第2話 フランツは、魔女に憧れる


 魔女を名乗る女性に拾われたフランツは数日間、高熱と悪夢にうなされた。

 心と体が回復するまでには時間が必要だった。


「体力が戻っていない間は、何度か熱がぶりかえすだろう」

「う、うぅ……」

「生きるために頑張るんだよ」


 言葉通り、毎日のように悶絶を繰り返して苦痛を味わった。

 しかしフランツは必死に耐えた。

 魔女を名乗る怪しい女性を最初は信じていなかったが、しだいに心を開いて信用していくようになる。


「大丈夫かい。水が欲しければ、ボクがいる間に言うんだよ」


 毎朝と毎晩、必ず様子を見にきてくれた。

 不安と悲しみの中でも安心できたのは、魔女のおかげだった。

 濁った目は相変わらず怖かった。

 でも、最初の頃よりは全然怖くなくなった。


「すまないが、今日もここで寝ていてくれたまえ」


 一体この人は何者なのだろう。

 こんな森の中で暮らしている女性のことが気になった。

 ある日フランツは、毎日のようにどこかに出かけていく魔女の行く先を探ろうと、窓の外に視線を向けてみた。

 茶髪の魔女は、ホウキにまたがって体を宙に浮かせていた。


「え……?」


 誰か他の人をを見つけられないかと思っていただけだったので、ありえない光景を見てしまって目を疑った。

 しかし魔女は空を飛んで、青色の彼方へ消えていった。


「うそ……」


 唖然とするフランツの視線は空に固定された。

 田舎の村で生まれたフランツといえども、人間が空を飛ばないことは知っている。

 その日は一日中気になって、夜に直接尋ねることにした。


「魔女なんだから、空を飛ぶくらいわけないさ」


 魔女とは一体何なのか。

 フランツの中でますます謎が深まった。


「どうやって空を飛んでるの?

「それを話すと長くなるから、今度ゆっくり教えてあげよう。今日もそろそろ行かないといけないんだ」

「えっ。やだよ……おねえちゃん行かないで」

「フフ、かわいいことを言うね。でもそうはいかないんだ」


 すっかり懐いたフランツは白衣の裾を掴む。

 しかし魔女に優しく拒まれて、結局連れていってもらえない。フランツの頭を撫でて普段通り部屋を出ていった。

 少しの間はじっとしていたが、やっぱり寂しかった。


「ぼくもいく!」


 耐えきれずにベッドから這い出て部屋を出る。

 玄関から家を飛び出すと、虚ろ目の魔女は重そうな荷物を背負い、いつものようにホウキにまたがって空を飛ぼうとしていた。


「おねえちゃん、ぼくも連れていって!」

「来てしまったのかい」


 飛び込むように魔女に抱きついた。

 空中に浮かんだホウキが小さく揺らぐ。


「キミは家にいるべきだ。ボクについてくると大変な目に遭うことになるよ」

「やだ、はなれない!」


 白衣にしがみついてくる少年を撫でてたしなめる。

 言うことを聞かず、いやいや首を横に振った。


「泣いても途中で帰れないよ。酷な世界を見ることになる。それでもボクと来るというのかい」

「うん!」

「……そうまで言うのなら、仕方ないね」


 息をついて、幼い少年を抱えるような形でホウキにまたがらせた。

 父親に高く持ち上げられた時の感覚に似ていたが、支えられずに浮かんでいるのは不思議な感じだった。


「夜には戻ってくるけれど、それまで離れないようにするんだよ」

「わかったよ、おねえちゃん」

「それならいい」


 魔女はフランツを抱えた状態で、地面を軽く蹴った。

 ふわりと宙に浮かんだ感覚があった。つい下を見ると地面が遠ざかっているのが見える。

 心細い棒にまたがっているだけで頼りなく、恐怖すら覚える状況。

 幼いフランツはむしろ高揚した。


「ぼく空をとんでる!」

「なかなかできない体験だろう。今のうちに楽しんでおくといいよ」


 一瞬で木々が過ぎ去っていく。

 遠くに見える湖が輝いていて、大空が手の届く場所にある。

 見えるもの全部が綺麗だ。風が髪の隙間を通り過ぎていく。鳥になったみたいで最高に気持ちがよくて、心まで浮かび上がるみたいだった。


「すごい! すごい、すごいっ!」


 興奮する少年をよそに、白衣の魔女は変わらない表情で飛び続ける。

 大空視点から遠くに街を見つけると、袖を引っ張った。


「おねえちゃん、街がある、まちだよ!」

「柄はしっかり両手で握りたまえ。落ちたら、ぺしゃんこに潰れて死んじゃうよ」


 フランツは慌てて手を握りなおした。

 魔女の手によってホウキはゆっくりと高度を落とし、街から少し離れた場所に着陸した。一緒に降りたフランツは、今度は手を引かれて隣を歩く。

 

