第3話

 施設に帰り、シスターに帰宅のあいさつをしたが、その日の出来事は、彼女の耳には入っていないようだ。何かあれば、必ずシスターの部屋でお説教だ。声がかからなかったことに少しほっとした。もみの木に帰れば、僕らには仕事が待っている。庭掃除に、トイレ掃除。洗濯物の取り込みなど分担してやっている。仕事を済ませると、夕食までの時間があれば、宿題をやる。外へ出て遊ぶ時間など、ほとんどない。小学生になれば、たとえ一年生でも仕事が与えられる。ここはまるで、監獄のようだ。シスターは僕らのような親なしを育ててくれているが、とても厳しく、母親という存在とはほど遠い。


 夕食の時間も、例のお祈りがある。そして、食事が済むと、報告会だ。

「さあ、今日の学校でのことを聞かせてもらいます」

 シスターが言うと、一年の沙智と学、次に麻衣という順番で報告する。下級生は何も問題はなかったようだ。

「さあ、辰樹あなたはどうだったのかしら?」

 そう言われて、辰樹はビクンッと立ち上がった。何かあったのだろうか?

「今日、体育の時間に、僕の投げたボールが、クラスメイトの山瀬さんの顔に当たってしまいました」

「そのようですね。相手の方には謝罪の電話をしておきました。これからは気を付けるのですよ。このことはもういいでしょう。許してもらえたのですから」

 「はい、シスター。ありがとうございます」

 辰樹は深く頭を下げて席に着いた。こんな些細なことでも、学校から知らせてくるなんて……。

「太郎、あなたはどうでしたか?」

 報告するべきなのだろうか。なんて話したらいいのだろう?

「太郎、何かあったのですね」

「はい、シスター。今日、僕のクラスで榊原さんの財布がなくなりました」

「そう、あなたが関係しているわけではないのでしょう? 学校からは報告がなかったのですから」

「もちろんですとも。僕はまったく無関係です」

「ならば、あなたがここで話す必要はないのでは?」

「それがあるのです。担任教師が僕を疑ったのです」

 シスターはそれを聞いて、立ち上がろうしてまた、ぐらりと崩れるように席に着いた。軽くめまいを起こしたようだ。それまで黙って見ていた、給仕のおばさんが思わず駆け寄った。


「大丈夫です。ご心配なく」

 シスターは給仕の差し伸べる手を丁重に押し戻した。

「なんてことでしょう。教師ともあろうものが、罪のない者を疑うとは。太郎、もちろんあなたは本当に知らないのですよね?」

「はい、シスター。神に誓って」

「分かりました。このことは心配しなくてもいいですよ。辛かったでしょう? でも、明日には解決しますから」

 早百合の報告は、いつも通りの生活を送ったということだけだった。


 報告会が終わると、それぞれ自室に戻った。小さなバスルームが部屋にあって、いつでも入ることができる。今日はもう少しあとでシャワーを浴びよう。宿題も済ませていたので、僕は今日の出来事を日記につけた。

「五月二十五日 今日、朝一番に担任が、榊原さんの財布がなくなったという。犯人はクラスの中にいるのではないかと疑った。横峯はすぐ僕を見て、小遣いをもらえない奴が取ったんだと言った。僕はもちろん取っていないから、それを否定した。斎藤さんは、僕がそんなことをする人じゃないとみんなの前で言ってくれた……」

日記を書いているうちに、眠気に襲われ、これ以上書けなくなった。なんとか、ベッドにたどり着いて、布団にもぐりこんだ。今日はきっと、気疲れしたんだろう。


 草原に立つ少年が、どこかへ向かって走り出した。彼の向かった先は街だった。白い石造りの建物が通りに並んで建っている。店屋の立ち並ぶ広い表通りを抜けて、狭くて小さい店舗がひしめいている裏通りに入った。

「やあ、ヤマト。今日も蒼の草原に行っていたのかい?」

「ええ、あそこの風は特別に清らかですからね」

 ヤマトは、汚いひげ面でこげ茶色の髪の、まるで浮浪者のような男に愛想よく言った。その裏通りも抜けると、店はほとんどなく、長屋のような建物が見えてきた。そこは貧しい人々の住居区らしい。表の建物とは違い、土くれのような粗末な材質でできた長屋には、やはり粗末な服を着た人たちがいた。ヤマトの服装を見る限り、このあたりの人々とは身分が違うと思われる。それなのに彼らとも分け隔てなく言葉を交わす。


「シンシン。今日は顔色がいいようだね」

 ヤマトが話しかけたのは、幼い男の子だった。

「うん。今日はもう二回もご飯を食べたんだ」

 とにっこりほほえんだ。

「そうか、よかったね」


 彼らは相当貧しく、まともな食事をとることもままならないのだろう。ヤマトが顔を向けた方向には、高くそびえ建つ城があった。立派なその城を建てるために、国民から搾取した莫大なお金が想像できる。ここにいる貧しい人々に救いの手が差し伸べられることはないのだろうか?

「これから仕事かいね?」

 長屋の前にイスを置いて座っている、頭のぼさぼさな汚いなりのおばさんが話しかけてきた。ここにいる人たちもまた、髪の色はこげ茶色だ。ヤマトの髪は彼らと比べると美しかった。


「ええ、カリナさんとこの鎌の切れが悪いそうでね」

「そうかい。あたしらのはさみもちょいと見てくれんかね」

 その女は、服の仕立てを生業にしているらしく、きれいな生地を縫っていた。自分では着ることのない服なのだろう。

「ええ、いいですとも。あとで、取りに伺いますよ」

「あたしらが持っていくで」

「そうですか。助かります」

 ヤマトは長屋の一つの部屋に入った。そこはとてもシンプルなつくりで、家具はほとんどなく、粗末なベッドが奥にあり、仕事に使う道具と窯があった。彼は鍛冶屋らしい。

「さてと」

 彼はさっそく仕事にとりかかろうと、冷えた窯に火を入れて、鞴で風を送った。それから、預かっていた鎌の刃を柄から外した。


「ヤマト! 大変だ」

 そこへ飛び込んできたのは、さっきのシンシンと呼ばれた男の子だった。

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