何者にもなれない

サノアキラ

第1話 入学と出会いと友達と

入学式の季節に桜。とはいうけれど、意外にもその年の天候状況や気候なんかの、運としかいえない要素によって満開だったり、散りかけていたりという不確定なものに青春の始まりを象徴させている。

今年は運がいいのか、悪いのか、学校に向かう道には満開の桜がアーチのように僕たち新入生を迎え入れるかのように咲き誇っていた。

地味な田舎の、地味な高校。田舎の公立高校受験なんて、大した選択肢はない。教師や親、周りの空気なんかの「これくらいの偏差値なら」という枕詞をつけて進路が決められる。

だから、高校にも期待していなかった。こんなことを考えているなんてさぞ寂しい中学生活だったのか、と勘違いされるかもしれないが、いたって僕は平凡だった。県内公立中には珍しいハンドボール部の副キャプテンを任されたり、クラスでもまぁ、それなりといった立ち位置だった。

陰キャでも陽キャでもない。中途半端。そもそも、こんな単純な物差しで人間をカテゴライズしたくもないけれど、言葉としては便利だからあえて雑な表現をした。

新しい学校の新しいクラス、誰が居るのかな、なんて期待だけで乗り切った退屈な入学式を終えると僕が配属されている一年一組の教室に押し込まれた。一クラス四十人、八クラス、中堅公立高校としてはそれなりの規模だろう。同じ中学の奴らも二人ほどいるし、僕のクラスでの立ち位置が大きく変わるわけではないだろう。変わってもらっても困るのだけれど、やっぱり面白くないな、なんて思いながらすでに決められた窓際の席に座ったまま青い空を眺めていた。

五十嵐翔太、い行だから出席番号は四番だ。年度初めの窓際の座席にも、すっかりなれっこだ。

これから担任の教師がやってきて「はい、皆自己紹介」なんてお約束の流れだ。なんて言うのが正解か、どうすれば可もなく不可もなくいられるのか。そんな計算された自己紹介ははたして自己紹介なのか? という意見もあるだろうし僕自身も疑問ではあるが、あんなもの一種の自己アピールでしかないのだから問題はないはずだ。五十嵐、なんて苗字だから、こういうときは順番が回ってくるのが早い。教師がクラスに入ってくるまでにはなんとかしないと、自己紹介。

器用に生きてきた。個性が無いことが個性、クラスからも浮かずに、適当に、が僕の信条だった。僕は楽をして生きていきたかったし、これからもそのつもりだ。

入学式ではきちんと上まで絞められた学ランのボタンを一つだけ外しているのも、皆がそうしているから、あと楽だから、という理由でしかない。

普通の、平凡な、どこにでもいる高校一年生。僕はどうやったって特別にはなれない。


「おーい、静かに。HR始めるぞ」


まだ二十代らしき若い男の教師が建付けの悪い引き戸を勢いよく開けた。がらっという音と、先生の声が混ざって端的に言うと「うるさい」という気持ちになった。こいつが担任か、と肩を落としそうになったが、悪い奴ではなさそうだからまだハズレ、というのはよしておこう。


「一年一組の担任の佐々木良太だ、一年間よろしくな。必要なプリント類は各々机の上に置かれてあるし、帰ったら保護者の方と確認するように。長い話は皆眠くなるだろうから、とりあえず自己紹介でもしてもらおうか。じゃあ、相川さん、よろしく」

がー、っと伝えるべきことを伝えきった佐々木先生は教卓の後ろの置かれてあった椅子に座って出席番号一番の女子生徒に目を向けていた。


「石岡東中から来ました、相川千里です、趣味は……」


俺もすぐに回ってくる、こればかりは毎年やってても鬱陶しいし、緊張するから廃止にしてほしいと心の底から願う行事の一つだ。自分がやるのも嫌だし、正直他人の自己紹介にも興味がない。


「次、五十嵐さん」

「石岡西中から来ました、五十嵐翔太です。去年までハンドボール部で副キャプテンやってましたが、高校ではなにか新しいことができたらな、と思います。一年間よろしくお願いします」


