5杯目 球場の空気
私はできるだけ、試合が始まる一時間前には球場に入るようにしている。選手の練習を見ながら弁当を食べ、つまみとカクテルを買いに行き、ゴミを捨てるついでに甘いものを求めて歩き出す。
三十分前になると大型ビジョンにスタメン発表が映し出されるため、美食の旅から帰還する。発表は先攻の相手チームから始まるため、ホームゲームなら少々遅れても聞き逃すことはない。「相手チーム、こういう布陣で来たのね。なるほど手強い」と思いながら、チケット半券を座席入口のスタッフに見せる。(座席を離れる際は半券を必ず持って行ってくださいね)
「監督は○○。かわって後攻のカープは――」
その瞬間を待ち望んでいた。
カンフーバットを握りしめ、大型ビジョンに熱い視線を送った。その年のキャッチコピーにちなんだ映像が流れてくる。かっこよくバットを振る選手の姿もあれば、変顔やお茶目な動きを披露する人もいる。仲の良いチームの雰囲気が伝わり、ほっこりする。
なお、遠征でほかの球場に行く際は、相手チームの仕様が目新しくて見入ってしまう。威勢の良い声に釣られ、「ゴー! ゴー! スワローズ!」と心の中で叫ぶときもある。敵の家でも口を濡らせではないけれど、楽しまなければ損。
だから、真っ赤に染まるマツダスタジアムへ乗り込む他球団ファンの皆さまに言いたい。そちらのチームが点を取っても、存分に喜んでください! 持参した傘を高々と上げたり、カンフーバットをバンバン叩いたりして良いからね!
私はビジターでも、カープのピンチに声援を送っていたし、何なら高らかに宮島さんを歌っていた。
宮島さんの神主が おみくじ引いて申すにはっ
今日もカープは かーちかーちかっちかち!
おぉー! わっしょいわっしょい!
おぉー! わっしょいわっしょい!
今日もカープは かーちかーちかっちかち!
バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ!
好きなアーティストのコンサートに行ったときと、同じノリだ。生歌に感動するように、球場で選手のプレーを間近に見るとテンションは急上昇する。選手の顔を一番近くで拝めるのはテレビ中継なのだが、同じ空間にいられる喜びの方が勝つ。
現地ならではの魅力は、〈空気が変わる〉こと。
点差が開きすぎると苦しいサッカーと違い、野球は流れで一気に逆転する。
逆境を覆せるのではないか。そんな淡い期待が球場に満ち、選手を後押しする光景を何度も見てきた。九回裏ツーアウトからの攻撃で、五点取ってサヨナラ勝ち。「今日は厳しいね。慧ちゃん、帰る?」と話していた母は、ピンク色に変身したスラィリーの登場に大はしゃぎ。赤いビックリマークの背番号を揺らし、涙目になっていた。
球場は何が起きるか分からない。だから、圧倒的な点差でも諦めて帰ることはできない。終電が迫っていない限り、てこでも動かんぞ! わしゃあ最後まで見届けるんじゃ!
とはいえ、一イニング十失点で先発が交代した試合も見てきた。二回表で試合が壊れたことを確信し、泣きたくなる日もあった。それでも、悔しさを堪えてグランドの選手の名を呼ぶのだ。
「頑張れ、きみの実力なら抑えられる。信じてるよ」
「大丈夫、ホームに走者を返さなければ良いんだから」
「みんなで繋いで。○○まで打席が回れば、奇跡が起きるかもしれない!」
ファンは十人目の選手とも呼ばれる。打席に立つことも守備することもないけれど、応援には力が宿る。チャンスが途絶えた溜め息も選手に伝わる。野球観戦に行くときは、温かい眼差しも忘れずに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます