華やかな面立ちではあったが、極端に肩幅が狭く、ひどく華奢であった。その細い身体で首を支えているのが不思議に感じられるほどであった。背が特に低い訳ではないのに、そのせいか遠くから見ると、妙に覚束ない印象を与える少女だったが、いつも元気よく闊歩する様は、それだけで健気ですらあった。少女は高宮千生いつきといった。


 高宮明里あさと菜摘なつみの間には、近所では幼い頃から美人姉妹として知られた自慢の娘がいる。

 姉の緑里みどりであれ、妹の千生であれ、ひとめ見れば、その玲瓏れいろうたる瞳が放つ眼力めぢからの強さに圧倒され、魅了されぬ者はあるまいと思われた。それは高宮姉妹に共通の美点であった。

 緑里の瞳はやや大きく、特に、眸子ぼうしの面積が広いことが特色だった。全てを見通すような黒い瞳は鏡のように映ったものを反射し、時として、全世界に何かを訴えかけるように見る者の心をうった。

 他方、千生の目は三日月をふたつ上下に囲んでやや上向きにしたような形が美しく、切れ長なのを豊かな睫毛が更に印象づけていた。瞳は普段さほど大きい訳ではなかったが、時に見開き、異様に妖しい輝きを増すことがあった。眉は太くはないが力強く延び、眼力を増幅させた。人はその光を目のあたりにすると、心を激しく揺さぶられるのであった。

 千生は少し微笑んだだけで、えくぼがくっきりと頬に刻まれ、美少女ぶりを印象づけた。顔の輪郭は凹凸がなくすっきりしていて、少し丸みを帯びた鼻は、ちょうどいい大きさでバランスよく顔の中央に収まっている。瞳と同様に形のよい唇は、常ではないが、口角が微妙に上がって、聖母のような安心感を醸し出す時があった。

 しかし、写真ではそれらの魅力も甚だしく減じてしまうのであろうか。アイドルになることを夢見ていた千生は、中学生の頃から数多くの芸能オーディションに応募するも、一次の書類選考でねられることがあまりにも多かった。まったく、二次面接にすら進めないのであれば、勝負のしようもないというものだった。

 二〇一六年、現在十六歳、今年十七歳になる少女の、目下最大の悩みは、如何いかにして本命のオーディションの一次書類審査を突破するかということだった。――


 アイドルとは不思議な存在である。歌手であって歌手でなく、役者であって役者でなく、モデルであってモデルでなく、タレントであってタレントでない。どの分野で見事な活躍を見せようとも、「アイドルにしては」という言葉からは逃れられない、あくまで「アイドル」なのである。

 歌や芝居のスキルがあるに越したことはないが、絶対的に問われるものではない。容姿だっていいに越したことはないが、それも絶対的な条件ではない。

 要は、「推し」にしたいと思わせ、ファンを得る「何か」を持っていればよい。その「何か」とは、謂わば、人間としての存在を問われた末に獲得される、全人的なものである。ファンを得る「何か」とは、生き方なのだ。人はその生き方に輝きを見て、夢を受け取るのである。

 統計を取った訳ではないので強引な推量になるが、大抵の女性が一度は、アイドルに憧れ、自分もなってみたいと思ったことがあるのではないだろうか。そして、一時的な憧れに留まらず、想いを持続させた者が、アイドルになるべく行動を起してみるのだろう。

 

 千生にその種火が生じたのは何時だったか。

 ベビーカーに乗せられていた、まだ物心もつかぬ頃から、千生は菜摘のカラオケボックス通いに同行させられたことが頻繁にあった。

 緑里がやっと小学校に入り、幼稚園の送り迎えから解放されると思った矢先の一九九九年、アンゴルモアの大王が空から来る予定だった年の夏に、千生は生まれた。二人は六つ、齢の離れた姉妹である。乳幼児を抱えて健全に遊興できる場所が何処かないかと考えた末にカラオケボックスを思い浮かべたのは我ながら冴えていたと菜摘は思う。彼女には、とにかく息抜きが出来る場所が必要だった。

 明里が特に育児に理解のない旧弊な夫だったということはない。ワンオペの育児が、現代ほど問題にされていなかった時代の話である。

 大学の商学部を卒業した明里は、在学中に修得した公認会計士の資格を手に、比較的大きな会計事務所に就職した。しかし、四年ほども勤めると、税理士の資格を持つ同僚に誘われてそこを飛び出し、二人で会社を立ち上げた。実質は共同経営者だったが、名ばかりの社長に収まった、いや、弁舌巧みな同僚から押し付けられたという方が正しいだろう。彼は営業手腕に秀でて外回りが多く、実務に優れた明里は彼が取ってきた仕事を事務所で黙々とこなしていた。共同経営者の努力が実って受注件数は飛躍的に増え、新たに社員を雇用する必要が生じて、明里には更に従業員を管理する仕事も加わった。経営は軌道に乗ったが、より多忙な身となり、菜摘もその辺は呑み込んでいたから、あまり無理も言わなかった。

