第六話「花筵 ーはなむしろー」 (前編) ③

 すみひめが特に平穏を噛みしめることもなく、速攻で質問タイムに移してしまった。巫女という生き物は、荒事に慣れているのだろうか。


「連れていくよ」

「でしょうね」


 虹姫の簡潔な返答に、炭姫は驚いた様子もなくあいづちを打った。質問というよりは、確認のためだったのだろう。


 そんな中で「ちょっと」と声を張り上げたのは、花鶯姫だった。


「虹、嘘でしょう……? あいつを視察に連れていくって、本気で言ってるの?」


 声をわなわなと震わせている。動揺がうかがえる、花鶯姫らしくない声色だ。

 対して、虹姫の様子に変わりはない。声を震わす花鶯姫との差からか、平常心を通り越して冷淡にすら見えてくる。


「子供を置いてくわけにはいかないだろ? そもそも、ここは黄林の国だし」

「寺に預けるなり里子に出すなりすればいいじゃない。巫女の視察に、部外者を関わらせるのはご法度はっと。一般人でも知ってることでしょう?」

「部外者じゃないよ、あいつは。かりそめではあるが、私の従者にしたからな」

「馬鹿なこと言わないで!! 犬や猫じゃないのよ!? しかも従者なんて!!」


 花鶯姫が怒鳴り声を上げた。さっきのじゃれ合いとは違う、本気の声だ。


(それはそうだ……)


 花鶯姫の主張は、少しも間違っていない。

 視察は、誰これ構わず関わらせていいものではない。巫女になったばかりの僕でも、それくらいは分かるのだから。


「部外者じゃないんだよ」


 だけど、虹姫は全くひるまないどころか、もう一度念を押すように言った。


「あいつのあの恰好、時々出てくる耳慣れない言葉、しかも巫女や社を知らない。誰かさんと同じだと思わないか?」



 視線が、一瞬にして僕へと集中する。思わず身構えてしまった。



「葉月。彩雲を見て何か気付いたみたいだったけど、知り合い?」


 おちゃらけていたようで、会議での僕の動向にちゃんと目をやっていたらしい。


「いえ。ただ……僕の世界にある服を着ていたので、驚きました」

「やっぱりね」


 それに、あれは多分、母校である中学校の制服だ。一見するとよくある学ランだけど、えりの校章に見覚えがある。


「なるほど」


 ふと、炭姫が声を上げた。


「つまり、あの子供も葉月さんと同じ、異世界から来た人間ということですか」

「そういうこと」


 落葉殿が「めずらしいな」と目を丸めた。

 そういう分かりやすい表情もするんだと、少し驚いた。初対面の時の、だるげな雰囲気が印象的だったから。


「自称異世界人が現れるのは時々あるみたいだけど……同時期に二人なんて初めて聞いた。あいつもくろさまに選ばれたの?」

「ないな。初日に暴れて作った擦り傷、残ってるし。何より、あいつの感覚は凡人そのものだ。人ならざる力を持っている気配もない」

「つまり、葉月君がこちらに来たことと、何か繋がりがあるかもしれない。だから、それの調査も兼ねて連れていく……そういうこと?」


 黄林姫の非常に分かりやすいまとめに、虹姫が「その通り」と同意する。


「別に、あいつに何かさせるつもりはない。せいぜい、何があったかを話してもらうくらいだ。ついでに社会勉強もさせてやれば一石二鳥だろ?」

「だけど、あの子は巫女じゃない」


 まとまりかけた話の腰を折る強い口調だけど、怒鳴り声ではなかった。

 みんなと同じように、花鶯姫へと目を向ける。



(え……?)



「確かに異常よ。黒湖で『あんな気』が生じて、それが人になって異世界から来たなんて言い出して。しかも同じ時期にもう一人、それも同じ世界から来るなんて」


 蛍姫に背筋を伸ばせとしっした彼女が、うつむいて、唇を噛みしめていた。どことなく、震えているようにも見える。

 

「その異常がなんなのかを解明するという意味では、あの子の存在は手掛かりになるのかもしれないし、面倒を見ること自体は賛成よ。巫女としても人としても、放っておけないもの。だけど、視察に連れていくのだけは駄目……!」




 そこにいるのは、自尊心の高い巫女でも、気の強い少女でもなかった。


 強がりながらも何かを恐れる、ただの少女だ。




「黒湖様に選ばれたのなら、どんなに辛くたって苦しくたって、視察におもむく義務があるわ。あらゆる厄災から守ってくださる御恩にむくいるのが、私たちの使命だもの。だけど、あの子はそうじゃないのに、あんな――」

