中に残っていた。
今は姉と慕っている魔女は逃げることなく言う。
『ボクが逃げると、薬を求めている人が困るからね』
文字を学んで新しい知識を身に着けるごとに、魔女の凄さが分かっていく。
なぜ、あんな風に言われなければいけなかったのだろう。
今でも理不尽に憤っていた。
「ぼくがおねえちゃんを助けるんだ」
最初は魔女のようになりたいと思っていた。
今はそれだけじゃなく、少しでも魔女の助けになりたかった。
命を救われた恩を返すために。そして憧れの人の力になりたくて、フランツは必死に追いつこうとした。
「おうい。暇なら、こっちの道具を洗っておいてくれたまえよ」
「わかったよ!」
日を追うごとにできることは増えて、最初は触らせもしなかった薬作りの道具の清掃も頼まれるようになった。直に薬を作らせてくれるわけではなかったが、そのときは認められたみたいで嬉しかった。
少年はいつしか、魔女の雑用係でも、興味本位の見学者でもなくなっていた。
「助手クン、ちょっといいかい」
「どうしたの、お姉ちゃん」
村で拾われてから五年の月日が流れた頃。
フランツはかなり成長して背が伸びたが、魔女の外見は変わっていかった。
お互いにすっかり、二人での暮らしに馴染んでいた。
「ボクが教えた魔法の練習をしていたのかい」
「うん、僕もお姉ちゃんみたいに空を飛べるようになりたんだ」
ホウキにまたがって空を飛ぶ練習していた。
魔女と同じことができるようになりたいと、フランツは毎日のように練習を繰り返していた。だが、こればかりは感覚を掴むほかになく、それが中々うまくいっていない様子であった。
「なら実際に飛ぶのもいい練習になるかな」
「出かけるの!?」
「ああ。買い出しに隣国に行くよ。ついてくるかい?」
「行くよ!」
そんなの行くに決まっている、即答した。
魔女の家での生活に不満はなかったが、それでも森の中で暮らしていると人恋しくなる時がある。自力で森から外に出られないフランツにとって、街に出る機会は貴重だった。
「随分大きくなったね。そろそろ乗れなくなってしまいそうだ」
魔女のホウキの前に座ると首元あたりに頭が当たる。
一応、すっぽりと腕の間におさまったが、昔と違って少し窮屈だ。
フランツは、この席が暖かくて柔らかくて、好きだ。
でも早く自分で飛べるようになりたいとも思う。
「じゃあ飛ぶよ」
「うん!」
そんなことを思っていると、ゆっくりと空に浮かび始めた。
妖しく微笑んだ魔女とともに大空へ舞い上がる。
厚い雲の上を抜けて空の上に至ると、白い綿が絨毯のように空に敷かれていた。
「僕もいつか、ちゃんと空を飛べるようになるかな」
「魔法の才能はあるんだから、可能性は十分さ。ボクほどじゃないけどね」
森の中から飛び立った二人は、そこから、風になった。
白の草原が、どこまでも続いていた。
地平線の果てに水色が広がっている。
雄大な景色を見ていると思う。
「やっぱりお姉ちゃんはすごいや」
「それは、ボクを褒めているのかい?」
「うん、格好いいよ!」
フランツは雲の上に来るのが本当に大好きだ。
空の上には誰もいない。森の中と違って広大な景色が広がっていて、世界の全てを魔女と二人占めしたような優越感を感じた。
「格好いい……か。キミがそう思うのなら、そうなのかもしれないね」
素っ気ない返答だったが、フランツには、少しだけ嬉しそうにしているように見えた。
目を輝かせながら、青空の、さらに向こう側を指差した。
「ねえお姉ちゃん、僕、もっと高いところにいってみたい!」
自分たちの上に雲はもうない。
あの先にはどこまで飛んでいけるんだろう。わくわくしながら聞くと、魔女は可愛らしいものを見るように口元をほころばせた。
「残念だけど、空の果てにはボクも行けないんだよ」
「どうして?」
「まず飛んでいるうちに魔法で補えないくらい寒くなる。首を絞められるみたいに息ができなくなる。キミはきっと数十秒で死んでしまうよ」
「え、えっ……」
「行ってみるかい?」
「……やめた」
素直に要望を撤回する。
魔女は嘘を言わない。好奇心よりも恐怖が勝った。
大人しく、今目の前にある絶景を楽しむことにした。
「お姉ちゃん、今日は何をお手伝いすればいい?」
「新しい薬と希少素材の取引に行くんだ。キミに実際に手伝ってもらうのは三日後になる」
「それまでは?」
「交渉の場にキミは連れて行けない。でも宿はとってあるから大丈夫さ、お小遣いもあげよう。街で好きに過ごしてくれていればいい」
魔女は箒から片手を離し、相乗りしているフランツの服の懐に何かを滑り入れた。ずしりとした重さを感じる。中身がお金だということはすぐに分かった。
しかし、フランツは逆に心配になった。
「僕一人で大丈夫かな。お父さんが子供一人で街に出るなって……」
「キミの行っていた街ならそれは正しいね」
数日間の遠征に連れて行ってもらうのは、これが初めてだ。
外にでたときに大人と離れて過ごしたことは一度もない。かつて父親に、街では簡単に人攫いに遭うと言われたことを思い出して身震いした。
だが魔女はそんな心配を軽く笑った。
「キミの暮らしていた国と違って、今から行く場所は治安がいいから大丈夫さ。万一のことがあっても、ボクの名前を出せばなんとかなるよ」
「オリオン?」
「大変だと思ったら、遠慮なく名乗るんだよ」
森の魔女・オリオン・ニューアール。
それが敬愛する魔女の本名だ。いまは名前だって書くことができる。
そう言うのなら、きっと大丈夫なのだろうと信じることにした。
「街にはキミの好きな料理もあるし、新しいことを学べる場所もあるよ。着いたら色々な場所に行ってみるといい」
「わかった! いろんなところに行ってみる……!」
楽しい時間への期待で不安を塗りつぶし、大空の上で気合を込めた。
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