第3話 フランツは、魔女と暮らす


 翌日、家を出ていこうとする魔女を呼び止めて申し入れた。


「この家で暮らしたいだって?」

「うん!」


 今日も同じように呪いに苦しんでいる人のところに行くつもりだったのだろう。白い衣装をまとって、恐らく薬の詰まった巨大な鞄を背負っている。

 足を止めて振り向き、フランツの方にかがんでたしなめる。


「悪いけれど、ボクに子供を養うほど余力はない。だから無理だ」


 あっけなく断られたが、しかし簡単に諦めるつもりはなかった。

 フランツは一生懸命に懇願する。


「働くから、家においてほしいんだ」

「働く……ねえ。そうは言っても、キミには何ができるんだい」

「料理をつくったり、この家を綺麗にできます」

「ほう」


 意外と真っ当な答えが返ってきて、魔女は目をまたたかせた。

 しかし頭を撫でて、優しく言い聞かせる。


「ここは深い森の奥。住んでいた村とは全然環境が違う。止めたほうがいい」

「ぼく、役にたちませんか?」

「そういうことじゃないさ。キミはきっと優秀なんだろう」


 子供ながら頭が回る。

 本当にそれができるのなら、この家に置いても構わないとさえ思う。

 しかし、この土地は幼い子供を育てるのに向いた環境ではない。


「呪いの件が落ち着いたら、街に連れていってあげると言っただろう」

「うん……」

「孤児院が嫌なのかい」


 魔女は、フランツを孤児として街に連れていくつもりだった。

 国を行き来しているため、それなりに豊かな場所も知っている。しかし子供にとっては不安だろう。そこからきた拒絶かと思ったが、フランツは首を横に振った。


「ぼくも、人を助けられるようになりたいんだ」


 返答を聞いた魔女は、フランツの真意を確かめるように見つめた。

 真剣で、嘘やごまかしを言っているようには見えない。

 フランツも本気だとわかってもらうために、めげることなく、唇を縛って虚ろ目を見つめ返した。


「この家に仕事は、まあないわけじゃない。雑用の必要はどうしたってある」「ほんと!?」

「でも損をするのはキミのほうだよ」


 二度目の忠告。

 魔女はフランツを留めておくことを、良くないことだと思っていた。


「ボクと暮らすということは、怖くても逃げ出せないということだ。ここは深い森の奥。一緒にいても楽しいものは見られないよ」

「でも、おねえちゃんがいるでしょ」

「……あれを見た後でそうまで言うかい」


 狂った選択だ。

 昨日見た光景は、普通であれば一生心に傷を残すような酷いものだった。

 そんな場所で罵声を受ける人間なんて、信用に足るわけがない。両親が生きていれば絶対にダメだと怒っていたはずだ。

 しかしフランツの頭の中に、孤児院に行く選択肢はなかった。

 ならば仕方ないと息をつく。


「ここに居たいのなら、価値を示してもらう」

「えっ?」

「キミの意思はどうあれ、ここに住むのならボクはキミを養わなくちゃならない。その対価は支払ってもらうよ」

「え、えっ。なにをすれば……」


 怯えたように言うフランツに指先を立てて言う。


「この家の雑用をキミが引き受けるんだ。できる範囲で構わない」

「わ、わかった」

「それともう一つ、ボクはキミに何も教えない。私室と研究室に入らなければ、あとは好きにして構わない。あとはボクに価値を示してくれればいい」 

「うん」

「じゃあ、ボクは行くよ。待っている人がいるから急がないと」


 そう言い残して、魔女はひらひら手を振って家を出て行った。

 一人で取り残されたフランツは考える。

 仕事をすれば、役に立つことができれば追い出されないのだ。


「まじょになるぞ……!」


 ここに住んでさえいれば、きっと自分も魔女のようになれる。

 フランツは頑固だが、聡明だった。

 憧れに向かうために何をすればいいか、本能的に分かっていた。 

 

