二章「動国の花」

第八話「桜ふふむ ーさくらふふむー」①

 すだれを上げると、心地良い風がほおを撫でた。まさに小春日和といった感じだ。

 空模様も清々しい青だし、目の前には壮大な山々が広がっているけど、僕が見たのは空でも山でもなく、地面だった。


「どうしたの? 下なんか見て」

「本当に線路なんですね」

「『せんろ』? おうどうのこと?」

「あ、はい」


(しまった。この世界では『桜道』なんだった)


 桜道のことだと理解してもらえたのは、さくらさんの頭の回転が速いからだろう。


「それがどうかしたの?」

「なんていうか……本当にこの上を馬車が進んでるんだなぁって」

「そりゃそうでしょ。桜道なんだから」

「あはは、ですよね……」


 元の世界にも馬車鉄道というものがあったらしいけど、僕の中で線路と言えば電車だ。桜道のことは知識で知っていたとはいえ、やっぱり違和感をぬぐえない。


 とはいえ、巫女の専用ルートとして桜道が用意されているのは、旅をする上で、安全面でも機能面でも合理的だと思う。

 昔の馬車はぬかるみにはまったり、石につまづいて横転したりといろいろ大変だったらしい。前回、そういった事故がなかったのは運が良かったのだと思う。



 今朝、七国のやしろまちを巡る視察が始まった。



 約四、五か月かけて七国を一周する馬車旅だ。前に乗ったものより一回り大きな馬車が、桜道の上で七台連なっている。


 ざっくりと言ってしまえば、平安貴族が乗りそうな馬車だ。馬車と馬車の間には馬が二頭いて、馬車をひくと同時に、電車でいう連結部の役割を成している。


 巫女と従者の一組につき一台なのだから、ずいぶんと親切な話だと思う。

 もっとも、それは国を守る巫女たちの視察だからなのだろう。前回は縛られた上におんぼろ馬車だったので素直に嬉しい。


づきの世界では、桜道のことを『せんろ』というのね。何が通るの?」

「電車という巨大な乗り物です。横に長くて、軽く百人以上は乗れますよ」

「へぇ……まるで一つの建物ね」

「そう! そんな感じです!」

「馬どころか動物には引けないわね。どうやって動かすの?」

「うーん……静電気とか、分かります?」

「いいえ、知らないわ」


 電気と言っても通じないだろうとは思ったけど、やっぱり静電気も駄目だった。


「乾燥した時期に人とか金属に触れると、ビリッて痛みが走るあれです」

「……あぁ。雷様かみなりさまの悪戯ね」


 どうやら存在はしているらしい。なんか、民間伝承っぽいけど。


「雷様って、神様ですか?」

「えぇ。暗闇だとまれに雷に似たような光が見えることから、そう呼ばれているわ。雷様というのは雷の別称でもあるしね」

「雷も神様扱いなんですね」

「よく分からない現象は、神様や妖怪のせいにされるのが世の常よ」

「……神様や妖怪にとっては世知辛いですね」

「むしろありがたいんじゃない? 信仰がないと存在できないんだから」

「あ、そっか」


 神様や妖怪は悪戯好きとはよく言うけど、案外生きるために必死に道化を演じているだけかもしれない。現実の道化師ピエロだって、生きるために笑いを取るのだから。


(そういえば、僕も初めて会った時、道化師みたいって桜さんに言われたっけ)


