第53話…「見知らぬ土地で見る見知ったモノは、テンションが上がると言わざるを得ない」
――――「トラシーユ領都・宿り木亭(昼間・晴れ)」――――
「あ~~…癒しが欲しい…」
アレッドは、そう言いながら寝転がったハティに抱き着き、そのふわふわとした体毛を堪能していた。
「何の不安材料もなくのんびりと過ごしたいだけなのに…。
なんで怒られなきゃいかんのか…」
アレッドは、他人の怒気の籠った声が嫌いだ。
ソレが自分に対して向けられた言葉じゃなかったとしても、その声を聴くだけで、自分が責め立てられているかのような気分になり、不安を抱く。
今世では、その性も治ったように思っていたが、戦闘状態でない時、素面の時に聞いてしまうと、どうも胸に突き刺さるモノがある。
「そりゃ~世間知らずなのは認めるけど~、何もあそこまで怒る事ないじゃ~ん」
思い出されるのは、昨日の解体所での出来事だ。
前世も含めて、久方ぶりのお叱りムードだったがために、一晩経った今でもズルズルと引きずっている。
「あっくんは、帰ってきてからずっとこの調子ね」
そんな傷心状態のアレッドを見ながら、アパタは口元に手を当て続けた。
アレッド達は、今、宿泊している宿り木亭の馬小屋に居た。
流石に宿の建物中にへハティを入れる訳にもいかないので、宿にいる間は馬小屋の一角を借りる事になっている。
「このあっちゃんも懐かしいな~。
そういう事もあるからって、ゲームでも野良パーティとか組みたがらなかったよね」
自分が何かをミスした時、怒られるのが嫌なのだ…、そんな言い訳をしながら、ファンラヴァで野良とパーティを組む事をアレッドは拒み続けた。
そしてその言い訳に嘘わない。
「く…、あの時も、家にペットの1匹や2匹いれば、癒してもらえたというのに…」
ソレも、両親が2人してアレルギー持ちで、片方は犬、片方は猫と、ペットのザ・ポピュラーをことごとく潰された。
1人暮らし部屋はペットが禁止で、シェアハウスになってからは、一応部屋を借りているという理由で、ペットを飼うという選択肢を、自分から排除していた。
だからこそ、今この瞬間、ハティに身を預けながら、今までできなかった分を合わせて癒されている。
このふわふわ空間の中にいると、嫌な気分など、どんどん和らいでいくものだから、アニマルセラピーの偉大さを感じずにはいられない。
もっと贅沢を言うのなら、頬の横を通る様に伸びた角のおかげで、この毛並みを直に頬で感じる事が出来ないのは、非常に残念だ。
カッコいい角も、こういう時ばかりは、娘の体とはいえ、邪魔だとしか思えなかった。
「気持ちはわからないでもないけど、あっくん、そろそろ行かないと、いつまで経っても用事が終わらないわよ?」
「むむむ…、それはそうなんだけど…」
動き気力が削がれるような気分だ。
人をダメにするようなクッションが前世には存在したが、このふわふわは、まさに人をダメにするソレに等しい効果を持っているに違いない。
ハティの息遣いや、心臓が脈打つ音が、存外に落ち着くのだ。
「いつまでもそうしていると、こちらにも考えがあるわ?」
考えとな?…とアレッドは首を捻る。
久方ぶりの、やる気の全消滅状態のアレッドはどうしても、この温もりを味わい続けたい……のだが…。
徐々にその夢見心地の空間が害されていく。
「・・・あつい・・・」
額や頬、服の中等々、徐々に体が汗ばみ、そのせいで服が…髪が…、ハティの体毛が、徐々にアレッドの肌へとへばりついて、感じる暑さを増大させる。
加えて、体の大きなハティは、体温も相応に高い子だ。
まだまだ暑いこの季節、そんなモノを感じて夢見心地でいられる訳がない。
「あっくんがいつまでもダラダラしているから、君にかけていた耐性付与の魔法を解除させてもらったわ」
「そ…そんなご無体な…、癒しのハティが、癒しじゃなくなってしまう…」
戦闘訓練を湖で毎日のように熟していたアレッド。
そのおかげで、今ではいくつかの戦闘向けのAスキルを習得していた。
領都への道のりの中、ナインザ達と出会うきっかけになったゴブリンに使ったスキルが、その習得したAスキルの1つだ。
しかし、生活に重宝したモノ、魔法に分類されるようなAスキルを、アレッドは中々習得できずにいた。
戦闘、剣術なり槍術なり、体を動かして扱う武術に分類されるモノは、その動きをマスターし、ソレを忠実に再現できるようになれば習得ができる。
しかし、魔法に分類されるようなAスキルは、特に魔力のコントロールを必要とし、まだまだ魔力初心者なアレッドは、習得が難攻していた。
そんな理由もあって、この夏の暑さに耐えうるべく、アパタにその耐性付与のAスキルをかけてもらっていたのだが…、それが解除されてはハティに抱き着くのはもう暑い。
誰が真夏に湯たんぽを抱えて眠りに落ちられるというのか。
