第十四話「花曇り ーはなぐもりー」 (後編) ③

「…………はぁ」


 無駄に大きなめ息を吐いて、脳裏によぎった記憶を強引にかき消した。


(馬鹿みたいだ)


 あの時の俺も、わざわざ思い出しておっくうな気分になる今の俺も。


 仮にやり直せたところで、意味がない。意気地なしの俺には、あの悪夢を止めることなんざできやしないのだ。



 仇を殺すことすら、できなかったのだから。



(……仕事に戻るか)


 思考が悪循環に陥っている。これ以上、一人でいるのは不味いだろう。そうやって自分をかんできる程度には、大人になった。


 どやされながら仕事に取りかかれば、またいつもの軽薄男に戻れる。

 俺はきびすを返し、事務室へ向けて歩き出した。






   ***






「じゃあ、休憩に入りましょうか」

「ぶはぁー!」


 彩雲君が脱力し、畳に仰向けで寝そべる。

 早々にくつろぐ彩雲君に、黄林さんはお馴染みの柔らかな微笑みを向けた。


「まだ終わってないわよ。続きを楽しみにね」

「たまには早く終わっちゃえよ」

「そうねぇ。人を相手に教えるなら、そうすることも可能なのだけれど」

「あ? 何言ってんだ?」


(さり気なくあおられてるんだよ……)


 最近、授業後のお約束と化している、黄林さんのささやかな火遊びだ。

 お世辞にも頭が良いとは言えない彩雲君を、こうしてそれとなくからかうのだ。


 それを密かに楽しんでいる黄林さんは、やっぱり意地が悪い。


 もっとも、黄林さんからしてみれば、ただでさえ忙しい視察中に生徒二人を抱えた上に、一人は脱走の常習犯だ。少々意地悪になるのも無理はないかもしれない。


「少し休んだら戻ってくるから、お手洗い以外で部屋を出ないようにね」

「はい」

「彩雲君もよ?」

「へいへい」


 黄林さんはいつもの微笑みを携えたまま、いったん部屋を後にした。ちなみに部屋を出るなと言われるのは、ほぼ彩雲君へのけんせいだ。


 そうとは気付かず、今日も彩雲君はくされた顔を披露する。


「ったく、かったりぃな」

「でも、授業は真面目に受けてるよね」

「しゃーねーだろ。サボるとあいつ、すぐ爆音攻撃してくんだからよ」

「あはは、確かに」


 言い得て妙な表現に、思わず笑いが零れる。黄林さんの能力の詳細を知らされていない彩雲君からしたら、まさに爆音攻撃なのだろう。


(なんか、懐かしいな)


 ついこの前のことなのに、なんとも感慨深い気持ちになる。爆音攻撃を始めに受けたのは、最初の授業の時だ。

 もっとも、僕は彩雲君が突然叫び出した理由を教えてもらっただけで、お仕置きとしての爆音攻撃は一度も受けていないけど。



 東語の授業が始まってから、彩雲君とは幾度となく机を並べてきた。



 誰彼構わず牙をき出してくるので最初こそ近寄り難かったけど、今ではこうして何気ない会話をするまでになった。会話といってもその日にあったことや、食事の話といった、当たり障りのない話題ばかりだけど。


 それでも、少しは距離が縮んだと思う。

 なので、今日はちょっと踏み込んだ話を聞いてみることにした。


「ねぇ、彩雲君」

「あ?」


 改まった雰囲気を感じたのか、彩雲君がバッと若さ溢れる勢いで起き上がった。


 それだけのことでも、僕にはまぶしく見える。今でこそまともな生活のできる体だけど、生まれた時からずっと病気だった僕にとって、何も考えずに勢い良く起き上がるなんて夢のまた夢だった。


「……なんだよ。気持ち悪ぃな」


 彩雲君が、僕に変質者でも見るような目を向けてきた。羨望の眼差しを向けたつもりが、まさかの気持ち悪いである。


 地味にグサッときたけど、ひとまず気を取り直して本題に入った。


「彩雲君の本当の名前って、さかがみくも――」

「あぁ?」

「あ、ごめん。嫌だった?」


 苦笑しながら、睨みつける彩雲君をなだめる。


 ほぼ毎日のようににらまれているので、さすがにもう慣れたものの、後がいろいろ大変そうなので機嫌を損ねるのは避けたい。


「別に。名前からかわれんのがムカつくだけ」

「からかわないよ。話、続けても大丈夫?」

「……好きにすれば?」


(やった!)