 そんな道化師みたいな僕が、神のように崇められる巫女になったというのは、ある意味とうなのかもしれない。


「それで、雷が乗り物を動かしているの?」

「まぁ……そんな感じです」

「不思議なものね。巫女の力でも、百人をいっぺんに移動させるなんて聞いたことないわ。皆殺しにするなら話は別だけど」

「怖いこと言わないでくださいよ……」


 この世界の人が電車を見たら、一体どんな反応をするんだろう。生き物にでも見えるのだろうか。それこそ『鬼』とか『神様』だと大騒ぎするのかもしれない。

 冷静な桜さんでも、大口を開けてひっくり返ったりするのだろうか。全く想像できないだけに、ちょっと見てみたい気がする。



「それにしても、この馬車……歩いてるのと変わらないですね」



 実は、さっきからそれも気になっていた。


 馬車の揺れで体中を打ち付ける経験をした上に、数か月の長旅というから体調を崩さないか心配していたのだけど、驚くほど揺れない。

 桜道の上を進んでいるのもあるだろうけど、それ以上に速度が遅いからだろう。これは下手すると、早足で歩いた方が速いかもしれない。


「馬車って、前に乗ったやつみたいに走る印象が強いんですけど」

「馬車を走らせるなんて緊急事態の時くらいよ。馬が潰れてしまうもの。そもそも、七台分の馬車が連なっている時点で、あんな風に走らせるなんて不可能よ」

「ですよね……」


 ちょっと遅すぎる気がするけど、前回の馬車で苦い経験をしたばかりの身だ。派手に飛ばされるよりはずっと良い。

 それを差し引いても、乗せているのは巫女なのだ。乱暴な運転をしていいはずがないと、今さらながら気が付いた。


「もうすぐ着くわね。ほら、見て」

「あ、ほんとだ。赤い建物がありますね」



 ずっと山ばかりだったところに、一際目立つ建物が見えてきた。黒い瓦が敷き詰められた屋根に、真紅に染められた木造の屋敷だ。



「あれが駅よ」

「なんか、やしろにそっくりというか、一回り小さくしたみたいですね」

「ある意味、社ね。巫女にとっては離宮みたいなものだから。田舎に住んでいる人間にも、社がこういうものだって示す必要があるしね」

「あぁ、なるほど」

「それに、一目で神聖な区域だと分かるようにすることで、空き巣防止にもなっているのよ。もっとも、実行する輩もごくまれにいるけどね」

「凄い度胸というか……よっぽどこんきゅうしていたんでしょうね」

「それなら普通に金持ちの屋敷を狙った方が早いわ。わざわざ駅に忍び込む奴なんて、好奇心丸出しのいかれた馬鹿しかいないわよ」

「うわぁ……」


 どこの世界にも、刺激欲しさに犯罪に手を染める人がいるらしい。


 程なくして、馬車が駅の前で止まった。

 遠目からでも目立つ建物だが、目の前にあると圧巻だ。存在感が半端ない。


 いよいよ駅に入るのかと緊張してきたが、すだれが上がる様子は一向にない。


ずいぶんと時間かかってますね」

「馬を退かしているのよ。このままだと邪魔で降りられないでしょう?」

「確かに」


 この馬車は西洋のものとは違って、前後から乗り降りする。平安時代の牛車ぎっしゃが、一番近いのではないかと思う。


「それに、前の馬車に乗っている者から降りていくから、もう少し待たないと」

「あ、乗った時と同じですね」


 僕たちの馬車は最後尾だ。この順番は、視察で回る国の順番に相応する。



「葉月様」



 いつもより一段と低い声がして、僕は思わず彼女の方を見た。


 桜さんが真顔で、じっと僕を見つめている。

 桜さんだけど、桜さんじゃない。まるで別人みたいだ。彼女がまとう空気まで、急に鋭くなったような気がする。


「あなた様はつきのくにの巫子で、私はしもべです。そのことを、ゆめゆめお忘れなきよう」

「え? あ、えと……はい」

「……ぷっ」



 桜さんが、小さく笑い出した。


 穴を開けた風船のように、張り詰めていた彼女の表情が一気に和らいだ。 



「緊張しすぎ」

「すみません……」

「まだ慣れないのね。社の者たちからは、散々敬語で話しかけられてるのに」

「そりゃそうですよ。まだ三日目ですし」


 それに昨日は桜さんが忙しくて、あまり顔を合わせられなかった。だから、従者としての彼女を見るのは今が初めてだ。


「でも、今言ったことは冗談じゃないからね。早く慣れてしまいなさい」

「肝に銘じます」


 これからは、従者の桜さんとも接するのだ。

 そう実感して、改めて自分が巫女になったのだと突き付けられた気がした。自分で選んだとはいえ、なんだか少し寂しい。


(いやいや! 何をネガティブなことを!!)