「ここからは歩くの?」

「直接空を飛んで降りていくと、余計に目立ってしまうからね」

「そっか、これから街にいくんだもんね」

「ここからはボクのそばを絶対に離れないようにね」


 魔女に手を握られながら、フランツは楽しい気持ちで足を進めた。

 空を飛ぶのは楽しかった。

 今日はきっと楽しい時間が待っているに違いない。

 街の様子が見えるまでは、そんな風に思っていた。


 村に引きこもっていたフランツにとって初めて訪れる土地。

 まず見つけたのは巨大で立派な門。入り口の周囲にいくつもテントが設営されている。

 新しい景色に喜んだのは、ほんの一瞬。

 そこに地獄が広がっていることに気付いて青ざめた。


「たすけて、だれか……」

「う、ううぅぁ。がぁっ」

「ぐぶっ、う」


 そこら中に『死』が蔓延していた。

 草地に寝そべっている人間を見て、何が起きているのかを理解した。

 彼らの肌には青紫色の斑紋が浮かび上がっている。

 あれはフランツの村を滅ぼしたのと同じ、死の刻印だ。


「ひぃっ……!」


 心底後悔した。

 来るべきじゃないと言われたことを、いまさら思い出す。

 急いで逃げ出そうとしたが、魔女は、握った手を離さなかった。


「死んじゃう!!」

「薬の効果は続いている。ボクもキミも呪いはかからない、大丈夫だよ」

「おねえちゃん、やだよ……」

「ボクについてくると言ったのはキミだ。ついてこないのなら、この場所に一人で置いていくしかなくなってしまう」


 虚ろな魔女の目に温度はなく、本気で置いていかれると思った。

 自分が来るべき場所じゃなかった。言うことを聞かなかったことを、フランツは心から後悔した。

 腐臭と血の匂いが漂う道を、手を引かれながら歩く。

 吐き気が込み上げてきて涙ぐむ。


「おねえちゃんは、なにしにここに来たの……?」


 なぜわざわざ大変な場所にわざわざ来たのか分からない。

 呪いが伝染して蝕まれるかもしれない。

 魔女は端的に答えた。


「助けにきたのさ」


 恐ろしい状況の中でも平然とした態度を崩さない。

 フランツがぽかんとしている間に、その場で周囲に聞こえるように大声で名乗りをあげた。


「ボクは魔女オリオン! 呪いを解く薬を持ってきた!」 


 病人たちはのろのろと反応して魔女を見た。

 背負っていた鞄から、魔女は数本のガラス瓶をかかげてみせる。中身は異様なほど美しい銀色の液体だ。周囲がざわついた。

 大勢の注目が集まる中、魔女は病人の一人にかがみこむ。


「たす、けて」


 最初に助けを求めたのは、身体中に斑紋の浮かび上がった男だった。

 痩せ細った腕を伸ばしたが、声もろくに出せないほど弱り切っている。魔女は不気味に微笑みながら薬瓶の栓を外した。


「キミはまだ助かる、大丈夫だ。口を開けたまえ」


 言われるがままに開いた喉の中に、銀色の薬が入っていく。

 男は苦しそうにうめいていたが何とか呑み下した。しかしその直後に、力尽きた様子でぐったりと横になる。

 

「ええっ……!?」

「大丈夫、気絶しただけさ。呪いを打ち消す魔法の反動だろ」


 そう言って魔女は、男を置いて次の場所に向かった。

 フランツがおそるおそる顔を覗き込んでみると、ちゃんと息はある。汗は異様に流れていたけれど、表情をみる限り苦しみは和らいだ様子だ。

 幼い子供であるフランツにも、魔女が何をしにきたのか理解できた。


(格好いい……)


