第五話「花の宴 ーはなのえんー」 (後編) ①

「まずは、葉月君と桜ちゃんを連れてきた理由を説明しないとね」

「だからオレは聞くつもりねぇって――!?」


 彩雲君が、横で押さえつけている三郎さんを睨みつける。あの痛がり方は、さっきの僕と同じように背中をつねられたのだろう。


「会議が終わるまで口を開くな。少しもだ」


(くしゃみとかは、入ってないですよね……?)


「社町の門にはね、もしもの時のために常時結界を張っているの。そこが反応することで、なんらかの事態が発生したことを巫女は感知するのよ」

「門に張ってあった、膜のようなものですか?」

「あれが見えたの?」

「はい。桜さんは、全く見えなかったみたいなんですけど……」


 巫女たちが、何やら目配せをし合っている。

 その意味を考える間もなく、黄林姫が「その件は、ひとまず置いておくわね」と話を再開した。今は、それに従うしかなさそうだ。


「結界が反応した場合、全ての巫女が中つ国に集まり、結界に触れた者を呼んで事態を検証しなければならないの。それが、あなたたちをここに連れて来た理由よ」

「そんな防犯シス……対策があったんですね」

「防犯というよりは、異常事態への対応ね。故に、滅多なことでは反応しないわ」

「……夜長姫が蘇ったと、町の人や衛兵さんは言っていました」


 ブッ、と息を吹き出す声がした。

 虹姫が、盛大に笑い出したのだ。一体どこに笑いどころがあるのだろう。


「ないない!! それはないって!!」

「えっ、でも」

「死んだ者は土に還る。どんなに強い力を持つ巫女だって例外じゃないよ」


 あまりにもあっさりと言い放たれたものだから、返す言葉を失ってしまった。


 それに、僕もその通りだと思うのだ。確かに僕は、どういうわけかこの世界に流れ着いて、しかも健康な体まで手に入れた。


 だけど元の世界に、それも元の僕として五体満足で帰れるなんて……そんな都合の良い話があるとは思えない。一度失ったものは、二度と戻らないのだから。



 だからこそ、どうしても不可解なことがある。



「僕、胸を刺されたのに生きてるんですが……」

「別に変な話じゃないよ。私らだってそうだし」

「え?」

「私ら巫女はね、寿命が尽きるまでは基本的に死なないんだよ。全身を切り刻んでも、頭を潰しても、心臓をいても」


 虹姫が、意味ありげに「基本的には、ね」ともう一度繰り返す。

 なんだか引っかかる言い方だけど、それ以上に聞き流せない言葉があった。


「……まるで、僕が巫女であるみたいですね」

「お、呑み込み早いじゃん」

「え?」

「あなた、くろさまに選ばれたのよ」



(選ばれた? 『クロコ様』……?)



「それはつまり……僕が、巫女に選ばれたということですか?」

「まだ未定だけどね。正確には候補にすぎない。ま、普通はあり得ないんだけど」

「え?」

「結界が察知した異常事態というのは、あなた自身のこと。あなたが黒湖様に選ばれたということが、いわば異常事態ということね」

「僕が選ばれることが、ですか?」

「そう。あなた、とても異質なのよ。私たち巫女から見てもね」

「それは、どういう……」


 言いかけて、ふと思い出した。あの時、僕は桜さんに引っ張られていたはずだ。


 つまり、僕が触れているはずがない。


「……あの、先に触れたのは桜さんでしたよ。町に入った時は、特に何も起きませんでしたし。僕が異常事態なら、入る時にも――」

「やっぱりね」



 不意に、虹姫がぼそりと呟いた。


 

(やっぱり……?)


「あんたの認識は正しいよ。確かにその娘は、あんたと違って普通の人間だ。変わった体質の持ち主というだけでね」

「体質……?」

「入る時に何も起きなかったのは、その体質のたまものだよ。もっとも、町から逃げようとした時は上手くいかなかったみたいだけど」

「…………?」


 何を言っているのか、僕には全く分からない。


「いや、失念していたのかな? 門には常時、結界が張ってあることを」

「…………」


 虹姫に何やら意味ありげな視線を向けられるも、桜さんは眉一つ動かさない。あえて動かさないようにしているのかもしれない。


「まぁ、あんたにとっては存在しないも同然だ。見えないものを『あるもの』としてとらえるなど、無理難題もいいところだろう」


(桜さん……)