 ゴーサインを貰えた。半ばやけくそっぽいけど、これは大きな進歩だ。


「じゃあ、由来とか聞いてもいいかな?」

「ゆらい?」

「どうして『雲』って名前が付けられたのかということだよ。名前の元になったものとか、きっかけとか聞いたことない?」

「知らねー。別にどーでもいーし」


 筆をすずりの上で所在無げに動かしている。本当にどうでもよさげだけど、少なくとも怒ったり気を悪くしたりしている様子はない。


(最初は怖かったけど、分かりやすいんだよな)


 分かりやすい人は親しみやすいし、余計なことを考えずに話せる。


 金色にも見える茶髪に鋭い目つきと、一見すると近寄り難いけど、人相が悪いだけで別に四六時中怒っているわけではない。


 嬉しい時は素直に喜ぶし、最近は怒られる鹿男くんを笑い飛ばす姿も見かけるようになった。もっとも、そういう時は大抵、彩雲君も一緒に怒られているけど。



 過去がどうであれ、根っこは裏表のない子供そのものだと思う。



「子供の名前の由来にする話とは思えないけど、妹から君の名前を聞いた時に、僕が連想したのは『雲り坂』だったよ」

「くもりざかぁ?」


(あ、ノッてくれた!)


かみしたすず鹿の短編小説で、記者の主人公がとある事件の真相を求めて『雲り坂』って坂を上り続けるだけの話なんだけど、上りきって雲海を見た主人公が――」

「キョーミねぇ」

「あ、ごめん」

「つうか、なんかキモ。お前陰キャかよ」

「小説について語っただけで陰キャなの!?」


 ひどい偏見だ。本の虫ならまだしも、陰キャ呼ばわりだなんて。しかも陽キャではないのは間違いないから、否定し辛いのがなんとも……。


「まぁ、『雲り坂』の原作はちゃんと読んだことないけどね」


 会話を続けるため、ここは笑顔で誤魔化しながら話をすり替えることにした。


「そのわりには詳しいじゃん」

「お父さんが舞台で演じていたから、大まかな内容を知ってるだけだよ」

「舞台?」

「うん。お父さん、俳優だったから」

「は!?」


 彩雲君の目が、分かりやすく見開かれた。全身も面白いくらいに前のめりになっている。やっぱり子供だ……とは、口が裂けても言えない。


 彩雲君ほど分かりやすい例はそうそうないけど、この話に持っていくと、みんな決まってこういう反応をする。


 そして、この後の反応も大体分かっている。


「それって、テレビに出てるってことか!?」

「いや、小さな劇団に所属していただけだよ」

「なんだ、つまんねーの」


(やっぱり、そうなるよね)


 実のところ、今でも俳優を続けているのかは定かではない。



 あの日以来、父が何をしているのか分からなくなったから。



「ハイユーって、やっぱ顔とか良いわけ? お前もキレーな顔してるし」

「いや、これは僕の顔じゃなくて……」

「は?」


 しまったと、思わず口をつぐむ。


 確か、僕が夜長姫と瓜二つだとは知らないはずだ。秘密主義の社のことだから、下手すると夜長姫の存在すら知らされていない可能性もある。


 彩雲君はあくまでも仮初の従者だ。だから他の民衆と同様に、社や巫女に関する情報は極力耳に入れないことになっている。

 それに僕自身も、この容姿に至った理由はまるで分からない。だったら、下手に説明するのは避けた方がいいのは明白だ。


 とはいえ、一度口にしてしまった言葉を無かったことにはできない。


「……似てないよ。僕、昔から母親似だって言われてきたし」

「ふーん」


 半ば強引に話をらす形になったけど、彩雲君はただあいづちを打つだけだった。話の流れで口にしただけで、僕の顔なんてどうでもいいのだろう。


 まぁ、実際には父親似だって言われ――――



『見てろよ、葉月』



(あれ?)


 思い返そうとして、違和感に気付いた。

 お父さんの顔が、黒く塗り潰されている。最近、時折見る夢のように。


 いや、でも、僕の顔は――――


「…………」




 おかしいな。


 僕、どんな顔してたっけ。




「――――おい」


 彩雲君の声がして、僕は我に返った。


 一目どころか一瞬で分かるほどに、彩雲君の顔は不機嫌そのものだった。


「なにボーッとしてんだよ」

「あ……あぁ、ごめん」

「そろそろ来んぞ」

「えっ?」


 耳をすましても、足音は全く聞こえない。

 首を傾げる僕の反応が不可解なのか、彩雲君が眉をひそめた。


「えって、わかんねーの? 足音すんじゃん」

「……ごめん、分からない」

「ジジイかよ」

「いや、年寄りじゃなくても、普通は分からないと思うよ……?」


 ようやく、足音らしき音が聞こえてきた。おそらく黄林さんだろう。


 どうやら彩雲君の耳は、その言動と同様に獣じみているらしい。どうりで、しょっちゅう見張りの目をかいくぐって抜け出しているわけだ。


「じゃあ、授業を再開しましょうか」


 黄林さんが入ってきて、たちまち授業の緊張感で身が締まる……はずだった。




『見てろよ葉月。ビッグになった俺を、しっかりその目に焼き付けておけ』




 また、黒く塗りつぶされた顔が浮かんできた。

 頭から追い払い、意識を授業へと集中させる。


「それじゃあ、さっきと同じぺえじの八行目――」


 黄林さんの口から、予習した内容がつむがれる。んでいて聞き取りやすい声なので、いつもすんなりと授業に入っていけるのだ。


 それなのに終始、黒く塗りつぶされた顔が、頭から離れなかった。

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