三
高宮
千生はそういった日々が苦痛でたまらなかった。学校という、同調圧力―という語彙はまだ持たなかったが―が何よりも力を持つ社会から逃げ出したい、こんなところで終りたくない、と小学生ながら思っているような子供だった。しかし、どうすれば、そしてどこに、逃げ出せるというのだろうか?
市が主催する作文コンクールで、千生は最優秀賞を取り、講堂での発表会で全校生徒から万雷の拍手を受けた。大勢の人間から称賛を浴びるという悪魔的な魅力を、千生は初めて経験したのである。実に気分が高揚し、自分が別人になったような気持がした。
千生の文才は、おそらく母親の
姉の緑里はお転婆で、幼い頃は手のかかる子供だったが、千生は対照的に、あまり自分の要望を強く表明することのない、
同じ頃、明里の取引先の伝手で、高宮家は家族揃って、西武ドームで開催された当時誰もが知る超人気アイドルグループのコンサートを観ることが出来た。劇場で映画を観賞することとはまた違う、千生にとっては何もかもが初めての驚嘆すべきイベントだった。遥か遠くのステージを斜めから見下ろすようになった中央付近のスタジオ席からは、肉眼で観る演者たちは豆粒どころか米粒のような小ささで、表情などは全く判別のしようもない。ステージ脇に巨大スクリーンが設置され、舞台の一部始終が同時に写されていたが、千生は生のパフォーマンスにこだわって、それでも時々は細部が見たくて、モニターと演者たちを交互に慌ただしく首を振りながら見入っていた。
観客の生理をよく把握した、緩急ところを得たセットリスト、一糸乱れずに点灯する照明群、スモークやレーザーを使った多彩な演出、それらに助けられた、黄金色のド派手な衣装を纏った演者たちの観客を魅了する力強く熱いパフォーマンス。ライブにありがちの、低音ばかりがやたらと響き、始終ファンの歓声が騒音のように鳴っている、純粋に音楽を楽しめる環境とは言い難かったが、いつしか千生は、それらを含め、会場全てが一体となった異様な熱気に呑み込まれていった。
コンサートが終っても千生は興奮冷めやらず、放心状態だった。帰宅して床についてもその夜は寝つけないほど興奮していた。何か熱に浮かされたようだった。それから何日も余韻を反芻し、どうしてこんなに元気をもらったのだろうと考えていた。自分がステージに立って、あの夕刻の歓声に包まれてみることを妄想した。
そして千生は確信した。カラオケボックス通い、姉の芸能活動、作文の発表…。これまでバラバラだったパーツが、ひとつのパズルのピースのように繋がったと。
自分はアイドルになるために、これまで生きてきたのだ。――
その一方、千生にとってはまた、アイドルへの憧れは、不如意な小学校生活という現実からの逃避行の、漸く見つけた目的地でもあった。その行き先が何故アイドルなのかと問うのは、電撃にうたれたような千生にとってはあまりにも自明で自然なことだった。そもそも、強く惹かれてしまったことに、何か、格別な理由が必要なのだろうか。
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