第十三話「花曇り ーはなぐもりー」 (前編) ②

「まだ本調子ではありませんけど、おかげさまですっかり良くなりました」

「よかったわ。でも、無理はしないようにね」

「はい。あの……皆さんには、本当にご迷惑をおかけしました」

「大丈夫だよ。馬鹿みたいに取り乱したのは花鶯だけだから」


 からからとこうさんが笑うと、当の本人が「なっ!?」と即座に反応した。


「実際そうだろ。侍女の静止も聞かずに、葉月の部屋に飛び込んだらしいじゃん」

「あ、あれは! 指導者として、容体を把握するのは当たり前でしょ。別に心配で気が気じゃなかったとか、そんなんじゃな――」

「さり気なく本心、口にしてますよ」


 僕の隣で、真顔のすみさんが淡々と事実を述べた。完全に逃げ場を失ったことで、今度は花鶯さんが林檎顔で撃沈した。


「花鶯さん……」


 感極まって、思わず名前を口にしていた。

 たちまち、顔を真っ赤にした花鶯さんににらまれてしまった。全然怖くないけど。


「ありがとうございます。心配してくれて」

「……当たり前でしょ、そんなの」


 それだけ言って、花鶯さんはぷいとそっぽを向いてしまった。

 顔を隠したつもりだろうけど、むしろ真っ赤になった耳をこちらにさらしてしまっている。本当に分かりやすい人だ。


「ところで、昼食はまだ?」


 おちさんがさらりと話題を変えた。相変わらずマイペースな人だ。


「そういや遅いな。今日の食事係って誰だ?」

「確か、はるさいうんだと聞いています」

「……ちょっと誰よ。よりによって、その馬鹿二人を一緒にしたのは」


 炭さんの発言に、真っ先に顔をしかめたのは花鶯さんだった。


(ていうか『馬鹿二人』なのか……)


 小春という人には、まだ会ったことがない。炭さんの従者で、いろいろあって数日前まで謹慎していたというのは知っているけど。


「馬鹿なのは同意ですが、小春は仕事のできる奴です。その辺は普段から抜かりないので、問題を起こしたのは彩雲の方かと」


 しかも、主人である炭さんにまで同意されている。顔も分からない小春という人に、ほんの少しだけ同情した。


「どうせまた逃げ出そうとしたんだろ。あいつりないからなぁ」

「まったくね。すぐに彩雲君と繋げるわ。場所と状況が分かり次第、近くの者に連れてくるよう指示するわね」

「よろしく頼むよ」


 集中するためだろう。黄林さんが、目と唇を静かに閉ざした。

 道具なしで場所を特定できる上に、他の人に直接伝達できるなんて本当に便利だ。元の世界のIT技術も裸足で逃げ出すレベルだと思う。


「…………」


 いつもと同じ光景だ。みんなが思い思いに話して、なんてことない時間を共有している。巫女であっても、外の人たちと何も変わらない。


(……よかった)


 元の世界では、僕が倒れる度に何かが壊れた。

 だからこそ、いつもと変わらないこの光景を前に、心の底から安堵している。




「それじゃあ、昼食が来るまでに本題を済ませるとしようか」




 虹さんの声が、一段と低くなった。いつもの飄々ひょうひょうとした立ち振る舞いから、巫女としてのげんしゅくたたずまいになる。


 冷淡な視線が、僕へと向いた。


「葉月、倒れる前に何があった? 分かる限り詳細に、偽りなく話せ」


 ちらりと向こう側の席へと視線を向ける。

 花鶯さんはうつむいていた。普段の気の強さからは想像できないほど、身をすくませている。さっきまで顔を赤くしていたのが嘘みたいだ。


 気の見過ぎが原因なら、指導者である花鶯さんが責められるのは間違いない。そう考えると、言葉にすることに少しだけ躊躇ためらいが生じた。


 もちろん、だからといって黙秘を貫くわけにはいかない。あの夜のことを思い返しながら、慎重に口を開いた。


「眠れなくて、庭で舞の練習をしていました。気を見ながら舞う練習です」

「あぁ。最近、お前がよくやってるやつだな」

「はい。ただ、その日は試しに気を一本切ってみました。上手くいったので、手応えを忘れない内にと思ってもう一本切ったら、急に知らない光景が見えて……」

「具体的には?」

「…………」


 言葉が詰まってしまった。

 どうにか答えようと、あの夜の記憶を辿たどる。


「……すみません。それが、はっきりと思い出せないんです。できれば二度と見たくないものだったことは、なんとなく覚えてるんですけど」

「その後はどうだ?」

「突然、頭に痛みが走って、体が熱くなりました。桜さんが来た途端、痛みも熱さも消えたんですけど、目の前が暗くなって、それで――」

「なるほどね」



 虹さんの声が、やけにめいりょうに響いた。



「要は、気の見過ぎによって、体に大きな負荷がかかったということか」

「はい、おそらく……」



(今、話をさえぎった?)