「それと葉月」

「はい」

「たまにそうやって変な動きをすることがあるから、気を付けた方がいいわよ。正直、挙動不審でしかないから」

「え……あ、はい」


 一瞬なんのことかと思ったけど、頭をぶんぶんと振っていたのだと気付いて顔が熱くなった。こういうところも、桜さんに道化師と言われる所以ゆえんなのだろう。


「失礼致します」


 外から声をかけられた。この馬車の御者ぎょしゃだ。

 すだれが上がり、外の空気と暖かな日差しが馬車の中に入り込む。降りようとした僕を、桜さんが手でさり気なく制した。


(あ、そうだった)


 馬車の乗り降りには作法があって、乗る時は身分の高い者から、降りる時は低い者からとなっている。その作法にのっとり、桜さんが先に降りた。


「どうぞ」



 桜さんが、手を伸ばしてきた。お手をどうぞというやつだ。



「え、え!?」

「馬車に乗る時、着物のすそを踏んで転びそうになったでしょう?」

「あ……」


 どうやら他意はないようだ。変な勘違いをしてしまった自分が恥ずかしい。


「あ、ありがとうございます」


 おずおずと手を出し、桜さんに差し出す。


 僕の手を取るその仕草は、もはや王子様といっても差しつかえない。

 しかも桜さんがやけに様になっているからか、不思議と悪い気がしない。もう自分が男なのか分からなくなりそうだ。


(まぁ――)


「『別にいいか』?」

「!?」

「あら、図星ですか?」



 驚きのあまり、声すら出なかった。


 反射的に、声のした方を見る。



「月国の巫子さまでございますね。お初にお目にかかります。従者としてけいさまにお仕えしている、と申します」


 一目見て、愛くるしい少女だと思った。

 花のような笑顔を携え、静かにたたずむその姿は一見優しげだが、愛らしさが極まって小悪魔のようにすら見える。


 桜さんと同じ女性の従者みたいだし、平安女性の旅装束のような着物も同じだけど、その印象は大きく異なった。


 桃色の着物はひかえめながらも女性らしく華やかな花柄で、彩雲君並みに明るい栗毛を少し複雑に結っていて、お洒落に気を使っているのがうかがえる。桜さんは身だしなみに気を使うけど、どこまでも機能的だ。


 服装だけじゃない。顔つきも、顔立ちも、桜さんとは実に対照的だった。


すももが二つで『李々』でございます。以後、お見知りおきを。葉月さま」

「あ、はい……」


 愛らしい容姿に見合う、綿菓子のようにふわふわした甘い声だ。甘すぎて、ずっと聞いていたら眩暈めまいがしてきそうだ。


「あなたがうわさの『夜長もどき』ですよね。本当にまぁ……あの人の皮でもいで、被っておられるかのようですねぇ」

「あはは……」


 愛らしい猫なで声とは裏腹に、なんとも物騒な言葉を投げかけられた。前にも聞いた言葉を前に、苦笑するよりほかない。


「それなのに、雰囲気はまるで別人ですねぇ。髪が短いからでしょうか?」

「言葉を慎みなさい」



 甘い音色を、桜さんの凛とした声が断ち切る。



 だけど、どこか違和感があった。鋭いながらも、その声には親しみが含まれていたのだ。かくするというよりは、たしなめるような。


「だったら頭を撫でて!」

「お断りよ」


(ん……?)


「じゃ、じゃあせめて抱きしめさせて!」

「まずはその口を閉じなさい。巫子の手前よ」

「うぅ……」

「全く、大した度胸ね。新顔とはいえ、巫子相手だというのに」

「大したことはしてないよ。李々はただ、桜ちゃんの手を取った腹いせにちょっと小馬鹿にして差し上げただけだもの!」

「聞かなかったことにするわ。不敬罪だから」


 李々さんの愛らしくも妖しい雰囲気が、一瞬にしてかしましい少女へとなり下がった。悪魔から人間というくらいの、凄まじい変化ぶりだ。

 桜さんも従者の仮面を外している。しかも心なしか、いつもより毒が混じっている気さえする。気心の知れた相手なのだろう。


「あの……」


 このまま空気になるのは寂しいので、とりあえず声をかけた。

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