「うぅ…、わかった…わかりました。
行きます…、起きます…。
だから意地悪せんといて~」
「ふふふ」
気だるげに、でも名残り惜しそうに、アレッドはハティから離れ、体に着いたハティの抜け毛を払い落しながら立ち上がる。
その間に、再びアパタにスキルを掛けてもらい、さっきまで感じていた不快な暑さが、体から消えていった。
『きゃんっ』
やらなければならない事とはいえ、気の向かない事にこれから踏み出そうとするアレッドは、思わずため息をしながら、肩を落としている。
そこへ、濃い茶色の丸い毛玉が幼さしかない鳴き声を上げながら、足元へとやって来た。
ランクの昇格試験の時、成り行きで助けた赤子のチーフフォレストウルフだ。
戻ってくる間は、回復薬で傷を塞いで一命を取り留めていたが、領都に着いてからは、アレッドの回復魔法で治療し、元気いっぱいに快復していた。
傷も無くなり、はしゃぎまわる毛玉を、今はハティに世話をさせている状態だ。
こちらの言葉を理解し行動できるハティが、ベビーシッターとしてこれまた優秀で、この毛玉は既に用を足すならトイレへ…というマナーをマスターしている…、それでも時折誤爆をする時もあるが…。
両者ともにアレッドの使役する魔物としての登録を終えており、その首には、ソレを証明する首輪が付けられている。
ハティはともかく、毛玉に関しては、首輪のせいで、使役魔物というより、ペットとしての印象が強い状態だ。
――――「トラシーユ領都・市場(昼間・晴れ)」――――
という訳で、アパタの策もあって、アレッド達は領都にある一番大きな市場にやって来た。
何をしに…というのは愚問だ。
精霊湖に入用なモノを徹底的に買い貯めるためである。
その主たるモノは、精霊湖で入手が難しい調味料類に野菜類、主食になる小麦粉、迷いの森の開拓に必要となる鉄製品、湖で待っている人達へのお見上げといったその他諸々類だ。
ついでに、お金を手に入れたという事で、お金の価値とか、相場の類の勉強を兼ねたのが、今回の買い出しだ。
「勉強かぁ~…」
買い出し自体は、市場を見て回れて、まだ見ぬ未知への邂逅に胸を躍らせる事ができるアレッドなのだが、そこに勉強という付加価値が追加されると、面倒…というアクセントが邪魔をする。
ただでさえ気だるげだったアレッドは、ソレもあってあからさまにテンションが低かった。
市場に来て、各々軍資金を持って別行動をしているからこそ、態度を表面化している…がしかし、そんな不機嫌も、市場で露店を回っていく度に薄れていく。
「おっちゃん、そこのニンニクとパプリカ、あとナスを5キロずつおくれッ。
あと、この辺で香辛料が売ってる場所があったら教えてほしい」
「お~お~、姉ちゃん、いっぱい買うねぇ。
大銀貨2枚と銀貨2枚に、大銅貨5枚だが、大銅貨はオマケして銀貨の方だけでいいぜ?
香辛料なら、市場の中間の十字路のとこ、あそこに専門の店が入った建物があるから、そこに行くとイイ。
まぁ、土地柄もあって、香辛料はどれも他より高いが、種類は馬鹿みたいに多いから、お目当てのモノが見つかるだろうさ」
「ありがと~」
一際アレッドのテンションを上げたのは、野菜等々、食べ物の並んだ一帯に入ってからだ。
別の世界に来たとは言え、ファンラヴァに加えて、そこに足りない分をアレッドの前世の世界のモノを流用して作られた世界、知らぬ土地だというのに、見知ったモノが多く並ぶ野菜区間は、否応なくアレッドを懐かしませ、テンションを上げさせた。
アイテムボックス内に既に入っている野菜も、今まで使って来た分を、まるで取り返すかの如く買い漁っていく。
「全ては恋のターメリックッ、・・・とコリアンダ~」
買い物は順調に進んでいく。
お目当ての香辛料の店も見つかって、ソレはもう大人買いだ。
大量買いでいつでもアレが作れると、むふふ…とご満悦な笑みを見せる。
だがしかし、残念な事に、市場を1周2周としたものの、米だけは…ライスだけは…、どこにも売っていなかった。
そのせいで、嬉しさも3割減といった所だが、コメが無くても、小麦粉があれば、食べ方は無限大だ…、まだまだ諦める時ではない…と、アレッドは自分に言い聞かせる。
食材を買い足し終わり、後はぶらぶらとしよう…という頃、市場を行き交う人混みの中、とある人物と目が合った。
昼間という事で、買い物客が多い中で…だ。
ハンターがクエストへ行っている時間帯が故に、無骨で荒々しく、物騒な雰囲気が消え、一般人が増えて、主婦などの女性が増えた事も、その目が合った理由の1つだろう。
というか、アレは誰だって目が行く。
アレッドの視線の先には、子供か…それとも小人種か…、背の低い人が人々の行き交う群れの中に立っていた。
その身を、魔法使いのようなローブで包んでいるくせに、その頭には、ギシギシの騎士が被るようなバケツヘルムを装備している。
