第31話…「母は強し、敗北感をちょっぴり感じる娘」


――――「迷いの森(昼過ぎ・曇り)」――――


「な…何が…」


 クンツァは、自分の目の前で起きている出来事に対して、目を疑っていた。

 周りの者達…アパタとヨミアも等しく驚きの声を上げているが、恐らくそれは彼とは別の意味での驚きだろう。


 突然現れた獣人族の少女に肩を掴まれて、アレッドが痛みを訴えた。

 本格的な戦闘の訓練を行っているクンツァはわかる…、生半可な攻撃で、アレッドに痛みを与えられないという事を。

 そんな彼女が痛みを訴えたとあれば、驚きもするだろう。

 その相手が見た目だけなら、まだまだ幼さの残る女性…いっそ少女と言っていい者だというなら尚更だ。


 しかし、クンツァが驚いているのは、ソコではなかった。

 確かに、そのアレッドの訴えにも驚いたし、その獣人の存在も驚く理由の1つではある…が、やはり、彼の目が行く場所はそこではなく少女の方だ。


 決して女性として見てどうこう…の話ではない。

 Aスキル【計測の眼】を持つ彼だからこそ見えるモノだ。

 しかし、今彼が驚いているのは、見えるからこそ驚いているのではなく、見えるはずのモノが見えないからこそ驚いていた。


 アレッドに親しげに接しているからこそ、彼女が知り合いである事はわかる。

 精霊の知り合いであるなら、少女も精霊なのか…と彼は考えるが、目に見えている事を思えば、ソレは真逆の事が起こっているので、答えは否だ。


 精霊の、周囲の魔力の吸収も、そして放出も、人の何倍もの出入りがあり、その流れは激しくなる。

 少女にはソレが一切見えず、精霊としてもおかしい。

 言うなれば、ソレは死に体を見ているようなものだ。

 ソレは全くの無である。



「それでそれで?」


 獣人の少女は、グイグイッと顔をアレッドに近づけて、何なら、その頬の横に伸びている角に、自身の頬を擦りつける。


「僕ね。すっごい頑張ったよ? そう、頑張ったのさ? まぁまだちょっと残ってるんだけどね。それでももうゴールは見えてるし、休憩なしのぶっ続けでやってたから、ゴールが見えました記念で、こっちに来たの。来たんだよ?」


 少女の顔は、どこか悲し気だ。


「あっちゃんといっぱい遊びたいのを我慢して頑張ってさ。今日はその辺の報告をしに来たんだけど…。随分と楽しいそうな事になってるね」


 目が座り始め、アレッドを見る目が、そこそこ恨めし気である。


「落ち着け落ち着け、別に蔑ろにしてるつもりはないし、今回だって色々と立て込んでただけで、連絡があったらちゃんと対応してたよッ」


 アレッドは本心からそう言ったが、もし、戦闘中に連絡があったら、ソレを取れるかどうかは怪しい所だ。

 戦闘自体が速く終わったとしても、今回は、それ以外にも体が麻痺して動けない状態にもなった。

 そんな状態で連絡を受けたらと思うと、嘘を言っているようで、ほんのわずかに申し訳なさも感じる。


「連絡だとッ!? したに決まってるじゃんッ! 誰かの家に遊びに行く時に、遊びに行くよ…て連絡入れるのはマナーでしょッ!? ・・・いや待って。この世界はその全てが僕のモノだし、何なら家同然、つまり、この世界でどこに行くのも自由で、連絡不要って事か?」

「うんうん、でもウチの所に来る時は連絡を入れてほしいかな? 急に来られてもビックリするし。現に今、すっごいびっくりしてるからね」

「連絡したもんッ!」


 少女は、アレッドの背に抱き着き、しがみ付く。

 腕をアレッドの首に回し、足はその胴へ。


 アレッドは、周囲を一瞥する。

 何ともやりづらい状態だ。

 自身にしがみついている獣人が、どういう存在かわかっているからこそやりづらい。


 はぁ…とため息をつきながら、アレッドは自身の手にスマホを取り出す。

 普段はポケットの何処かしかに入れてあるのだが、アイテムボックスにしまっていたのだ。

 なんせイオラを尾行する間は、木の上を跳び回る形になるし、下手にポケットに入れていたら落としてしまうかもしれない…、それ辺の対策も込めてアイテムボックスに入れていた。

