第2話 日常と平穏

いちゃもん事件から、僕と兼人の距離感はぐっと縮まった。遠距離通学のはずの兼人はいつも僕より早く教室に到着しているから、僕が「おはよ」と声をかけてから自席に着く。兼人は、僕の隣の座席だからだ。

謎に包まれたスポーツ名門校からの入学生と、いたって普通の地元からやってきた平凡な僕、という組み合わせはクラスメイトからは奇異の目を向けられることになった。しかし兼人はどこ吹く風といった様子で、ぴんと背筋を伸ばして毎日朝からその日の授業の予習に勤しんでいた。

その姿はやっぱりどこか違う世界の人間らしいというか、僕なんかじゃきっと不釣り合いなんだろうな、とクラスメイトの目を気にしてしまう自分が存在していた。そんな小さなことが、やっぱり兼人と僕は違うんだ、という気持ちにもつながっているのだろう。


「え、なんで江坂に挨拶したんだ?」


初めて江坂に「おはよう」といっただけで信也は驚愕して僕に近寄ってきたし、クラスの女子も「江坂君が笑ってる」とざわついていた。

兼人は目立つのだ。出身校からして異質で、おそらく180センチ近い身長、顔立ちもすっきりしていているから眼鏡が芋っぽくなくて洗練された印象を受ける。やっぱり座っているだけで目立つ。


「翔太、今日は英表の単語テストだけど大丈夫そうか?」

「いーや、全然。兼人は余裕そうだね」

「家でやることもないしな、小テストくらいなら平気だ」


なんでもないさ、と言葉では言っているように聞こえる兼人だが、副音声で「褒めて!」と聞こえんばかりの笑顔で俺を見つめていた。もっとクラスの奴らの前でもそうやって笑えばいいのに、そうしたら僕なんかだけじゃなくてあっという間に人気者だろう。でも、兼人はそうしない。

愛想が無いわけでも、コミュ障なわけでもない。ただ何となく、近づきがたいオーラというか、壁を感じるときがある。僕が声をかけると途端に柔和な雰囲気に変わるものだから、僕まで特別な人間になったような気にさせるのが兼人の悪いところだ。

きっと兼人と友達になりたい奴は、このクラスでも少なくはない。サッカー部の奴らとか、あと男子から可愛いと評判の女子とか。入学から二週間近くたつのに、いまだにどのグループにも属さない兼人がどう動くのか、一年一組一同は注意深く観察していると言っても過言ではない。

兼人には仲良くしたい、という好意的な感情と同時に、露悪的な感情も向けられている。「俺達より目立ちやがって」「ちょっと名門から来たからって調子に乗ってる」なんて声も聞こえてくるのが事実だ。だから兼人はあまり誰かと仲良くしよう、と行動しないのかもしれない。

僕は信也や亮と一緒にいることも多いけど、席の近い兼人ともよく話す僕はきっとこのクラスの異分子として扱われていることだろう。

席の近い僕なら、他愛もない会話をしていたって不思議ではない。だから兼人は僕と友達になろう、なんてふざけたことを言い出したのだろう。僕は特に誰からも目を付けられていないし、何より目立たない。これ以上に適役はいないだろう、自分で言っていて悲しくなるけれど。


「翔太はさ、中学の時ハンドやってたんだよな」

「あぁ、うん。弱かったけど」

「うちの高校ハンド部ないけど、部活どうすんの?」

おお、それはお前にとってパンドラの箱ではないのか? と一瞬だけ戸惑ったが、あくまで僕のことを聞かれているだけだと落ち着きを取り戻してその問いに答えることにした。

「うーん、特にまだ考えてないけど。あんま勉強も得意じゃないし帰宅部でもいいかなって」

「パソコン研究会とか、ゲーム作ったりしてるらしいぜ」

「マジか、ちょっと興味あるかも。てか兼人ってゲームとかやるわけ?」

「子供のころやってたくらいだな、あんまりゲームする時間もなかったし」


それは、ずっと走っていたからか? なんて聞けるわけもないから、僕はあえてそこには触れずに会話を続けた。


「とりあえずは帰宅部かな、気楽だし。意外にキャプテンとか副キャプテンとか面倒だし、ハンド部ないなら部活にはこだわらないっていうか」

「じゃあ俺とおそろいだ」

「兼人も帰宅部?」

「大学受験もあるし、千石学園と違ってエスカレーターでもないからな。甘やかされた俺たちはちゃんと勉強しないとやばい」

「千石ってたしか大学も頭いいよな」

「内部進学はそうでもないんだよ、だから内部生はさぼりがち」

「うへ、名門のイメージくずれるわ」


へらっと笑ってみせた僕につられて兼人も笑った。そうか、帰宅部という共通点もできるなら、やっぱり部活には入らなくてもいいや。おそろい、友達、ありきたりだけど悪くない。僕は兼人ともっと話してみたかったし、どんな人間なのか知ってみたいのだ。

外側だけじゃなくて、彼という人間の内部を少しでも見せてくれたらいいのにな、なんて思うほどには彼に興味を引かれていた。

だけどそれをよく思わない奴が僕が予想していたよりも多かった、ということはこの時の僕が知る由はなかった。

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何者にもなれない サノアキラ @Sa_no_21

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