「かおちゃん」



 澄んだ声が、花鶯姫の言葉を閉ざした。会議の時に初めて聞いた、あの声だ。



 黄林姫は何を言ったわけでもない。

 それなのに、花鶯姫は言葉を続けなかった。口を開く素振りすらしない。そこで黙ることが、暗黙の了解だと言わんばかりに。


 部屋中が、重たい空気で満たされる。全身が、つぶされそうなほどに。



「大丈夫だよ、花鶯」



 重苦しい沈黙を破ったのは、彩雲君を連れてきた当の本人だった。


「あいつは子供だ。自分のことで手一杯で、他に興味を示す余裕なんかないよ。私たち巫女にも、社にも、この世界にもね」

「今は、でしょう」

「これからもだ。あいつにはずっと、自分のことだけを考えてもらう」

「……その言葉、絶対に忘れないでよ」

「もちろんだ」


 多分、花鶯姫は何一つ納得していない。だけど、それ以上は何も言わなかった。


 異変の解明の鍵になるかもしれないから同行させる。その主張も間違ってはいないと、分かっているからだろう。


「他のみんなは、何か意見あるかな」


 誰も、声を上げなかった。虹姫も、それが分かっていたかのような顔だ。意見を求めるというより、話をめるための言葉だろう。



 事実、虹姫は「じゃあこの話はここまで!」と手を打った。



「さて、さっきはどこまで話進んだんだっけ?」

「各国の社町で、舞を披露する形で余分な気を斬ることが、視察の目的ということ。そのために道中の駅で、舞の練習と気を見る訓練をするというところまでね」

「そっか。じゃあ黄林、続きよろしくー」

「えー、また?」

「長ったらしい説明は好きじゃないんだ。面倒で仕方ない。そういうのは、話し上手な黄林様にお任せするよ」

「また、すぐそういうこと言って」


 黄林姫は、文句を言いながらも笑っていた。


 少し前まで、険悪な空気の中にいたのが嘘のようなじゃれ合いだ。むしろ、うつむいたままの花鶯姫の方が異質にすら見えてしまう。


(……そういうのは、どこの世界でも同じか)


「さてと」


 虹姫が背伸びをしつつ立ち上がった。食事はもう済んでいるらしい。


「ちょっと外の空気でも吸ってくるかな」

「いってらっしゃい。くれぐれも、社の外に出たりしないでね」

「はいはい」



 適当な返事をしながら、虹姫は振り向きもせずに部屋を後にした。



 ちらりと、花鶯姫の顔をうかがう。表情の曇り具合は相変わらずだ。

 虹姫は食べ終わるといつもそうなのか。うつむく彼女を気遣ってのことか。


(後者だと良いな……)


「じゃあ、話の続きを……とは言っても、葉月君には、訓練の他にやってもらうことがあるというくらいだけれど」

「僕ですか?」

「えぇ。とう西にしのことは知ってる?」

「あ、はい。僕が話しているのは西語だということは。東語の方は、東字がほとんどを占めるという以外は分からないです」

「それじゃあ、しっかりと勉強してとくしないとね。巫女になるからには、どちらも話せないと後々困るもの」

「それはつまり……駅で、東語の勉強もするということですか?」

「察しが良くて助かるわ」


(マジか……!)


 失念していた。巫女の使命とか視察のことで頭がいっぱいだった。国の統治者が相手国の言葉を理解できなかったら、話にならないというのに。


「ちなみに、公用語とかはありますか?」

「東語よ。西の三国は、東から独立してできた国々だから。もっとも、元々は一つの国だったから、東も西もなかったのだけれど」


 本に書いてあった知識だ。


 現在、湖といえば無条件で『黒湖』を指すけど、平和条約が締結される前は国全体を『』と呼んでいたらしい。


 湖は、最後の王朝とも呼ばれる『湖王朝』によって治められた、四百年もの歴史を持つ王政国家だ。二島はこの時代に作られたという。


 かつては王朝がひんぱんに入れ替わり、国も分裂しては戦を繰り返していたけど、湖王朝の統治によって、奇跡ともいえる平和な世が三百年に渡って続いたという。


 だけど、後年になると暴君や暗愚の王が続くようになり、衰退の道を辿ると共に国も再び分裂していったとのこと。



 もちろん、重要なのはそんなことではない。


 今現在、東語が公用語であり、僕はその言葉が分からないということだ。



「あの……その東語も、視察中に覚えないといけないってことですか?」


 言葉を学ぶだけでなく、舞の練習をして、さらには『気を見る』という僕からしたら奇想天外なことまで会得しなければならないのだ。二か月の間に、全て。


「そんなに青ざめなくても、心配することないわよ。元々は同じ言語だから、発音と使う文字の頻度の違いしかないわ」

「あ、そうなんですか」


 それなら、なんとかなるかもしれない。別の言語を一からというよりは、の方言を学ぶという方が近い気がする。


「視察の前に、一度勉強してみましょうか」

「いいんですか!?」

「もちろん。言葉の方は、私が教えることになっているもの」

「ありがとうございます!!」


 視察中にあれこれ詰め込むことに不安があるから、本当にありがたい。社では本を読む以外にやることもなさそうだし。


「お昼の鐘が鳴ったら、三郎を寄越すわね」

「はい、よろしくお願いします!」

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