 一つだけ、確かなことがある。

 僕が、あの膜に異常事態の対象にされる存在だということだ。逆に言えば、それ以外の人間はあの膜にかからない。



 なのに、桜さんはあの膜にかかった。



 最初は体質で反応しなかった云々はよく分からないけど、少なくとも町を出ようとした瞬間、確かにあの膜に行く手をさえぎられたのだ。


 それはつまり、異常事態である僕を逃がそうとしたから、桜さんも異常事態の対象にされてしまったということだ。




 桜さんは、僕のせいで捕まったんだ。


 僕が、桜さんの命を、危険にさらして――




「大丈夫? 顔が真っ青よ?」


 黄林姫の声で、僕は自分がうつむいていたことに気付いた。慌てて顔を上げる。


「……大丈夫です。すみません」


(落ち着け、僕)


 それによく考えたら、あの結界が反応したから連れてこられたという話だ。桜さんの罪は、まだ明るみに出ていない。


(大丈夫、大丈夫だ)



 今は、平静を保っていないといけない。桜さんを、確実に守るために。


 そのために、今は状況をはっきりと把握しておく必要がある。



「……『クロコ様』のクロコというのは、五国の中心にある『くろ』ですか?」

「厳密に言うと、黒湖の『意思』ね。詳しいことは分からないけれど、あの湖にはなんらかの意思のようなものがある、というのは確かみたい」

「意思……ですか」


 泉に宿る精霊、みたいな感じだろうか。


「私たち巫女は皆、生まれながらに人ならざる力を宿しているの。場合によっては『鬼』と恐れられてしまうような力をね」

「鬼……ですか」

「えぇ。『黒湖の意思』はそんな人たちを保護し、世のため人のためとなるよう生かしてくださる存在……いわば、私たちの守り神様であり、私たちはその守り神様にお仕えしていると言っても過言ではないわね」


 精霊どころか神様だった。八百万の神とかに近いのだろうか。


「神様に仕えるから『巫女』ということですか」

「えぇ。私たちは敬愛を込めて『黒湖様』とお呼びしているわ。黒湖様は、その命が尽きる時まで守り続けてくださるから」

「えっと……」

「要は、傷の治癒も、町の連中を吹き飛ばしたのも、何もかもが『黒湖様のご加護』ってやつだよ。黒湖様様だね」

「虹」


 花鶯姫の鋭い視線が、虹姫へ向けられた。


 さっきから怒ってばかりの彼女だけど、ことさら本気で怒っているのだと分かる目付きだ。それなのに、虹姫は全く顔色を変えない。


「黒湖様に対して、失礼にも程があるわよ」

「はいはい。今日も黒湖様信仰の熱いこって」

「巫女として当然のことでしょ」


(そういえば、さっき社を『神聖な場』だと言っていたな……)


 とりあえず、花鶯姫の前では『黒湖様』をおとしめるような言葉はもちろん、その存在を疑うような言葉も口にしない方が良さそうだ。


 それに、あの時、僕たちを守ってくれたのは確かだ。あれがなかったら、僕はとっくに殺されていた。下手したら、桜さんだって――



(あれ? それじゃあ、あの人たちを吹き飛ばしたのは、僕じゃない……?)



「あのっ、黄林様」

「何かしら?」

「……僕は、罪人じゃないんですか?」


 黄林姫が、少し目を丸めた。

 だけど、すぐに慈愛の笑みを浮かべた。


「えぇ。もちろんよ」

「――――っ」


 黄林姫のその一言で、思わず「よかった……」と声が漏れた。


 ずっと僕のせいだと思っていたから、気味が悪くて仕方なかった。

 何より、これで桜さんの助命を聞き入れてもらえる望みも出てきた。罪人とそうでないのとでは雲泥の差だ。


「ところで、あなたはどこから来たの? 記憶喪失者として登録されていたけど」

「えっと、記憶喪失というか……」


 言って信じてもらえるだろうか。

 いや、言わなきゃもっと怪しまれる。



「……僕、この世界の人間じゃないんです」



 やはり、巫女たちはそろって目を丸めた。頭のおかしい奴だと思われたかもしれないが、事実なのだから仕方がない。


「それは、異なる世界から来たということ?」

「はい。でも、どうやって来たとか、そもそもなんで来たのかとかは全然分からないし、覚えてないんです。名前とか自分のことはちゃんと覚えているんですけど」

「なるほど。ある意味、記憶喪失ね。本当に何も心当たりがないの?」

「はい。気が付いたら知らない場所にいて……」

ずいぶんこうとうけいな話ね」


 花鶯姫が疑いの目を向けてくる。トントン拍子に話が進んでいるから珍しくないのかと思ったが、どうやらそうではなかったらしい。


 僕からしたら、湖に意思が宿ってるという話も荒唐無稽だけど、巫女とか気が存在するこの世界では、さほど変な話でもないのかもしれない。


「まぁ、嘘はついてないようだけど」

「信じてくれるんですかっ?」

「信じるも何も、一目見れば分かるもの。嘘の色は目立つから」

「嘘の……色?」

「まぁ、わざわざ嘘つく理由もないわな。異世界から来たなんて、嘘にしちゃ間抜けすぎる。他のみんなは?」


 虹姫が、他の巫女たちに目をやる。最初に口を開いたのは落葉殿だった。


「ちょっと臭いけど、嘘はついてないよ」

「え!?」

「……あぁ、ごめん。そういう意味じゃないよ。気にも、においがあるんだ。青臭さがちょっと鼻にくるだけだから、気にしないで」


(青汁みたいなのかな……嫌だな、それ)