 村のみんなを呪いによって奪われた。

 死ぬ間際まで苦しみを味わって、この世を去ってしまった。

 二度とあんな想いはしたくなかったし、誰かに味わせたくもなかった。自分がしっかりしていればあんな風にはならなかったのだ。


 そして、母が亡くなってしまった今、夢を叶えるための道はここにしかない。

 このチャンスを逃せばきっと二度と訪れないだろう。


「あった。よし、やろう……!」


 魔女の家に居続けることが当面の目標だ。

 古い布切れと、掃除用具を探し出したフランツは、得意な家の掃除から手をつけることに決めた。




 やがて夜になり、役目を終えた魔女が帰宅してくる。

 息をつきながら戸を開ける。

 死人のように濁った目を不思議そうにまたたかせた。


「おや」


 萎んだ鞄を下ろして部屋全体を見渡した。

 ホコリをかぶっていた部屋が美しく姿を変えていた。

 どこも建てたばかりのように綺麗になっていて、食卓には夕食だろうか、保存食のパンと蜂蜜まで置かれている。

 

「キミ一人で、ここまでやったのかい」


 様変わりした部屋の食卓に、フランツがぽつんと座っていた。

 魔女は関心を持った様子で彼に近づいて尋ねた。

 しかしフランツの表情は暗い。

 ここまで丁寧に与えられた役割をこなしたというだけで評価に値する。

 普通なら誇らしくするはずなのに、なぜ落ち込んでいるのか、分からなかった。


「こんなものしか用意できなくて、ごめんなさい」


 何を謝罪されているのか分からなかった。

 視線の先にパンと蜂蜜が置かれているのを見て理解した。


「ああ、そういうことかい」


 村で暮らしていた少年には、かなり貧相に映る食事に見えたのだろう。

 しかし、逆に魔女は口角を吊り上げる。

 子供は飽きっぽいし集中力も続かないと思っていたが、彼は違う。求めることをやり遂げる能力は持っていて、しかもそれに満足していない。


「ボクは食事にこだわる性格じゃなくてね。食材なんかは用意していないんだ」

「家に畑はないの?」

「保存の魔法で持ってくることができるから、そういうものを作る必要がない。食卓に並んでいるものに満足していない様子だけど、それはボクの落ち度だね」

「でも……」

「並べておいてくれるだけで十分さ。このあとの片付けも頼んだよ」


 魔女が告げると、フランツはハッと顔をあげた。

 蜂蜜を塗ったパンを呑み下した後。

 魔女は頬杖をつきながら言う。

 

「どうやら一時の感情というわけでもなさそうだ。ボクが求める役割を果たす限り、キミはうちに置いてあげよう」

「ほんと!?」

「研究の邪魔になると思ったら、出て行ってもらうけれど。それでもいいかい」

「邪魔なんてしないよ」


 命を救おうとする憧れの人の邪魔をするなんて、とんでもない。

 返答に満足した魔女は、家のルールをいくつか説明した。




 そして少年は、小間使いとして魔女の家で働くことになった。

 孤児院に行くことを選ばなかったかわりに、新しい生活を手に入れた。

 

「おうい助手クン。白衣の残りがないよ、早く補充したまえ」

「はいっ……!」


 研究室から顔を覗かせた魔女に、焦った様子で答える。

 それから数十日もすれば、国中を騒がせた呪いの騒動が落ち着いたらしい。魔女は家にいることが増えて、それに応じてフランツの仕事も大幅に増えた。


「よいしょ、よいしょっと」


 呼びつけられては新しい仕事を命じられる、そんな毎日だった。

 洗濯物をまとめたタライを持って、井戸の方に向かう。

 主な仕事は洗濯と料理、水汲みや掃除、他にも数々の細かい仕事を任せられていた。


 魔女は、誰の立ち入りも許していない『研究室』と呼んでいる部屋にいた。

 そこで薬を作っているみたいだった。

 何度も見たいと思ったが、それを要求したことは一度しかなかった。

 