 緑里の下校を待って、ミニバンタイプの軽自動車に、姉妹と哺乳瓶やおむつを入れたベビーカーを載せると、菜摘は行きつけのカラオケボックスに走らせる。

 明里が新宿区の早稲田にある大学に通っていた頃、菜摘は小金井にある東京学芸大学で英文学を学んでいた。大学進学した二人が双方の通学に便利のよい中央線沿いに同棲するアパートを探し求め、吉祥寺に住むことを決めたのは一九八九年、平成元年のことである。五年後、卒業とほぼ同じタイミングの一九九三年に緑里が生まれても、そのまま同じアパートに住み続けたが、更に六年後、千生を身籠ったことが分かると、高宮夫婦はさすがに、もっと広い住居に移る必要を感じた。顧客の一人がそのことを知ると、格安の上に実に有難い支払条件で、小平にある一軒家を手放したがっている知り合いの話を、明里に持って来た。

 夫婦共用の自家用車は、その時一緒に、社用車の名目で購入したものである。


 明里と菜摘は高校を卒業するまで、福岡県との県境に位置する、肥後県のAという小さな市に住んでいた。県境を挟んだ隣のO市とセットになって炭鉱で一時的に栄えたが、O市を実質支配していた三井が廃坑を決めると一気に人口が激減して、現在はゴーストタウンと化してしまっている。かつてそこここに見られた炭鉱住宅長屋も、すべて姿を消した。炭鉱がなくなってしまえば、県外にまで名の知られたふるい遊園地と、赤子の頭ほどもある巨大な梨くらいしか取り柄のない町だった。

 二人の実家があったA市の海側は、天候に関係なく海水浴も出来ない汚い浜辺を通って耐え難い腐臭を漂わせた潮風が吹いて来る。更に雨の日には、地面まで降りてくるコークスの異臭がO市から漂い、重ねて気分を悪くさせた。棲む人間が汚い町を生むのか、異臭を放つ不潔な町がそれにふさわしい人間を生むのか、恐らく相互に依存しているのだろう、A市の出身者は、周囲の町からも悪評を戴いていたが、言葉遣いは汚く、やたらと他人に突っかかり、その上妙なプライドばかりが高くて意味不明なマウントをしきりと取りたがり、常に誰かれ構わず陰口を叩くか陥れようと企んでいる、そんな異様にクセが強くて下種げすとしか言いようのない人種で、A市はそんな人間を日常的に育んでいる町だった。うなれば、A市の人間は肥後県民の人間性を煮詰めたような、原液といった感がある。実際に住んだことのない人間は、中里介山の大河小説に出てくるお姫様のように、何も知らずにA市を含む肥後を無責任に褒めそやすが、二人にとっては地獄よりも尚、地獄のような地帯だった。家が近所で幼馴染だった二人は保育園から高校まで同じ学校に通い、高校の時に大学進学を口実にこの街を捨て去ろうと約束し、そして実行した。――


 東京に住むからには、一軒家を持とうなどという野心は捨てていた二人だった。よくてマンション、何なら公団住宅でも満足しようと思っていた。家族が不自由なく暮せるのであれば、居住形態がどうであれ関係ないではないか。それが、小平の家の話に心を動かされてしまったのは、一軒家に住んでいない家族を半端者はんぱものと見做すような、A市、いや、広く肥後県全体に蔓延まんえんしている実にくだらない偏見が、生まれて十八年も過ごしているうちに、我知らず、二人の心を蝕んでいたからなのだろう。まったく、一軒家に住んでいない家庭に対する肥後県人の謂れのない蔑みは、どこから生じるものだろうか。どんな土地でも当然のように一軒家を求め、他の居住形態を侮る肥後の人間は、到底、都会暮らしなど出来はしないだろう。そんな腐った性根は、いくら地獄から距離を置いても、どうしても消えない遺伝情報として二人の身体の中に残っていたらしい。いくら有り得ないような好条件といっても、東京都内に二十代の夫婦が一軒家を構えるのは、困難を伴わざるを得ない。それでも、二人は一軒家を持つという誘惑に克つことが出来なかった。ともかくも、こうして高宮夫妻は多少の無理を抱えながら、小平に中古とはいえ一軒家のマイホームを構えるに至った。


 初日こそ、菜摘はカラオケの大音量の中に乳児を置くことを躊躇ためらったが、ベビーカーの中で、スピーカーから流れる音楽を聴きながらキャッキャ、キャッキャと笑っている千生を見て安堵した。

 菜摘と緑里で一時間半から二時間ほども、交互にマイクを握っていると、束の間、菜摘は日常の鬱憤を忘れることが出来た。緑里にとっては、普段あまり与えられない清涼飲料水が飲み放題で、食べ放題のソフトクリームもあり、追加で頼んでくれるフライドポテトなどのおやつも魅力だった。菜摘の十八番おはこは、主に小学校から高校時代にかけて聴いていた70年代から80年代のヒット曲である。締めは、尾崎亜美の「オリビアを聴きながら」か、ちあきなおみの「喝采」だった。

 月に二、三度のカラオケボックス通いは、四年ほども続いただろうか。菜摘は日頃の鬱憤を発散し、緑里は懐かしい歌謡曲を覚えた。千生は不思議とぐずりもせずに、母と姉の楽しみを妨げることもなかったし、ベビーカーが不要となった終盤では、小さな両の掌でマイクを握り、ワーワーと歌うこともあった。カラオケボックスで繰り返し流れていた歌謡曲が、千生の心の裡に深く刻み付けられ、後にアイドルを夢見る萌芽となったことはまず疑いなかった。

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