 次の人の前でかがんで、薬の内容を説明している。

 その様子を見て、いつか街で見た騎士団の時のようにフランツは憧れた。 

 こうして救われたんだと知って、心がざわつく。


「こんなものッ!」


 突然、魔女のほうから乾いた音が響いた。

 ガラスが砕けて、銀色の液体が草地に吸い込まれる。

 差し出されようとしていた薬が振り払われたのだと知って、フランツの頭は真っ白になった。

 払ったのは、身体中を小さく爛れさせた肌の腫れた女性だ。


「誰がいるものか、こんな得体の知れないモノ!」


 血走った恐ろしい眼で魔女を睨み付けている。

 射殺さんばかりの殺意に、ぞっとして足がすくんで尻餅をついた。


「何をするんだい、もったいないじゃないか」

「毒よ! 私たちを早死にさせる毒が入っているに違いないわッ!」


 フランツの目の前で、魔女は罵声を浴びていた。

 何が起きたのか分からなかった。

 助けにきたのに、どうしてあの人は、そんなことを言うんだろう。

 腰を抜かしながら涙目で様子を見守った。


「不要なら、そう言ってくれればいい」

「ふざけるな! 元はといえば、お前のような魔法使いのせいで、これだけの人が死んだんだ!」

「ああ、その女の言う通りだ!」

「魔法なんて怪しげな力を使いやがって、全部お前のせいじゃないか!」

「もうみんな死んだんだぞ!!」


 戸惑っているのはフランツだけ。

 他の大多数はいっせいに魔女に罵声を浴びせかけた。

 味方は誰もいない。気力の残っている人間が全員敵になった。

 ここから逃げようと思って魔女のほうを見たが、当人にその気配はない。


「必要がないのに悪かったね。余計なことをしたみたいだ」


 平然と笑みを浮かべて周囲を見回したあと、薬を振り払った女性に視線を戻す。

 その場から立ち去ったが、罵声は伝播して、二人がどこに行っても続いた。


「あんたのせいだ。この悪魔、人殺しっ……!」

「そんな不気味なもの飲めるか!」

「薬を飲んでも治っていなかったじゃないか! うそつき!」

「俺たちをもっと苦しめるつもりだろう!」


 薬を飲んだのは最初の一人だけで、魔女の薬を受け入れようとする人間はいない。

 いいことをしているはずなのに。どうして。

 フランツは半泣きで、虚ろ目の魔女の後を追いかけた。




 夕暮れ時になって、用意した薬がようやく無くなった。

 面と向かって受け入れようとする人は誰もいなかったが、人目を盗んでこっそり薬を求める人がやってきたのだ。魔女は快く薬を手渡した。

 フランツは複雑な気持ちで今までの様子を見守っていた。


「これで仕事は終わりだ、家に帰るとしようか」


 薄い笑みを浮かべて、泣きそうな顔のフランツを迎えた。

 魔女は微笑んでいるのに寂しそうに見えた。

 混乱と悲しい気持ちでいっぱいになったまま帰りもホウキで空を飛ぶ。だが来た時と違って、嬉しい気持ちにはならなかった。


「おねえちゃん」

「何だい」

「どうして、いいことをしたのに怒られたの?」


 何度考えても分からない。

 村で同じことをすれば、みんなが褒めてくれたはずなのに違った。

 もしかして、とんでもなく悪いことをしたのだろうか。


「悪いことをしたの?」

「いいや、そういうわけじゃない。彼らには分かりやすい原因が必要なんだ」

「……?」

「得体の知れない不幸に襲われて大切なものを失った。そこに得体の知れない力を使えるボクがやってきた。仕方のないことだよ」

「……よくわかんないよ」

「キミはそれでいいのさ」


 フランツには理解できない答えだった。

 魔女の言ったことは難しすぎたが、それ以上は答えてくれなかった。


「ちゃんと治る薬が役立ったのなら、それで十分だよ」


 夜空の下、月明かりに照らされた魔女の言葉が胸に残る。

 振り向いて虚ろな瞳を見つめる。

 フランツには難しいことばかりだったが、その言葉だけは分かった。

 自分が寝ている間に、魔女はいつもどこかに出かけていた。

 毎日のように誰かを助けていたんだ。


「でも、悪いことしてないのに怒られるのは変だよ」

「そうかもしれないね」

「どうして逃げないの?」

「ボクが逃げると、薬を求めている人が困るからね。それはできない」


 魔女は言い切った。

 納得できたが理解はできない。フランツの目に涙がこみ上げてくる。

 魔女が凄い人なのを自分は知っている。

 命の恩人が、あんな風に扱われているなんて悲しくて仕方がなかった。


「一緒についてくると大変だと分かっただろう」


 ついてこなければ、行きたいと言い続けていただろう。

 闇に染まる空の下、魔女のホウキは子供を乗せて森に帰る。




 フランツは憧れを強く抱いた少年だ。

 命を守る騎士団に憧れたのと同じくらい、強く憧れる人ができた。


『キミはまだ助かる、大丈夫だよ』


 魔女は優しく救おうとしてくれた。

 街でたくさんの人を救おうとする姿は格好良くて、嫌われている姿が怖くて忘れられなくなっていた。

 暖かい身体に抱かれながら、誰にも聞かれないようにつぶやいた。


「ぼくは、あんな風になりたい」


 魔女になりたい。

 人生で二度目に抱いた憧れが、新たな道を突き進ませていくことになる。

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