 ここなら、絶対に落とすという心配もないし、どこかにしまい忘れるという事も無い。


 ある意味で完璧なしまい場所だったわけだが…。


 携帯の画面には、何列にもわたって、着信の通知が並んでいる。


「確かに連絡はしてあったみたいだね」

「だから言ったじゃんか~。ちゃんと連絡したって」

「ウチが悪かった、ごめん。…んで…だ、降りてくれない? いい加減周りの視線が痛いから」


 クンツァやアパタ、ヨミアが、どこか心配そうに、こちらの様子を伺っている。

 何も心配はいらないのだが、そんな目で見られ続けるのは、悪い事をしているようで、アレッド自身も落ち着かなくなるというものだ。

 まぁ背の少女…いや獣人の体で姿を現しているこの世界の神様「ヘレズ」が、背中に引っ付いている訳だから、気が気でないのだが、別の意味でも気が気じゃない。

 首に回された腕から感じるこの獣らしいサラサラとした肌触り…、そして女性らしい柔らかさ…、コレはイイ…イイけども、良くない、良くないのだよ。

 アレッドは、そんな邪念を表に出さないように、必死に押さえ込んだ。


 ヘレズは、え~…とアレッドから離れるのを渋るが、何度か頼むと、渋々ながらも降りてくれた。


「ごめんな。そっちが言った通り、連絡はきてた」

「よいよい、僕っちは、器が広いでな。その言葉だけで許してあげよう」

「ありがと」


 連絡がつかなかった…と今の今まで怒っていた者の発言とは思えないが…、それをあえて口にする必要はあるまい。

 何より、肩を掴まれた時、アレッドは結構な痛みを覚えていた…。

 痛みがあるというのは、人として当然の感覚で、生きている…と実感できるモノではあるが、痛いのが好きな訳じゃない。

 誰が好き好んで自分を痛めつけようというのか。

 アレッドにそんな趣味はない。


「す~は~…。という訳でッ!! 僕ちゃん参上ですッ!」


 ヘレズは胸を張る。

 彼女が誰なのかを知っているのは、大蛇とハティを除いてアレッドとラピスだけ、なので声高らかに宣言されても、反応に困るというモノ。

 アレッドは、一応拍手だけを返した。

 ・・・とそこで気付く。

 こうしてヘレズと自身が会話している中、ラピスの声が聞こえなかったという事に。


 クンツァたちは、ヘレズがアレッドの知人であると、見た目からもすぐに分かったがために、話が終わるまで待機する構えを取ってくれているから、会話に割り込んでくる事はない…が、ラピスに関しては、彼女の性格を考えれば、それに限らない。