まだらな拍手に包まれて、僕は席に再び座った。まだ椅子には体温が残っていて、なんだか生ぬるくて気持ちが悪かった。

やることは終った、という安堵感に包まれながら僕は窓の外に目線を移した。春の日差しが教室に射している。僕はこの場所で三年間過ごしていかなくちゃいけないんだけどさ、どう思う? なんて太陽に語り掛けてみたくなるほどにはこの時間が退屈で仕方がなかった。

このまま窓の外を見ていると、そのうち飛んでくるのは佐々木先生の叱責だろう。そんなことを考えていた僕の鼓膜に、凛とした、それでいてなぜか声の主を知ってしまいたくなるような、そんな不思議な声が届いた。


「千石中から来ました、江坂兼人です。趣味は、散歩です。よろしくお願いします」


特別なことは何も言っていない。ただの、変哲もない自己紹介だ。むしろ簡素すぎるくらいなのに、それが妙に彼の雰囲気に合っていた。一番上まできっちり絞められたボタン、成長期だからと大きめのサイズを買い与えられたとは思えないほどぴったりの制服、切れ長な目を納めている黒縁眼鏡。なんというか、高貴な印象だった。


「千石中って、一貫校じゃ」

「スポーツで有名なとこだっけ?」

「なんで藤浦高校(うち)なんかに」


江坂、という名前の男子生徒のオーラというか、そんなものにかき消されていたが千石中といえばスポーツの名門校だ。目ざとい女子生徒は彼の出身校に疑問を持ち、いつの間にか仲良くなった生徒同士でこそこそと話しているのだろう。

そういえば千石中といえば、ハンドボールでも去年度の県代表に選ばれた学校だったな、と思い出しながらもう一度江坂に目線を移し。

中高一貫のスポーツ名門に通う奴がなんでこんな平凡な公立高校に進学したのか、そんなの僕たちに分かるはずがない。江坂だって知られたくないことかもしれないし、第一そんなめんどくさそうなことには関わりたくない。

退屈な自己紹介が、めんどくさいものを生み出すものになってしまった。僕はただ、早く言えに帰りたいな、とだけ考えてまた性懲りもなく窓の外を見ていた。


入学式から一週間もたてば、それなりに新しい環境に順応するものだ。僕も同じ中学だった信也と、信也と同じ塾だった亮と三人で行動するようになっていた。こいつらと特に気が合うわけではないが、嫌な奴でもないし、僕自身嫌いなわけでもないからこそこうやって一緒に移動教室をしたり、昼食をとったりしているわけだ。

信也は母親が作る弁当、亮はカロリーメイトやらウイダーインゼリーなんかをコンビニで買ってから登校するものだから、昼食は一人で購買に行く必要がある。両親が共働きであることに加え、母親の信条は「使えるものは使え」なので僕はありがたく学食や購買のパンで昼を凌いでいるというわけだ。

昼休みの購買は戦争、とまではいかないがそれなりに混雑するので比較的小柄な僕は人気商品に手が届かず断念する、というのを毎度繰り返している。いつかデラックスハンバーガーをこの手に! という野望を胸に抱きながら、校舎に戻るためのショートカットとして中庭えお横切ろうとした瞬間、いつもとは違う騒がしさが、何かを喚き散らしているような声が聞こえた。


「お前だろ、新入生の江坂って」

「こいつ、中学んときこんなだったか?」

「さぁ。俺は陸上やってないから知らねーよ」


上履きの色が赤い、ということは二年生だ。今年の一年生は青、二年生は赤、三年生は緑、三年生の色は次の一年生へ巡っていくのが藤浦高の伝統だ。赤い上履きが八足。計四人の先輩に囲まれているのは、見間違いでなければ同じクラスの江坂だ。


「こいつ、調子乗ってる千石中のエースとか言われてたやつなんだって。なんでうちにいんのか分かんねーけど、お前俺の最後の大会で優勝して全国行ってたよな」

「一昨年は全国大会に出場してますね、それが何か問題になるんですか?」

「ムカつく奴だな、おい。お前のせいで俺は全国行けなかったんだよ」

「そんなこと言われても」


丁度死角になる位置に大きめな木が生えてくれているおかげで、そこに身を隠しながら盗み聞きなんて趣味の悪いことをしてしまっている。なんかすっごく情けないような、そう思いながらも江坂のことを知ってみたいという感情が勝ってしまった。


