しかし、芸能界への足掛かりを先に手にしたのは、千生いつきではなく姉の緑里みどりだった。千生を幼稚園に送り出せるようになり、カラオケボックスに通う頻度が大幅に減って少し経った日曜日、菜摘なつみは千生の世話を明里あさとに頼むと、緑里を連れて渋谷に出かけた。109の前で、菜摘ではなく緑里がスカウトマンに掴まったのは帰り道のことである。菜摘は断るつもりで、名刺だけ受け取って家に持ち帰ったのだが、意外にも明里が乗り気になった。

 「後日連絡するって取り敢えず言ったけど、バックれちゃおうかな」と、その晩ダイニングで夫と差し向いにハーブティーを飲んでいた菜摘は、口にしていたカップを卓上に置いてそう言った。眠る前に飲むにはカモミールティーはちょうどよい。

 子供を二人も生むと逞しくなってしまうのだろうか、「バックれる」なんて口にするような人間ではなかったのに、と明里は思いながら、「スカウトの人はどんなだった?」

 「誠実そうで、礼儀正しかった。腰が低くて、セールスマンみたい」

 「ちょっと名刺を貸して」と受け取ると、明里は席を外し、少しして二階の自室から戻ってきた。グーグルで軽く検索してきたようである。

 「大きくてしっかりした事務所みたいだね。評判も悪くない。ずいぶん、有名な子役がたくさんいるよ」と何人か名を挙げると、菜摘は少し驚いた。

 「もしかして、娘を芸能界にいれたかったりする?」

 「緑里は何て言ってたの?」

 「喜んで飛び上がってたよ。そのまま即決になりそうで、落ち着かせるのが大変だったんだから。慌てて話を打ち切って帰ってきた。もう焦っちゃった」

 「菜摘は反対なんだね」

 「明里は賛成なの?」

 カモミールティーを一口啜ると、カップを置いて口を開いた。

 「緑里が望むんだったら、させてみたらどうだろう? 本人がしたいことは叶えてあげようよ。元号が変って以来いろんなことがあった。…何時、足元が崩れるかもしれない、こんな世の中じゃない」

 言い終ると、柔らかな視線でじっと菜摘を見つめた。

 菜摘は、はっとしたように目を伏せた。

 二〇〇三年、東北の大震災の八年前で、コロナが猖獗しょうけつを極めるのもその更に先の話ではあったが、それでも、昭和の頃にはほぼ絶対的とも思われた価値観が通じない時代となり、何か世の中に劇的な変動が起きていることを日々感じるには、十分すぎる平成前半の時代を二人は日本人として生きていた。

 「僕らはやりたいように生きてきた。家も生まれ育った所も捨てたし、結婚する前に子供も持った。僕は就職した会社を飛び出して自営も始めた。お粗末な家族計画で君には随分思うに任せない人生だったろうね。迷惑をかけたけど、もうそろそろ大学院を再受験しても大丈夫だよ。だから…」

 よほどどちらかに問題でもなければ、家族計画に支障が生じるのは、夫婦双方の不注意である。菜摘はそのことで特に明里を責めていたりはしなかったが、夫は夫なりに、ずっと気にしていたのであろう。確かに、猛勉強し指導教授とも熱心にコネを作って合格していた大学院を、娘を身籠って諦めざるを得なかったのはそれなりにつらい経験ではあった。

 「わかった。明日もう一度、緑里とよく話してみる。覚悟を確かめたら、私もスカウトの人とよく話してみるわ」

 彼女とて、何が何でも娘の芸能活動に反対という、確固たる意志があるのではなかった。単純に、自分の人生と芸能界が結びつかず、自分とも家族とも、一切無縁なものだと思い込んでいただけだったのである。そういう意味では、菜摘もまだ、やや旧弊であったのかもしれない。

 「今日は千生と何してたの?」

 「カラオケ」

 「カラオケ?」菜摘は思わず噴き出した。

 明里も笑いながら「行きたい所はあるか? って訊ねたら、カラオケだって、千生のやつ。…ええ、父娘ふたりで行ってきましたよ、カラオケボックス。もうすっかり顔になってたね。千生を見たら『お久しぶりですね。お父さんですか』だって。君ら、どんだけ通ってたんだい」

 「また、フォークソングばかり歌ったんでしょう」

 「しっかり教育しないとね。君の十八番おはこばかり娘に唄われたら、ちょっと悔しいよ、四歳の子が尾崎亜美や、ちあきなおみなんて」、という明里の十八番は、かぐや姫や、さだまさしであった。キーが丁度いいのである。


 かように始まった緑里の芸能活動は、相当に順調だったと言えるだろう。些か身長は不足しているものの、緑里は手足がすらりと長く、モデル体型に近いと言えないこともなかった。元気がよく、陽気で物怖じしない性格も芸能界に向いていた。ジュニア雑誌のグラビアモデルを皮切りに、CM出演、テレビドラマや映画の端役、舞台やミュージカル出演と徐々に活動を広げ、民放早朝の帯番組で、大勢の一人ではあるがレギュラーメンバーとなるまでに至った。その流れで、アイドルグループの真似事をしてCDデビューを果たしたりもしたものである。フリルがひらひらしたオレンジのミニスカートの衣装は、緑里本人もかなり気に入ったようだった。

 ついぞ主演を張るという機会には恵まれなかったものの、引退する頃には、映像作品や舞台に起用されると、必ずよい役を貰うまでになっていた。カラオケで鍛えた音感や喉が、ミュージカル出演の際に役に立っていたことは言うまでもない。

 緑里の芸能活動期間は、千生が四歳から九歳までにあたる。テレビに映る姉を不思議な思いで眺めたり、出演する舞台を時々観に行くことはあったが、千生にとっては異世界の出来事のような感覚で、自分に関係があることだとは思っていなかった。姉が所属する芸能事務所も、千生に声をかけることはなかった。容姿はともかく極端な人見知りとマイペースぶりで、芸能界向きの人材とは判断されなかったのであろう。

 緑里が芸能界からの卒業を決めたのは、本格的な高校受験勉強を目前に控えた中学二年の時だったから、活動期間は五年弱と言ったところである。入試の合否にかかわらず、芸能界に戻るつもりは緑里になかった。何かトラブルに見舞われた訳ではなく、高宮夫妻が圧力をかけた訳でもなかった。緑里本人が、突然に言い出したことだった。

 ――その数年後、緑里が付属高校を経て、慶応大学に進学した頃、小学六年生だった千生は芸能界を引退した理由を緑里に訊ねたことがある。

 そのとき緑里は自室のパソコンでDVDを再生して映画を観ていた。「刑事ジョン・ブック目撃者」だった。

 「『見るべき程の事をば見つ』っていう感じかな」と振り返りもせずに緑里は言ったものだ。

 「私にも分るように言ってくれないかな」。この姉は、時々こうした衒学的なことを言っては妹を煙に巻こうとするのだった。

 「芸能界で、もう、したいことは全部できたから、未練はないってこと。古文で『平家物語』を習ったら千生も分るよ」

 主役を張ることがなかった自分には、これ以上の先はないという意味だったのか、それとも本当に、自分が目にすることが出来る芸能活動は全て見切ったと思ったのか、千生には分らなかった。

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