 なんなら、会話も何も無く抱き着いてもおかしくないはずだ。

 本体がいないから、この場合、アレッドの首に巻き付いている白蛇を、自身の代用として巻き付かせる形になるだろうが。


 何にしても、真っ先に反応するであろう存在が反応しないというのは、不安であり心配…、そして不気味だ。

 イオラの誘拐未遂があったばかりという事もあって、湖で何か問題でもあったんじゃないか…と勘ぐってしまう。


「ラピス姉さん?」


 アレッドは、自身の首に巻き付いた白蛇も、人差し指の腹で撫でながら、当人を呼んでみるが、反応はない。


「ん~?」


 何度かラピスとの会話を試みる中、ヘレズがこちらを訝しむ視線を送り始めた頃、声ではない何かが、聞こえたような気がした。

 ソレはゴゴゴッと聞こえるようであり、ザーーッというようにも聞こえる。

 最初は小さく、山の方で風に振られる木々の木の葉の音のようであったが、その音は次第に大きくなってきた。


 その何かの音に、その場の全員が気付き、どこからソレが聞こえてきたのかがわかった頃。

 アレッドが視線をその音がする方へと動かした矢先…。


『お母様ああぁぁーーーッ!!!』


 ラピスの、頭がガンガンッと大鐘を鳴らされているかのような大声がで響き渡り、クラッとアレッドがよろめいた直後、目の前を青い何かが通過していった。


「ぬぉッ!?」


 ソレは一直線にヘレズへと突撃し…。


「ぬあああぁぁぁーーーーッ!!!!?」


 彼方へと吹き飛ばすかの如く、ヘレズ共々、森の中へと突っ込んで行った。


「な…何事ですかッ!?」


 あまりの出来事に、傍観に徹していたヨミアが、我慢しきれずに声を上げる。


「・・・はぁ…全く」


 少々呆れ交じりに、アレッドはため息をついた。

 決してヨミアに対してではない。

 この状況を作ったモノに対して…だ。


 ヘレズを攫っていた方法のせいもあって、何があったかと言えば、その何か…が通った場所はびっしょりと水浸しになり、地面だけでなく、アレッド達も例にもれずに、その体を水で濡らしていた。