「しかもお前、去年は大会さえでなかったらしいじゃねーか、しかもうちの陸上部にも入部しないとか」

江坂が凄い奴なのは、なんとなく腑に落ちた。だってこいつは最初から俺達とは違ったから、そりゃそうだよな、なんて暢気すぎる結論に至ってしまった。そして江坂が凄いのは十分に理解できたが、この先輩たちがやっていることは完全にいちゃもんという名のイビリだ。嫉妬、妬み、そういった類の感情が悪いわけじゃない。もちろん俺にだって覚えのある感情だ。でも、これは行き過ぎた行動だろう。


「なんでだよ、うちの陸上ナメてんのかよ」

「違います、もう俺は走りません。それだけです」

「は、なんだそれ」

「言葉の意味、そのままですよ。俺はもう走りません」

「は、はは。やっぱナメてんじゃねーかねーか。マジむかつくんだよ!」


一番激昂して江坂に詰め寄った上級生が、その拳を江坂の左頬に振り下ろした。その衝撃で眼鏡が地面に落とされて、かしゃん、という音を立てていた。

これはまずい。俺が居合わせているのもまずいけど、これ以上ことが大きくなるのは誰のためにもならない。

面倒ごとは嫌だ、巻き込まれたくない。

嫌だ、でも、ここで逃げたら僕は一生後悔する。多分。


「あーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!! 吉岡先生――――――――――――――――――――!!!!!探してたんですよーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」


「やべ、吉岡近くにいんの?」

「おい、早く逃げねーと」

「……わかってるさ」


入学から一週間もたてば、どの教師が恐れられているのかくらいは把握済みだ。野球部顧問、体育教師で生徒指導も担っている吉岡先生の名前を出しておけば間違いないだろう。安直な考えで、その場に居もしない吉岡先生の名前を大声で呼んでみたが効果は十分だったようだ。僕も卑怯かもしれないけれど、流石に上級生四人に立ち向かう度胸は持ち合わせていなかった。

「江坂君、えっと、大丈夫?」

先輩たちが立ち去った後も、ぼんやりとその場に立ち尽くし続けた江坂君に声をかけたが、クラスメイトとしてこれくらいは不自然ではないだろう。


「ありがとう、五十嵐君だっけ」

「翔太でいいよ、同じクラスなんだし」

「じゃあ俺のことも兼人でいいよ、変なとこ見せてごめんな」


兼人は地面に落ちた眼鏡を拾って、レンズに傷がついていないか光にかざしながら確認してる。その何でもない様子が様になるのは、彼が長身で、手足も長いからだろうか。


「じゃあ兼人って呼ぶよ。てかあれ全然兼人は悪くなくね? 謝る必要ないよ」

「そうかな、そうだといいんだけど」

「あーいうの、いちゃもんっていうの。眼鏡大丈夫そう?」

「傷もついてないし、まぁこれ伊達だから」

「そうなんだ」


なぜ伊達眼鏡を、と喉元まで出かかったが、きっとまだそこには触れてはいけないような気がした。


「さっきの、どうする? 先生に相談とか」

「いや、いいよ。翔太が助けてくれたし」

「僕、先生の名前叫んだだけなんだけど」

「でも実際助かったじゃん、あのままだったら二・三発はまだ殴られてたし」


兼人の左頬はまだ赤い。あと二・三発、なんて軽くいってのける彼は、高校生にも見えるし、なんだか僕よりも一段上の世界に居るような、そんなふうに見えた。


「兼人がそれでいいなら僕は何も見なかったことにする。でも相談くらいはのれるかもしんないし、同じクラスだし」

「ありがとう。じゃあお前は俺の友達な」

「なんか一方的。でもいいよ、友達、悪くないね」


僕と兼人は顔を突き合わせて笑った。兼人の方が十センチは身長が高いから、僕に合わせてくれていた。この日、僕らは友達になった。

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