「あれっ。何か残ってる……」


 白衣を洗おうとしていたとき、ポケットに紙が残っていることに気付いた。

 取り出してみると文字が並んでいた。

 洗濯の手を止めて目を細て、射殺すようにじいっと睨み付ける。

 紙片と格闘をはじめたフランツは、魔女の言葉を思い出した。


『魔法薬の作り方を学びたい?』


 仕事に慣れてきた、ある日、そんな風に申し出たことがあった。

 薬作りでも魔女の役に立ちたい。

 そんな気持ちから出た言葉だったが、薄い笑みを浮かべてたしなめられた。


『難しい仕事なんだ。何も分かっていない人間に任せられないよ』

『がーん……』

『本気なら、まず文字を学ぶといい。薬師への最初の道はそこからだ』


 文字が読めないと、憧れにはたどり着けない。

 フランツは文字が読めない。村いちばん賢かった母親でさえ、ごく簡単な文字が読める程度だったから仕方のないことだ。

 最初は名前すら書けない状況だったが、それは少しづつ変わっていた。


「『下、かいじゅ、薬』……やった、ちょっとだけ読める!」


 書くことはできない。

 しかし、ほんの少しだけなら読めるようになった。


「『オリオン・ニューアール』はおねえちゃんの名前。こっちの文字が『道具』っていう意味で……」


 一人で納得しながらメモをよみあさる。

 娯楽のない森で、フランツは余りある魔女の知恵を身につけようとしていた。

 もともとの頑固な性格が幸いし、薬の本を読むという明確な目標のために人一倍の努力をした。

 

『何もなしじゃあ辛いだろう。これをキミにあげよう』


 魔女はフランツのために、文字を学ぶための絵本を与えた。さらにメモのための白紙の本と羽根ペンも買い与えて、使うように言った。

 独学でも習得は圧倒的に早かった。

 洗い終えた白衣を渡しにいくついでに、自慢げに魔女にメモを返しに行く。


「ふぅん。これを読めるくらいに字を覚えたのかい」

「はい!」


 自分が取り出し忘れたメモと、フランツを見比べる。

 確かに彼の言う通り『下級解呪薬』と記されていた。材料の内訳も、作業の手順もフランツの申告通り。文字が読めている何よりの証である。

 不気味な微笑みを浮かべて、優しく頭を撫でる。

 フランツも嬉しそうに撫でられた。


「頑張ったんだね。正直、ここまで早くたどり着くとは思わなかったよ」

「ぼくも薬が作れるかな!?」

「だめだよ、まだまだ先は長い。それに文字は読めるだけじゃなくて、自由に書けないといけないからね」

「うう……」


 自信があっただけに、まだ薬作りはできないと言われて落ち込んだ。

 そんなフランツに魔女オリオンは優しく言う。


「何度も言うようだけれど、ボクの仕事は報われないよ。経済的に豊かになるだけなら、字を覚えるだけでも十分だ」


 文字が読める人間は限られている。

 街の住人でさえ、大半は文字を読むことができない。

 読み書きができだけでも、貴族や商人に良い給料で雇用されるだろう。

 だがフランツは頑として首を横に振った。


「ぼくは絶対、魔女になる」

「……そうかい」


 何の逡巡もなくかえされては、魔女に返す言葉はなかった。

 軽く指を弾いて、フランツの見つけたメモ用紙を空中に飛ばした。紙片は吸い込まれるようにフランツの手におさまった。


「いらないの?」

「頑張ったキミへの記念に、それはあげよう」

「やった、ありがとう!」

「それと、ボクがいる間に限って研究室への出入りを認めようじゃないか」

「ほんと!?」

「嘘はつかないさ。字を読めるようになったんだから、その努力は認めないとね」


 落ち込んでいたフランツは、一転して明るい顔を取り戻した。

 茶髪の魔女は、いつもの何を考えてるか分からない笑みを浮かべて、犬のように尻尾を振る少年についてくるように促した。


「今から研究室のルールを教えるから、ボクのあとをついておいで」

「わかったよ、おねえちゃん!」


 フランツはメモを懐に大切にしまって、魔女の後を追いかけた。

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