一言で言って、その容姿は普通ではなかった、ヘンタイだ、人を見かけで判断するのは良くないが、そう思ってしまった。
そんな見た目の人間がいるのだ、いくら人の往来が多い場所にいても、目に付いてしょうがない。
しかも、自分が見られているような気がして、ちょっとした恐怖も感じる。
ここは何事も無かったかのように退散するのが吉…であろう。
アレッドは、自身の手に持った麻袋に、店で買った香辛料を入れていく…ように見せかけて、アイテムボックス内に収納していく。
アイテムボックスでモノを出し入れする姿は、なかなか人目に付いて問題が起きると考えた結果の策だったが、これはこれで悪くない。
ソレが済んだ所でひとつ、軽い深呼吸をする。
自分はあんな変な人とは知り合いではないし、目もあってはいない、たまたまそこに居合わせただけの赤の他人だ…、そう自分に言い聞かせて、何食わぬ顔でその場を後にする。
自意識過剰の産物だったのなら、アレッド自身の勘違いで済む。
その代わり、自分が自分を、自意識過剰な痛い人間…だと罵る事になるが、それは辛くとも別の話だ。
変な人に目を付けられた不安はあるが、娘は強い、変質者の1人や2人、襲ってきたとしても、別にどうという事はないし、負ける未来なんて想像できない。
だから大丈夫。
一応、自身のジョブを、すぐに逃げられるように、ナイトリーパーに変えておく。
街中で、戦闘等々問題を起こす事は論外、逃げに強いジョブにするのは当然だ。
ナイトリーパーは戦闘ジョブだし、この状態でなら一安心できる。
気分が落ち着いてきて早々に、アレッドは宿に戻りたい気持ちが強まっていく。
だからこそ、宿まで早く帰れるように、人混みを避けて路地へと入り、歩くスピードを速めた。
後は、スマホでヘレズと連絡を取り、先に帰るからアパタと一緒に帰ってきてくれ…と伝えるだけだ。
アレッドはポケットからスマホを取り出し、電話かメールか、思案する。
普通なら電話なのだが、市場にいる以上おいそれとスマホを出して操作も出来まい。
このスマホ、一応この世界には存在しないモノとして、ヘレズの関係者限定で持っている魔道具なのだ。
だから使っちゃいけない訳ではないが、見せびらかすモノでもない。
その事を、スマホを取り出した時に思い出して、何気なく周囲に人が居ないかを確認する。
たまたま入った路地は人気が少ない。
市場から離れ、遠くから聞こえてくる市場の賑わいもどんどんと小さくなっていく。
建物の間の道だからこそ、薄暗く、シン…と静まり返っていく場所…。
警戒の為に周囲を見ようとして、そんな余裕もなく、アレッドの眼は、一点に注がれた。
いつの間にか、自身の真横に、バケツヘルムのその人が立っていた。
少し揺れれば、その肩がアレッドにぶつかる程の距離だ。
戦闘ジョブを選択した状態の自分が、相手の気配に気付けなかった驚きに、思わず緊張からゴクリと喉を鳴らす。
バケツヘルムは、最初こそアレッドが手に持ったスマホを見ていたが、自身が見られている事に気付いたのか、すぐにアレッドの顔を見て、お互いの目と目が交差する。
小さい体…、背は低く、アレッドの肩にも届かない。
一見子供にも見えなくもないのだが、子供がアレッドの戦闘ジョブの警戒を搔い潜って、ここまで接近する事ができるだろうか。
答えは否である。
バケツヘルムから覗く目はしっかりと、アレッドの目を捉え、何かを探るかのような真剣な眼差しにすら見える…が、アレッドとしては、緊張が限界突破してしまっていた。
この世界で平静を保てる理由の1つとして、娘の体への絶対的な信頼がある。
ソレを抜けられて、アレッドはただただ恐怖した。
あの魔族領のドラゴンナイトは対処できたから戦えたけれど、ソレができなかった目の前の相手は無理だ。
救いがあるとすれば、相手からは敵意を感じないという所だろうか。
「・・・ッ!」
アレッドは意を決し、地面を蹴って走り出す。
「えッ!? ちょまッ!?」
相手は彼女の行動が予想外だったらしく、驚きのあまり声を上げるが、アレッドの心的状態は、ソレを全力で拒否していた。
ナイトリーパーでの全力の逃走。
相手は一瞬にして彼女を見失い、薄暗い路地に1人残され、アレッドは良いのか悪いのか、難なくその場を後にする事ができたのだった。
――――「トラシーユ領都・宿り木亭(夕焼け前・晴れ)」――――
「アレッド様ですね。
ご領主様が、あなたに会いたいと。
招待状も用意させていただきましたので、詳細はソレを見て確認ください。
より良い返事が帰ってくる事を願います」
宿に帰って来たアレッドを迎えたのは、スーツを決めた初老の男性だった。
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