第17話 綺麗なお兄さん

 今私の脳内には、犬のおまわりさんが大音量で流れていた。


 ハクとご飯屋さんに向けて歩き出したのだが、先に手紙の内容を見た方がいいだろうとひとまず端によけた。

 ハクが手紙を見ている間、5歳児の視線は低いなとか、ここがエラルドさんの言っていた火の国だろうかとか、大正時代あたりだろうかとか、本当に車が走ってる!とか、斬新な世界に感動していたら、いつの間にかハクが消えていた。


 驚いてあたりを見回すも、ハクはいない。

 波動でハクを探そうとするも、人の気配が多すぎてよくわからない。

 少し歩いてハクを探していたが、元の場所に戻ってそこで待っていた方がいいかもしれないと、踵を返せば誰かにぶつかってしまった。


「わっ、ごめんなさい!」


 慌てて謝り、一歩下がれば、そこにいたのは腰の曲がった、占い師のような格好をした老婆。

 大丈夫だろうかと下から見上げると、老婆と目があった。


「こちらの世界では、ちゃんと幸せになりなさい。心優しきお嬢さん」


「え……?」


 老婆のはずなのに、声はずいぶん若々しく、瞳の奥には、別の存在が見えたような気がした。

 怖くなり目を逸らす。

 またチラリと老婆がいるであろう足元を見れば、もうそこには誰もいなくなっていた。

 なんだ、今の。


 エラルドさんのような同郷という感じはしなかった。

 おそらく異人というわけでもなければ、ピアサでもない。

 ならば、なぜ私が飛ばされた異人だということが分かったのだろうか。

 私とあの老婆は初対面だ。なんで……。


 考えれば考えるほど怖くなり、足早に人混みを抜け、路地裏を通り、気づいたら川の近くまで来ていた。

 車も走っており、それなりに発展もしているのに、島にある川の雰囲気と大差なく、整備されているような様子もない。

 むしろ、島の川の方が綺麗かもしれない。

 心を落ち着けるように川に手を入れ深呼吸する。


 水の異能力が宿ってから、水に触れると安心するようになった。

 落ち着いたのであたりを見回すも、そこまで歩いたわけではないのに、川付近には人の気配は一切ない。そこにいるのは私1人だった。

 表通りにはあれだけの人がいるのにな……と考えてから気づいた。

 待てよ、ここは島じゃない。


 島には、ハルトネッヒさんの結界が張ってあるため、川に行っても何も問題はない。

 海が危ない理由は、砂浜までしか結界が張られていないからだ。

 あの時のピアサが砂浜に上がろうとしなかったのは、結界で上がれなかったからで、ここは、島の外だ。

 ピアサは水辺を好むから、島の外に出たときはあまり近づくな、とハルトネッヒさんに言われたことを思い出した。

 そこで気づく、この川に人がいないのは、ピアサが出るからじゃ……?


 川に触れたおかげで少し回復したので、早くここから表の通りに戻ろう、と来た道をまた少し歩いた途端、川から何かが飛び出してきた。

 振り返らなくとも感覚でわかった。

 ピアサだ。

 突然のことに心臓が凄まじい速さで動く。

 数十メートルほど後ろにいるピアサが動く気配も、話しかけてくる様子もない。


 振り返ろうにも振り返れず、このまま走って逃げるか?とも思ったが、私を追いかけて来たピアサが、表通りを歩く人たちを襲ったら大変だ。

 見たところ、ピアサを倒せるような人たちが歩いていた様子はない。

 村人と同じ、一般の人たちだ。

 ハクのような超人がいるならまた別だが……。

 ハクに会えれば……呼べばいいのでは……? 


 ピアサとの対面に驚愕しすぎて、冷静を装いつつも全く冷静ではないので忘れていたが、ハルトネッヒさんからもらった笛を握りしめていた自分に気がついた。

 そうだ、笛を吹こう、と笛も口元に持っていった瞬間、後ろで全く動かなかったピアサが獣のような声をあげた。


 吃驚し思わず振り返り、ピアサと目があったと思えばそのまま私に飛びかかって来た。

 自分の元に降ってくるピアサが、やけにスローモーションに見える中、急いで笛を吹こうとしたその刹那、ピアサが横に吹っ飛んだ。 

 私は驚き尻餅をつく。

 ピアサが飛んで行った方を見れば、私の前に白髪のお兄さんが音もなく降り立った。


 お兄さんは私を一瞥すると、ピアサに向き直った。

 一瞬目が合い、思わずその薄紫色の色素の薄い綺麗な瞳に吸い込まれそうになった。

 アルビノ、だろうか。

 白髪が太陽に反射して心なしかキラキラ輝いて見える。

 お兄さんに見惚れていれば、ピアサが咆哮を上げてこちらにまた飛びかかって来た。

 腹の底に響くほどの大声に思わず耳を塞ぐ。


 まつ毛まで真っ白なとても綺麗なお兄さんは、それに怯むこともなく、飛びかかって来たピアサの右腹にあった鱗光を、逆手に持っていた脇差で斬り割った。

 そして、流れるようにそのまま回し蹴りで川の方に蹴り飛ばした。

 バシャン!と水飛沫が上がり、ピアサが浮かぶ。

 ピアサはお腹から消え始め、そのまま泡になって消えた。


 一瞬のことに、すごい、と座ったまま川の方を見て感動していれば、お兄さんがこちらを見下ろしているのに気がついた。


「助けてくれて、ありがとうございました」


 思わず正座に座り直し、頭を下げる。

 よくよく見てみれば、お兄さんは中華服に近い民族衣装のようなものを着ていた。

 それも存在するのかと思いながら、そのまま顔を見る。

 じっと見つめるお兄さんとまた目があった。

 本当に綺麗な人だなぁ。


「……なんだ」


 綺麗だなぁと眺めていれば、お兄さんが無表情のまま口を開いた。

 流石に見過ぎな上に失礼だったかもしれない。


「すみません……綺麗だなって思って」


「……何が」


「お兄さんが」


 無表情でまた私を見つめるお兄さん。

 ふと思った。これじゃナンパじゃないか。

 綺麗なお姉さんに声をかける人と同じだ。

「何でそんなに見てるの?」

「君が綺麗だから、つい」みたいな。


 5歳児がお兄さんにすることではない!

 恥ずかしくなって来た。

 でも綺麗なのは事実なのだ。

 なんとなく顔をあげられず、正座のまま地面を見つめる。

 お兄さんからひしひしと視線を感じる。

 気まづい……!!


「名前は」


「え?」


「名前」


「……桜です」


 あまりの気まづさに、どうここを切り抜けようかと悩んでいれば、お兄さんに名前を聞かれた。

 地面から視線をお兄さんに向けるも、やはり無表情。

 ボソッと名乗ると、お兄さんは片膝をついて私の前にしゃがんだ。


「ノアだ。ついてこい」


 そういいお兄さんこと、ノアさんは、私の手を引き立ち上がらせた。

 少し驚いて一歩下がるも、お兄さんはそのまま私の手を握り、その手を引きながらどこかに向かって歩き出した。

 何を考えているのかわからないが、いやな波動もなく、私の歩幅に合わせて歩いてくれるお兄さん。

 見知らぬ人間だが、いいのだろうか……。


 だが、命の恩人のお兄さんを振り切って逃げるのも、なんだか失礼な気がして、お兄さんに手を引かれるがまま、ついて行くことにした。

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