一章「旅立ちの花」

第二話「桜人 ーさくらびとー」①

 部屋中に干された薬草をぼんやりと眺める。

 草の臭いが充満しそうな景観だが、案外そんなことはない。むしろ、昨日さくらさんが薬草から煎じてくれたお茶は良い匂いがした。


 ……と考えてみるけど、無意味だった。


(やっぱり……緊張するな……)



 僕は今、桜さんに髪を切ってもらっている。



 すぐ後ろに女の子がいて、それも直に髪に触れられていると思うと、どうも落ち着かない。おかげで何度も「動かないで」と叱られている。


(なんか、もったいないな……)


 確かに、腰まで届くこの長さでは、何かと日常生活に支障をきたすだろう。今から町を歩き回るならなおさらだ。

 分かってはいるが、こんなに長いのに綺麗な髪なので、なんだか惜しい。


(まぁ、仕方ないか。ここは異世界なんだし)



 実は昨日、町に入る前にも「これではみっともない」と桜さんに髪を結われた。



 それにも関わらず、あちこちから視線を感じたし、ここにお邪魔した時も、一階で餅屋を営むご主人が僕の顔をまじまじと見つめてきた。


 多分、髪が亜麻色だからだろう。

 ここは異世界だけど、町の人たちはみんな黒髪で、典型的な東洋人の風貌だ。元の世界みたいな染髪の文化も、この世界にはありそうにない。


 亜麻色の髪は、僕には綺麗に見えても、この世界では異様なのかもしれない。


「はい、もういいわよ」

「ありがとうございます」


 そわそわしている内に、首回りがすっきりとした状態になった。腰まであった髪は背中の半分くらいまでになり、それを桜さんが一つにまとめてくれたのだ。


 これはこれで可愛い。男装している女の子みたいだ。男だけど。


(それに、桜さんと同じ髪型だ)


 桜さんとお揃いだと思うと、なんだか嬉しい。

 あと、ちょんまげじゃなくてよかった。この可愛い顔にそれはキツイ。


「散らばった髪、掃除しといて。私は今から準備をするから」

「あ、はい」


 僕は桜さんに掃除道具を貸してもらい、後始末に取りかかった。敷いてある布からこぼれ落ちた髪を、座敷箒でかき集める。


 ふと桜さんを見て、思わず「え?」と間の抜けた声を漏らしてしまった。


「それ、全部売るんですか?」


 畳の上に並べられた大量のざると、そこにどっさり盛られた薬草の量は、軽く見積もっても昨日桜さんが背負っていた籠いっぱい分はある。


「えぇ。八割方は町のくすに提供するわ」

「そんなにあげちゃって大丈夫なんですか?」

「薬師とはいっても、私の場合は薬草の採取が主な仕事だから」

「薬の処方じゃなくてですか?」

「店はおろか、定住地を持たない私のような薬師は、薬を処方する機会の方がずっと少ないのよ。普通は、最寄りの医者や薬師を訪ねるもの」

「じゃあ、桜さん的には結構困りますね」

「そうでもないわ。国外でしか採れない薬を提供できるという、定住地を持たないが故の強みがあるから、結構重宝されているのよ」


(つまり、町の薬師の代わりに薬草を集めるということか……ん?)


「あの」


 桜さんが目を丸める。その視線の先を追って、自分が手を挙げていることに気付いた。なんとなく恥ずかしくて、バッと手を下ろす。


「……質問、いいですか?」

「もちろん」


 僕の奇行を前に、桜さんはこれといった反応を示すことなく頷いた。あえて見なかったことにしてくれたのかもしれない。


「ここは、桜さんの住処じゃないんですか?」

「客の伝手で、二階の一部屋を一時的に提供してもらってるだけよ。年に何度かここに来るから、そういう意味では住処とも言えるでしょうけど」


 そして、今回がそうだったということか。


 桜さんが親子ほど離れたご主人と、どれほど親しいのかは分からない。

 少なくとも、僕のような素性の知れない人間を連れてきても、二つ返事で受け入れてもらえるくらいには信頼されているのだろう。


 僕も、そういう人を作らないといけない。

 今の僕は桜さんがいないと、確実にその辺りで野垂れ死ぬ存在だ。



(伝手づくり……目標がまた一つ増えた)



 思わずほおが緩んだ。


「変な顔してないで手を動かして」

「あ、はい……」


 可愛い顔でもにやけ顔は変らしい。中身である僕のセンスがないのだろう。


 とりあえず、掃除に専念することにした。








 四方八方を人が行き交い、絶えず人の声が耳に入ってくる。昨日、餅屋に案内されるまでの道中も思ったけど、本当ににぎやかな町だ。


 町を歩いていると、地上を見下ろすようにそびえ立つ赤い建物が目に入ってきた。城かと思ったが、その風貌は神社という方が近い。


「桜さん。あれ、なんですか? あの赤い建物。ずいぶんと大きいですけど」

やしろ。巫女が国を見る場よ」

「国を見る?」

「国の『気の流れ』を見るということよ。社に入り、常に『気の流れ』を監視して整える。それが巫女のお務めなのよ」


 何やら、こちらの世界特有の用語が出始めた。

 これは聞いておかないと不味いだろう。


「えっと……『気』というのは?」

「世界には『いん』と『よう』の二つの『気』が絶えず流れているわ。『陰』は気持ちを沈めて心身に休息を与え、逆に『陽』は気持ちを高揚させて心身を活性化させる。どちらも、生物が生きる上で欠かせないものよ」