 頬にへばりつく己の髪を掻きながら、またため息が出る。


「姉さんて、あそこまでぶっ飛んでたかな…?」


 まさに電光石火の如く神が連れ去られた跡を見る。

 威厳のあるお姉さん風の事をしていても、一番はそっちか…と、アレッドはちょっとした敗北感を抱いた。


「あっちゃん様、今ラピス様の声で、お母様…と聞こえたのですが…、我々はここにいても良いのでしょうか?」


 緊張気味に硬い顔で、それでも真剣そのものの表情を携えたクンツァの頬を、たらりと冷や汗が一滴垂れ落ちる。


「我々は、この場から退散した方が…。気付かぬ内に無礼な事をしていませんでしたでしょうか?」


 クンツァは、何かを察しているらしい。

 この場で頭に直接声を飛ばす者は、ラピスしか存在しない。

 そんな彼女が、母と呼ぶ相手、これだけで誰だってその正体に気付く。

 もしかしたら…の可能性は確かにあるけれど、そんな小さい事はどうでもいい。

 人の目はより大きい方へいくモノだ。


 いち早くソレに気付いたクンツァと、彼の発言により、察しがついたアパタとヨミア、3人してみるみるうちに顔色が悪くなっていくのがわかる。

 青ざめていく。

 そんな畏まる相手ではないのだが…とアレッドは思うが、そんな事も言っていられないだろう。

 ソレが今の彼らの顔が証明している。


「大丈夫だよ。とにかくリラックスリラ~~ックス、ささ、皆深呼吸しよ。ひっひっふ~だよひっひっふ~」


 3人を落ち着かせようとしておいて、アレッド自身、何を言っているのだ…と、自分の口から出てくる言葉に困惑していた。

 彼女もまた、急に現れたヘレズの状態に、存外に混乱しているようだ。

 少なくとも、彼女に、他人を落ち着かせる余裕はないらしい。


『ゴホンッ!!』


 そこへ、ヘレズが申し訳なさそうに縮こまっているラピスを連れて戻ってくる。


「コレが構ってあげられなかった子の弊害というヤツなのか? ほんとごめん」


 ヘレズがぐったりとしながら頭を下げる。

 下げると言っても、力なく垂れると言った方がしっくりくるが。


『ごめんなさいお母様、会えるのはもう少し後だと思っていたので、心の準備ができていなくて…つい』

「別に怒ってはいないけど~。さすがの僕もアレには驚いたかな~って話?」


 あんなアニメ漫画みたいに、一瞬にして視界から消えていく経験、普通にあるはずもなく、ソレに驚くなというのは、神様でも無理があるらしい。


「ソレで、あっちゃん達はここで何をしてたん? 周りも仰々しい感じなんだが?」


 申し訳なさそうに、ラピスがアレッド達のずぶ濡れな体から、水分を取って乾燥させている最中、ヘレズは周囲を見ながら、疑問から眉をひそめる。


「それは…。かくかくしかじかで…」


 アレッドは、一応の経緯を、簡潔にヘレズに説明する。

 家作りから始まり、スライムの件の後にクンツァ達を保護、一緒に生活する中で魔族領の軍が湖とニアミス、イオラの誘拐未遂事件が発生し、今に至る…と。


「・・・にゃるほろにゃるほろ。僕が仕事を頑張っている間に、あっちゃんも存分にこの世界を満喫してくれているようで何よりだ」

「満喫…か。確かに、悠々自適な生活はできてるけど…。今回の件は完全に予想外だ」

「ふっふ~。急に現れてあっちゃんを驚かせようと思ったけど、なんかちょっとだけ抜けちゃったかな~」

「驚きはしたけどね」


 タイミングが悪い…と思いつつも、ソレを口にする事はない。

 何気ない日の農作業中に、しれっと作業員に紛れていた方が、気分よく驚けただろう。

 連絡してきているから、そう言った驚かせ方はできなかっただろうが…。

 何よりやはりタイミングであり、すれ違いの空気の悪さもあった。


「なんにせよ。僕の久々のあっちゃんとの遊びを邪魔してくれた罪は重いぜ~? ちょっと今からその軍を潰してくる…」

「やめろ、物騒だな」

「なんでさ? あっちゃんもカチコミ入れるつもりだったっしょ? やられたらやり返す、倍返しだッ!!…て」

「倍返しはさすがにオーバー過ぎ。ウチがこの世界でやりたい事が何か知ってるでしょ?」

「家づくり…でしょ? あと、無駄に命の奪う事もしたくない…て感じ」

「そう。今のヘレズを向かわせると、そのまま軍が壊滅しちゃいそうだ」

「さもありなん」


 当然…と言いたげにふんすと鼻息を荒くするヘレズに、アレッドは再びため息をつく。

 何せ、この世界の神様が直々に軍を滅すると言っているのだ…、反応に困るったらない。


「いつまでこっちにいられるの?」

「ん? 後は普段のノルマにプラスアルファを熟すだけでイイから、何なら晩御飯はここで…て事も出来なくはないよ?」

「そうか」


 ゴールが見えたと言ったが、まさかそこまでとは、アレッドも思っていなかった。


「まぁサッサと終わらせて、晩御飯どころか長期休暇に入ろうとしてたんだけど」


 チラッチラッとヘレズはアレッドを見る。

 つまりは、そうする予定だったけれど、本命としては、前者…晩御飯にこっちにきたい…との事だそうだ。


「なんだよ、そのキャラ付けは…。言いたい事はズバッと言うのが持ち味だろ」

「最近は素直になれない女の子にも、ちょっぴりだけ憧れてたりします」

「知らんよ」


 急に現れた時は、恐怖を感じなくもなかったが、その影はその姿を消す。

 いつもの自分が、どこかへ迷子、ヘレズの調子が乱高下しているのは、久々にアレッドにあえた事による興奮の表れだろう。


「とりあえず、軍を壊滅させるのはやめて、少し待ってて。イオラのお母さんを助けてくるから。その後でご飯を一緒に食べよう」

「やったなりッ!」

「えっ!?」


 アレッドの言葉に驚きの声を上げたのはクンツァだった。


「あっちゃん様、いくらあっちゃん様と言えど、数千の軍を相手にするというのは…。どうか我らも一緒に…」


 だからと言ってクンツァ達が来ても、彼らが危険な目にあうだけなのだが。

 ヨミアはともかく、クンツァとアパタの両名は、ヘレズのせいで緊張状態にあるものの、それでも目には力が籠っていた。


「別にいいんじゃね? あっちゃんの帰りをただ待ってるのもつまんないし。あっちゃんとこのボディビルをするスライムは気になるけど、こっちの方が面白そうだ」

「ゲームの戦闘イベントか何かと勘違いしてない?」

「いや全然? 僕は、あっちゃんの戦ってる姿が見たいだけ」

「出来れば穏便に済ませたいんだけど…」


 誘拐しようとしていた連中が、穏便に事を進めてくれるわけもない。


 反省の意味も込めて、ラピスにヨミアたちの護衛と共に、湖に帰ってもらい、アレッド、ヘレズ、クンツァにアパタの4名が、イオラの母親を助けに行く事となった。


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