 目を合わせようとしたが、彼女の目線はすでに僕から外れていた。


「花鶯」


 花鶯さんの細い肩が小さく揺れる。

 その顔には怯えの色があるものの、視線は虹さんを真っ直ぐに見据えていた。


「日常的に気を見るよう指導していたな。確か、体を慣らすためだったか」

「……そうよ」

「あの!」


 声を振り絞り、半ば強引な形で会話に割り込んだ。虹さんの冷ややかな視線にひるみそうになったが、ぐっとこらえる。


「確かにそうですけど、けして見過ぎることのないようにと日頃から注意されていました。あの日は国の気を見たばかりだったのに、それを失念していました。倒れたのは、僕の自業自得です」

「だが、それを止められなかった花鶯にも責任はある。本来ならな」

「えぇ、その通り――――はっ?」



 花鶯さんの口から、おごそかな空気を台無しにする声が上がった。


 僕も声には出さずとも、同様に驚いていた。



「いくら体に負担がかかるとはいえ、気を見過ぎた程度で倒れるなんて前代未聞だ。だから今回に限っては、誰の責任も一切問わない」

「何言ってるの!!」


 今にも立ち上がりそうな勢いで、花鶯さんの怒鳴り声が上がった。


「私の指導不足で倒れたのは事実なのよ!? せんだつとして細心の注意を払うべきだった!! それなのに、なんの責任も問わないなんて……!」

「いいんだよ、今回は。よかったじゃん。処分されずに済んで」

「よくないわよ!! もし、あのまま目を覚まさなかったら……っ」


 最初は声を張り上げていたのに、次第に消え入るように小さくなっていく。離れているのに、震えた息遣いまで聞こえてきそうだ。


(花鶯さん……)


 最悪の事態を想像するも、記憶があいまいなので実感が沸かない。

 そもそも、なぜあんな風に倒れたのか、当事者である僕がよく分かっていない。花鶯さんは、もっと訳が分からないはずだ。


 それでも、責任感の強い彼女のことだ。食事の席にも、始めから責任を問われる覚悟をもってのぞんだのだろう。



 せっかくおとがめなしで終わりそうなのに、自らそれを否定してしまうほどに。



「葉月」


 少しの沈黙の後に、名前を呼ばれた。花鶯さんと目が合う。


「今回のことはお咎めなしになったとはいえ、私の管理不行き届きはまぎれもない事実。責任を逃れるつもりは一切ないわ。だから――――」


 花鶯さんが頭を下げた。こっちの息が一瞬止まってしまうほどに、深々と。


「ごめんなさい」


 気後れしている様子はじんもない。下げるべくして頭を下げるという、確固たる意志がうかがえる。ぜんとした彼女らしい謝罪だ。


「いえ、そんな。さっきも言ったとおり、あれは僕の自業自得で――」

「それじゃ私が納得できないの!!」

「あ、はい」


 いつもの短気な花鶯さんが戻ってきた。

 ついついほおが緩みそうになったので、改めて気を引き締める。


「それともう一つ。確か、あと二日は安静にしているよう言われたんですってね」

「はい。念のために様子見という感じですが」

「その間、気も一切見ないようにすること」

「え、ちょっと見るのも駄目ですか?」

「駄目よ」


(あの桜、好きなんだけどなぁ)


 実は、気を見るのは趣味も兼ねている。

 綺麗なものを見るのが、昔から好きなのだ。それだけに、ささやかな楽しみを制限されるのは精神的に割ときつい。


「気を見始めて間もない巫女が、お披露目の後に体調を崩すこと自体はめずらしくないわ。だけど、昏睡状態におちいるなんてことは今までなかった。だから――」

「いや、その必要はない」



 その後に続く言葉を、虹さんがさえぎった。



「今まで通りに気を見ればいい。特に制限をかける必要もない」

「何言って……それで倒れたんでしょう?」

「意味がないんだよ。避けたところで、またああなるからな」

「はぁ?」


 花鶯さんがとんきょうな声を上げた。

 当然だ。今までの話はなんだったのかと言われても仕方がない。


「先ほど前例がないと言ったが、あくまでも記録上でのことだ。私は、葉月と同じ経験をした者を知っている」

「え?」



(僕と、同じ……?)