「へぇ……」


 どうやら陰陽の概念があるだけでなく、かなり生活に密接したものらしい。


「もし巫女が、気の流れを監視しなかったら、どうなるんですか?」

「どちらか一方に傾いて、国全体が乱れてしまうでしょうね」

「えっ?」


 予想以上の規模の大きさに、思わず声を上げてしまった。


「国が乱れるって、ずいぶんと大ごとですね……」

「そりゃそうよ。国中の人の心がかたよって、不安定になるんだから」


 桜さんの言葉に、じっと耳を傾ける。どんなに突拍子のない話でも、この世界の常識なら事実として受け止める必要がある。



 これからもずっと、こうやって彼女のそばを歩いていたいから。



「陰に傾けば無気力になり、陽に傾けば血の気が多くなる。そんな状態が長期に渡って続けば、当然人は不安定になるし、いずれは国の乱れに繋がるわ。そうならないよう、人ならざる力を持つ巫女が常に流れを正してるというわけ」

「気のバラ……二つの気を均等に保つってことですか。なんか、すごいですね」

「そうね。そんなものを見て触れるなんて、想像もつかないわ」


(あ、そっちか)


 桜さんは、どうやら巫女のことを指していると解釈したようだ。

 もちろん、それもすごいけど……僕からしたら、そういった神秘的なものが常識として受け入れられているこの世界自体もすごい。


「そして、社を中心とした町は『やしろまち』と呼ばれているわ。この町がそう」

「国の中心というわけですね」


 この町のにぎわいも納得だ。国は『静国しずかなるくに』という名前だけど、そこは気にしたら負けだろう。静まり返った町とか怖いし。


「じゃあ、まずは役所ね」

「役所?」

「今のあんたは、住所不定かつ無職の男よ」

「あ……」


 考えてみれば、当たり前の話だ。ラノベとかではスルーされがちだけど。



 だけど、それ以前の問題があった。



「……でも僕、この体の持ち主のこととか、全然分かりませんよ」

「体の持ち主?」

「もし転生したのなら、僕はこの世界で生まれ変わってると思うんですよ。だとしたら、この体の持ち主の戸籍は、すでにあるのではないかと」

「……つまり、なんらかの拍子に前世の人格が目覚めた。それがあんたで、その体自体はあんたと別人。そういうこと?」

「そんな感じです!!」


 僕の意味不明な説明にも関わらず、驚くほど正確に伝わった。美人でカッコいい上に、頭の回転も速いらしい。


「まぁ、ラノベ……物語の受け売りなんで、確信はないんですけど」

「前世ということは、そちらの世界にも輪廻転生の概念があるのね」

「ここにもあるんですかっ?」

「真に受けている人間はごく少数だけどね」


 日本風とはいえ、やっぱり僕からしたら未知の世界だ。そんな世界で、自分のいた世界との共通点を見つけると、無性に嬉しくなってくる。


「仮にそれが本当だったとしても、わざわざ戸籍を調べる必要はないわよ。身元が分からない人間に対する制度は整っているから」

「え、マジですか?」

「え?」

「えって……あ。すみません。マジっていうのは『本当?』って感じの意味で、驚いた時とかにも使うんですけど……」

「……まじよ」


(ノッてくれた!? うわぁ……ヤバい、めちゃめちゃ嬉しい!!)



 不愛想かと思いきや、案外ノリの良い人なのかもしれない。



 桜さんのいう役所まで、そう時間はかからなかった。人が結構いたからか、待ち時間の方が長かった気がする。

 その待ち時間の長さに反して、身元確認と保証の手続きはすぐに終わった。それはもう、呆気なさすぎて逆に不安になるほどに。


 少々困惑しつつも、ひとまず混雑を避けてすみに移動した。それから、出来立てほやほやの身分証を見つめる。


「記憶喪失者用の身分証なんて、ずいぶんと親切ですね。全然怪しまれなかったし」

「あんたのように、どこからともなく現れる記憶喪失者も、時々いるみたいよ」

「え、そうなんですか!?」


(僕としてはありがたい話だけど……)


 記憶喪失だと言ってしまえばいくらでも偽造できそうだけど、その辺の防犯システムが整っているか、そもそも偽造するだけの技術がないかのどちらかだろう。


「その人たちも、僕と同じなんでしょうか?」

「さぁ。少なくとも、異世界から転生したという話は初耳だけど」

「そうですか……」


 桜さんが異世界転生の話をあっさり受け入れたことに驚いたけど、案外この世界では現実味のあることなのかもしれない。

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