第2話

 朝になる。俺は目を覚まし、身支度をして、朝食を食べてから登校する。いつも通り、同じような日常だ。


 だが、この日常も今日で最後になる事を俺は知っていた。今日、詩音さんは海外に向かって飛び立つ事になっている。つまりは明日から、俺は香音の世話係をする事になっていた。


「……ん?」


 私立蓬莱学園。それが俺達の通っている学園だ。比較的裕福な家系の子息が集まっている進学校の為、他校のような大きな問題も起きない、長閑な校風だった。


ヤンキー漫画に出てくるような不良生徒は基本的にいなかった。そもそも、ヤンキー漫画に出てくるような不良生徒が今でも存在しているのか? ……甚だ疑問でもあった。そういう連中はもはや絶滅危惧種になっているのではないか。よくわからんけど。

 群衆の騒めきが聞こえてきた。


「おはよう! 光貴!」


 後ろから肩に手を叩かれる。間違っても女ではない。ただの男だ。俺の友人の寺山颯太。ラノベで言うところの特別特徴のない友人キャラのような男だ。意外に情報通だったり、便利なところがある、って程度しか特徴のない。よくいるような平凡な友人だ。


「朝からしけた顔してるな? なんか嫌な事でもあったのか?」

「……別に。そんな事はないけどさ」


 明日から経験した事もない未知の生活が始める事になる。正直不安だ。その不安が表情に表れていたのかもしれない。人間は誰でもやった事のない事をする場合、不安を抱くものだ。


「見て見ろよ……。芳月香音だ」

「ん?」


 さっきから群衆がざわついていたのは香音が歩いていたからか。美しく長い髪をし、モデルのように整った体をしている香音は後ろ姿だけでも目を引いていた。


「綺麗だよなぁ……芳月香音。あのルックスで学業成績優秀な上に美術部のエース。その上に親は金持ち。文科系の部に所属しているのに、運動部が引き抜こうとしている位の運動神経の持ち主。神様って奴は不公平だよな。あんな天から何もかもを授かった人間がいるなんてよ」


 香音の本当の姿を知らない寺山はそう評していた。その評価は世間一般の人間が香音に対して抱いている評価だ。ごく限られた人間しか、本当の香音を知らないのだ。


「光貴! ……お前、あの芳月香音と幼馴染なんだろ?」


「……まあ、そうだけど。それがどうかしたのか?」


「羨ましいから妬ましく思ってるに決まってんだろうが! 前世でどんな徳を積んだらあの芳月香音と幼馴染として生まれてこれるんだよ! ちくしょう!」


「……別に。ただ幼馴染ってだけだ。最近は別に一緒に登校する事もないし、高校に進学してからは特別話す機会もなくなってきた……」


「本当か!? けどあれだろ。どうせ、小さい頃、一緒にお風呂に入ったり、お医者さんごっこしたり、そういう幼馴染としての定番イベントくらい、どうせあったんだろ!?」


「いや、ないない! そんな事全然、普通に公園で遊んだりしたくらいだって。それももう、今となればあんまり覚えてもない」


 本当のところ、一緒に入浴した事はあった。それでも小学校に入学するより前に数回程度だ。だが、その事を正直に話すとやっかまれて面倒な事になりそうなので、俺は黙っておく事にした。


「ふーん……そうか。けど芳月さんと幼馴染ってだけでも十分に羨ましい。俺と代わって欲しいくらいだ」


 幼馴染を代わるなんて無理な話だった。


「なぁ、光貴」


「なんだ?」


「いつも疑問に思ってたけど、芳月さん、付き合っている男とかいるのか?」


「わかんない……最近、あまりあいつと話をしていないからさ」


「……そうか。だろうな。お前とも付き合ってないだろうな?」


「付き合ってるわけないだろ……さっき言っただろうが、最近、あいつとはあまり話してないって」


 ――とはいえ。明日からは話さないわけにもいかないんだけどさ。香音の世話係を詩音さんから承ったんだ。仕事として。その際に何も会話をしないという事はありえない事だった。


「ふーん……そうか。それより知っているか? 光貴。この情報を」


「情報?」


「ああ……二年の真田先輩が芳月さんに告白するつもりらしい」


「真田先輩って……二年で一番人気がある男子生徒だろ」


「ああ……文武両道な上にイケメンで有名なあの真田先輩だ。常に学年一桁の順位をキープしているし、バスケ部ではエースとして活躍している。人望も厚く、このまま三年になれば学園の生徒会長に選ばれるのは確実視されている」


 その情報が本当だったとしたら内心穏やかではなかった。

 俺と香音との幼馴染としての関係が完全に終わってしまう。高校に入ってからは確かに付き合いも減ったが、男ができたとなればもはや今までのような関係ではいれない事だろう。


 だが、それも仕方のない事だった。香音が受け入れたとするならば、それに対して俺がどうこう言う資格などなかった。香音にとっては俺はただの幼馴染だ。恋人でも何でもない。だから、とやかく言う権利など俺には微塵もなかった。


「今日の放課後、真田先輩は芳月さんに告(こく)る、つもりみたいだ」


「……そうか」


「芳月さん、どうするかな? この告白」


「……わかんねぇよ。俺に聞かれても」


 平静を取り繕ったが、それでも俺も内心気が気ではなかった。そして、問題の放課後がやってくる。


 寺山の言っていた情報は本当だったようだ。真田先輩は香音に告白をしてきた。

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