「あ、あの」


 蛍姫が、おどおどしながらも声を張り上げた。張り上げてやっと普通の声量だ。


「私も、嘘をついていないと思います。ほくほくのれいしょの味がしますから」


(……共感覚、だったかな)


 文字に色を感じるとか、音に味を感じるといったように、一つの感覚と他の感覚を同時に認識する人がいるという話を聞いたことがある。


 彼らの多くは、それを当たり前の感覚としてとらえているのだという。

 物心がついた時からそうだからだ。周囲との認識のズレから、初めて『他人とは異なる感覚』だと知るらしい。


 この世界で言う『気を見る』というのは、共感覚に近いものなのだろうか。

 巫女の候補に選ばれたというけど、僕にはそんな特異な感覚は欠片もない。



「おい、まだ終わんねーのかよ。さっきからなに言ってっか分かんねーしよ」



 彩雲君の声に、直接絡まれたわけでもないのに蛍姫がビクリと肩を震わせた。やはりというか、彼女もこの手の人種が苦手らしい。


 世話焼きな花鶯姫が、すかさず「ちょっと」と彩雲君を見据えた。


「今は私たちが話しているのよ。自分の頭の悪さを棚に上げてわめかないで」

「んだとコラァ!!」


 案の定立ち上がった彩雲君だが、瞬時に三郎さんに頭から地に叩き伏せられた。


「はなせクソカス死ね!!」

「いい加減にしろ!!」


 三郎さんが彩雲君の首に手刀をぶち込んだ。

 彩雲君はピクリとも動かなくなった。


「皆様、お騒がせして申し訳ありませんでした」


 今の騒ぎが嘘のように、三郎さんが恭しくお辞儀をした。そして、手刀をぶち込まれた彩雲君はやっぱり動かない。


(……大丈夫、だよね?)



「葉月さんでしたね」



 炭姫が久方ぶりに口を開いた。


「あなたからは嘘の音はしませんが、一つ気になることがあります」

「なんでしょう?」

「あなた、人間ですか?」

「え!?」

「ちょっと炭、それどういうことっ?」


 花鶯姫が困惑の声を上げた。変な質問だと思ったのは、僕だけではないらしい。


「あまり人間相手には感じない音でしたので。深い意味はありません」

「どういう音よ?」

「植物に感じることが多い音、としか言い様がありません。私が感じる音は、皆さんのように具体的に表現できるものではないので」

「へぇ、こいつが歩く植物だって? 試しに埋めてみるか。育つかもしれないぞ」

「僕は人間です!!」


 身の安全の確保のため、僕は速攻で否定した。


 冗談にしても、虹姫の発言はさっきからやたらと物騒すぎる。横で黄林姫がくすくすと笑っている辺り、いつものことなのかもしれないが。


「まぁ、あなたが人間か否かはさておき……」


 そして黄林姫も、人の良さそうな笑みでこの一言だ。この世界で目覚めた時の状況が状況だから、致し方ないのかもしれないけど。


「ひとまず、夜ちゃん本人ではないということは確信したわ」

「え、それはあり得ないって話じゃ……」


 たとえ巫女であっても、死んだ者は土に還る。虹姫はそう言っていたはずだ。


「念のためよ。ちゃんと検証しないと、夜ちゃんではないとは断言できないわ。現に、その言動を除けば、偶然なんて言葉では片づけられないほどそっくりだもの」

「……そんなに、似ているんですか?」

「えぇ、とても」



 黄林姫が、一層柔らかく微笑んだ。



(あ……また、その笑顔だ)


 なんでだろう。優しげなのに、この人の笑顔には、何か含みがあるように思えてならない。考え過ぎだろうか。


「虹さん、お願い」

「あいよ」


 虹姫が僕を指さしてきた。

 刹那、手首が縄の圧迫感から解放された。


「えっ……?」

「その縄は念のためだよ。あんたには偽りも攻撃性もないって分かったからね」

「あ、ありがとうございます……」


 後ろに、切断された縄が転がっていた。

 解放された喜び以上に、肝が冷えた。


(指をさしただけで切断って……あれ?)


 ふと、僕は気が付いた。桜さんのことについて、何も言っていない。彼女も、僕と同じように拘束されているはずなのに。


 もしやと思って、横を見る。




 桜さんの拘束は、まだ解かれていなかった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る