「そんな話、初耳なんだけど」


 ここまで沈黙していた落葉さんから、疑問の声が上がった。


「気を見過ぎたことによる発作なんだろ? それって、俺たちが知らないのは不味い情報なんじゃないのか?」


 普段の口数は少ないけど、ここぞという時は遠慮なく主張する。


 彼のことはまだよく分からないけど、だるげに見えて、実は花鶯さんに負けず劣らず気が強いのではないかと密かに思っている。


「そうでもないさ」


 そして、やはり虹さんは揺るがない。予想のはんちゅうといった様子だ。


「葉月とは発作が起きた時の状況が違うし、そもそも話す理由がなかった。今回のことがあったから引き合いに出したまでだ」


 虹さんの顔には、くもり一つない。自分の発言に絶対の自信があるからこその余裕が、その話しぶりからかい見える。



 あの時と同じだ。先日、お披露目での顔出しを『大丈夫だ』と断言した時と。



「だからこそ、気を見るのを避けたところで何一つ意味がないことも、その発作の対処法があることも知っている」


 虹さんが手を叩き、部屋中に音を響かせる。

 ふすまが、ゆっくりと開いた。


(え……?)



 み深い黒髪が、視界に入ってきた。



「さ、桜さんっ?」


 今度は僕がとんきょうな声を上げてしまった。


 桜さんは襖を閉めると、ひざを立てた状態のまま進み、中央に正座した。膝で移動するのは、立ったまま巫女を見下ろすのが失礼に当たるからだ。


 そして、体をこちらへ向ける。

 切れ長の大きな瞳と、視線が交わった。ただ目が合っただけかと思いきや、視線を外そうとする様子は一向にない。


(もしかして、僕を見てる?)


 桜さんが、たたみに指をついてこうべを垂れる。再び顔を上げると、膝をすべらせながら、ゆっくりと僕の方へ近づいてきた。


 目の前で動きを止め、しとやかに正座をする。

 黒髪と大きな瞳が、僕の視界を支配した。


「えっと……」


 状況が全く読めない。

 さすがに説明してほしくて、逃げるように虹さんの方を見る。



「ご無礼、お許しください」



 返答をもらう前に、桜さんから声が上がった。

 両手が、桜さんの手でふわりと包まれる。その温かさに、心臓が大きく跳ねた。


「え、あの、桜さん?」

「葉月。その状態のまま、桜の気を見てみろ」

「え、今ですか?」

「いいから早く」

「わ、分かりました」


 半ば勢いに押されて、再び桜さんへと目を向けた。目をらしたい気持ちをこらえて、彼女の気を見ることだけに集中する。


(そういえば、桜さんの気は見たことないな)


 自我の強い人ほど、気の色は赤みをびる。

 桜さんの気は、さぞかし美しい赤みを帯びた桜色なのだろう。




 見たい。この目で――――。




 胸の内に小さな、それでいて確かな願望が沸き上がった。今朝の気まずさが、まるで嘘のようにかすんでいく。


 静かだ。心臓の音しか聞こえない。


 どんな桜を目にするのだろう。それを考えるだけで動悸が速くなっていくけど、病気で胸が苦しい時とは全然違う。息苦しいのに、心地良い。




 だけど、その静けさと心地良さは、次第に違和感へと変わっていった。




「…………あれ?」


 おかしい。あの幻想的な桜が、彼女の背後に広がる気配が一向にない。


「見えないか?」

「あ、はい」

「じゃあ、次はこの部屋にある全ての気を見てみろ。庭を見る時と同じように」

「虹!!」


 突然の大声に、反射的に肩がね上がった。

 花鶯さんが、今にもつかみかかりそうな形相で虹さんをにらんでいた。


「まだ病み上がりなのよ!? あんた一体――」

「黙ってろ」


 鋭くも落ち着いた一声が、あっけなく花鶯さんを黙らせた。


「ほら、葉月」

「あ、はい」


 虹さんにうながされるがまま、視線を桜さんからずらす。そして、庭を見る時と同様に、部屋全体を見つめ始めた。


 いつも以上に集中する。部屋にある桜の木を、全て目に焼き付けるつもりで。




「…………見えない」



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